知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【映画解説】ジャンプスケア(jump-scare)の意味と機能/死霊館(2013)

25 (Sat). June. 2022

本日のテーマは現代ホラー映画、そしてホラーゲームで最も大切な技術となっているジャンプスケアである。ここには先日の記事で解説した視線の一致と誘導が非常に大きく関係している。

近年では何かと批判されることも多いジャンプスケアだが、それは一番に使われ過ぎている、という事実がある。しかしその反面本当に効果的なジャンプスケアは少なく、事前に調べるに当たっても例は幾らでもあるが技術的に真に優れた例は少ないと感じた。ともかく映画を理解する上で重要な技術には変わりなく、今回はホラー映画を中心に解説していく。

取り上げる映画はジェームズ・ワン監督の死霊館、その第一作だ。ジェームズ・ワンは現在最も過小評価されている監督で、且つ過大評価されている監督でもあると思う。特に彼のキャリアでも重要なこの死霊館は絶賛と中傷の両方が見られるのだが、果たして実際は良い映画なのだろうか?詳しく見ていきたいと思う。

Lili Taylor in The Conjuring (2013)

定義

筆者がこれまでに見た映画の中で最も完璧なジャンプスケア(jump-scare)が見られるのはデイヴィッド・リンチマルホランド・ドライブだ(ホラー映画から選ばれないという所が何とも皮肉である)。映画序盤の夢の内容を語る男が、実際に夢で見たのと同じ塀の向こう側を覗こうとする場面。観客は塀の向こう側に何が居るのか、本当に悪魔が居るのか待ち構えている。カットが入り切り返しのショットが挿入され、一瞬気が緩んだ所でPOVショットに戻り悪魔が横から現れる。

この様に意表を突いて観客を怖がらせる様な何かを登場させる、その演出の仕方をジャンプスケアと呼ぶ。角を曲がった先にお化けがいるかも知れない。化粧室に入って後ろの隅に何かが居るかも知れない。布団に入って目を瞑ると目の前に幽霊が姿を現しているかも知れない。こうした子供がよく抱く恐怖の妄想を具現化するテクニックがジャンプスケアだと言えるだろう。

しかしこれでは幾分抽象的に過ぎる。より具体的且つ専門的な検討を試みよう。視線の一致と誘導について先に解説したと思うが、ジャンプスケアを効果的に演出する急所は正にここに置かれている。未読の読者は先に目を通すことをお勧めする。

sailcinephile.hatenablog.com

通常編集者は観客の視線を誘導し、彼らの視点を固定することで映画の連続性を高め、自然な繋ぎを達成しようとしている。真ん中にアクションの中心が置かれていたならば、次のショットも真ん中を中心に。左方向にカットしたならば、次のショットは左側を意識して編集するといった具合である。

それでは観客の視点を中心に固定した上で突然「真ん中に」幽霊が出てきたらどうだろうか?或いは観客の視点を真ん中に固定した上でカメラを左側に動かすと、突然左手に殺人鬼が現れたらどうだろう?それまでの平穏なショットに一変して不安要素が映り込む訳であって、当然観客は幾らか驚くだろう。

仮に観客の視点を右側に固定していたとして左隅に小さく手か何かが移っていたとしよう。大抵の場合観客は気が付かない。こうして文字で読んでいるとまさかと思うかも知れないが、実際は観客の視点は一箇所に力強く固定されているのであり、些事に注意することは本当に難しい。まして今の例で右側にカメラをパンしたとしたらどうか?観客は右方向に何が移っているのかと期待をし、左側の小さな手のことなど忘れてしまうだろう。

この様に単に意表を突いて怖がらせるといっても、実際に観客を怖がらせる為には彼らがそれに十分注意を向けていることが必要である。死霊館でも良いし、他のどんなホラー映画でも良いが、画面の中央にテープを貼ったり指を置いて鑑賞して見て欲しい。何か恐怖を喚起する存在が現れるショットでカットの前後で必ず視点が真ん中に誘導されている筈だ。

従ってジャンプスケアとはひとまず以下の様に定義することが出来る。ジャンプスケアとは観客が画面上で注意を向けている場所に、突然意識していなかった恐怖が映り込むことである、と。

実際殆どのジャンプスケアはこの定義で説明出来る。死霊館バイオハザード、パラノーマルアクティビティ、ババドック、エクソシスト... 多くのホラー映画がジャンプスケアに頼り切っていることが分かるだろう。しかし例外的なジャンプスケアの使い方もある。

それは例えばイット・フォローズに見られるのだが、劇中登場する「それ」は感染した本人にしか見ることは出来ない。よって周囲の人間からは目視出来ないのだが、「それ」に怯える主人公を前に友人が扉を開ける場面。扉を開けても実際に「それ」は現れず、友人たちも「いないじゃないか」と言った反応をする。しかし我々観客は「それ」が現れることを知っている。だから最初「それ」が現れなかった時一瞬間、疑問に思うのだ。そして案の定「それ」は姿を見せ主人公に襲い掛かる。

このシーンでは観客は主人公の視点になりきり、「それ」を待ち受けている。しかし実際に確認出来なかったことでタイミングをずらされ、実際に「それ」が現れる驚いてしまうのだ。故に意識していなかった恐怖、という定義は修正が必要だろう。恐怖は観客の期待によっても強化されるのだ。

以上を踏まえジャンプスケアとは、観客が画面上で注意を向けている場所に突然予想されていなかった方法で、(知られていたかいないかに関わらず)恐怖が映り込むことである、と定義しよう。筆者が知る限り全てのジャンプスケアはこの定義で説明出来る。

使用法と注意点

ジャンプスケアとは何か理解した所で次はその使用法だが、これは実例に当たった方が早い。従って簡便な解説に留めるが、数点(特に製作者にとって)意識するべきポイントがある。

第一に観客の視線をしっかり誘導すること。これが出来ていなければ全く彼らを恐怖させることは出来ない。一般に視線の誘導と固定は編集段階で行われるが、例えばセットの制作段階で色を多く使い過ぎていたり、ドアと窓が両方写ってしまう様では観客の注意が削がれてしまう。色が多い程視線は誘惑されるし、ドアと窓の両方が写っていれば観客はどちらから恐怖が現れるか散漫な注意を向けるからである。

従ってプロダクション、プレプロダクションの段階でもしっかりと完成された映像をイメージし、観客が定められた一点を見る様に誘導することが大切だ。

第二に観客の期待・予想を把握すること。「予想されていなかった方法で」訪れるから怖いのであって、完璧に予測された仕方で訪れる恐怖は恐怖ではない。それは単なる期待外れと言う。従って観客が期待する恐怖を的確に予想し、如何にそれを裏切るかがポイントである。

例えばトラッキングショットで一分間主人公の背中を追い続けたらどうだろう?手ブレの多い映像で観客は一分間言わば焦らされることになる。これは効果を最大限に高めることに繋がるが、現れた恐怖が些細なものであれば観客は同様に落胆してしまうだろう。

また恐怖を矢継ぎ早に繰り出したらどうだろう?部屋に入ると化物が待ち構えていて、後ろを振り向くとそこにまた怪物が居り、彼らを避けて隣の部屋に逃げ込むともっと多くの怪物がいる。これは確かに効果的な演出で、恐ろしいが観客を疲れさせてしまうことにもなるだろう。

タイミングや現れる恐怖を観客の予想とは違ったものにすること。これが一つの大切な要素だ。しかし全く予想を裏切ってしまうと、これもまた観客を落胆させてしまう。

例えばスラッシャー映画の金字塔、ハロウィンで考える。観客はマイケル・マイヤーズが現れることを楽しみにしている。しかし廊下の角を曲がった先で現れるジャンプスケアがパラノーマルアクティビティの様な超常現象、壁の額縁が倒れるなど、であった場合観客を困惑させてしまう。意表を突くことには成功しているが、スラッシャー映画にオカルト要素を持ち込むことは適当ではない。

この様に観客の期待を的確に把握し、効果的にそれを裏切ることがジャンプスケアを成立させる鍵となる。

最後にジャンプスケアを連発しないこと。ジャンプスケアは観客に心から怖いと思わせるのでなく、悪い表現をすれば単に驚かせているだけである。従ってジャンプスケアばかりに頼っているとびっくり箱と変わらない。観客を怖がらせる為には「怖い」という感情とジャンプスケアを結びつけ、感情を煽る1方法としてそれを用いるべきである。これはコメディ映画に対するギャグの関係と似ているだろう。

死霊館

さて以上がジャンプスケアの基本だが、この死霊館ではどの様に使われているだろうか?端的に言って非常に効果的な使われ方をしている。

ジェームズ・ワン監督は何と言ってもジグソウシリーズを生み出したことから、ツイストホラーの旗手の様に認識されているが、実際は王道のハリウッド映画を作ることが上手い。ジグソウにしてもシリーズ全体で見ると1だけが密室スリラーとして異色を放っていて、それ以降の作品は全てジグソウの哲学を掘り下げたスプラッタホラーになっている。寧ろワイルド・スピード7や、アクアマンといったブロックバスター映画にこそ彼の真骨頂があると筆者は考えており、この死霊館も恐ろしいホラー映画とはなっていないと思う。

具体的に説明しよう。本作は脚本的には非常に陳腐だ。アナベル人形が登場する必然性は殆ど無いと言って良いし(アナベル人形以外の霊媒でも良いという意味)、背景となる怨霊の過去も不明瞭だ。観客の方でもそうした点には興味が無いだろう。バチカンキリスト教といった細かい情報も意味が無い。

本作はそんな些事は取り払って如何に観客を怖がらせるか、ジャンプスケアを如何に効果的に使うか、という点にのみ注意が向けられている。極端なことを言えば、字幕を無くして台詞の意味が殆ど分からない状態で見ても楽しめる映画だと思う。その位筋立ては乱暴だ。

けれどもその分ジャンプスケアの使い方は非常に上手だ。今回のタイトル画像にも設定しているclap-clapの場面もそうだし、オルゴールの鏡に少年が映り込むシーン、そして箪笥の上から老婆が襲い掛かる場面、寝室の扉の後ろから何かが現れるシーンと印象的なジャンプスケアが多い。

中でも物語中盤、本格的な捜査をエクソシストと巡査と共に行う場面で、幽霊が縦横無尽に歩き回るシーンは必見である。先に述べた通りジャンプスケアでは観客の注意を一点に集中させていなければならない。それにも関わらずジェームス・ワンは広い屋敷でカメラを引いた位置で構えさせる。

複数のドアと窓とが映る訳だが、登場人物は一方のドアに幽霊が歩いているのを確認する。そちらの方に慌てて走って行き、カメラも彼をトラッキングするのだが、背後のドアを同じ幽霊が歩いているのが映る。そちらに振り返ると、今度は対角線状に幽霊が現れるのだ。屋敷という特異な構造を上手く使った演出だと思う。

clap-clapのシーンにしても真っ暗な画面にマッチ一本。観客は本映画のクリーチャーが現れるのではないか、どんな恐怖が待っているのかと期待してしまう。そして実際に現れるのは誰のものとも知れない両手だけ。これは映画の導入で期待を高めるには十分過ぎる。見ていて感心した演出であった。

この様にジャンプスケアがこれでもか、という位多用されており観客に対するサービス精神にあふれた映画になっている。それでいながら結末も期待外れに終わるのではなく、観客の期待を満たす様に設定されている。それまでジャンプスケアを多用していた分結末のアクションは一際派手にする必要があるのだが、最後の除霊の場面は呆れるほど派手だ。

こうした観客を楽しませる、という見せ方が上手い監督がジェームス・ワンその人であり、彼に対してホラー映画の担い手といったレッテルを貼ったり、下手な商業監督と決めつけることは不当だと思う。ホラー映画としては確かに乱暴な作りになっているが、実際文句なしに面白い映画だし、しっかり怖がらせる構成になっていると思う。

ホラー映画を作りたい人にとっては必見の映画だし、それ以外の方々でも十分に楽しませてもらえるだろう。変に捻った駄作映画を見る代わりに、こうした直球のホラー映画を鑑賞することを筆者は強くお勧めしたい。