知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【ランキング】2023年上半期ベスト&ワースト映画

29 (Thu). June. 2023

つむじ風の様な速さで吹き抜け、あっという間に2023年も折り返しです。此方に渡ってからというもの、筆者はめっきりニュースを見ることも無くなり映画を見て、たまに作り、本を読んで、書き物に励むという日々であり、社会から取り残された曖昧な時間にいる所為か、本当に一瞬で過ぎてしまった感があります。

充実した毎日ですが見る映画にも大変恵まれた6ヶ月だった様で、どの映画もそれぞれ新鮮な楽しみを与えてくれたと思います。その中でも特筆すべき9本、それから数少ないワースト映画を2本簡単な感想と共にまとめました。中途半端な本数ですが、無理に選出するよりも誠実で良いだろうと思います。

普段映画の紹介などはしませんが、今回はどれも実りのある映画体験が得られると自信を持ってお勧め出来る映画たちが並んでいることでしょう。

Vincent Gallo and Florence Loiret Caille in Trouble Every Day (2001)

ベスト映画

1. 牯嶺街殺人事件(1991)

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エドワード・ヤン監督が1991年に発表した、3時間57分にも及ぶ青年映画。緻密な人物描写と、堂々として力強い構築の美が魅力の作品で、「三島由紀夫の小説みたいだな」と考えながら見ていました。

映画というものは平たく言って映像(ショット)の連なりである訳ですから、小説などと違ってその材料のみに着目すれば、本質は「視覚的快楽」、「映像的詩性」とかいうものにある訳です。しかしそれらは例えば現代アートの様な作品にも備わっている訳で、やはり映画が映画として生まれ変わる為にはショットがまとまった「構造的美観」というものが、端的に言ってしまえば「話の面白さ」が必要になってくるだろうと思うのです。ですから最上の映画というのは美しい映像を毅然とした構築の上に展開する作品というものではないかと筆者は考える訳ですが、その点でこの作品の右に出る映画はまずないでしょう。

(詳しくは『文藝的な、餘りに文藝的な』、或いは『個人的な余りに個人的な饒舌』をご覧ください)

先の見えない社会、恋心、虚栄心、大人になれない子供の焦り、こうした題材が繊細に観察され、美しくまとめ上げられている。三島文学の様な力強さと儚さが同居しているのだと思います。

クライテリオンから美しい4Kリマスターも発売され、解像度の上がった映像で見られたことも幸いでした。

2. ガーゴイル(2001)

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期待していた『ボーンズ・アンド・オール』がイマイチだった筆者の心の穴を埋めてくれたのが、クレール・ドゥニが2001年に発表した本作でした。DVDに何故か字幕設定が存在せず、フランス語パートが一切分からないという状況の中で視聴したにも関わらず、即座にオール・タイム・ベスト入り確定したという位、個人的には刺さった映画でしたね。

セックスの代わりに相手を食べずにはいられないという歪んだ性欲を持つ2人の男女が導かれ合う。物語としてはこれだけですが、単純な筋立てだからこそクレール・ドゥニの超絶技巧が光っており、情欲や抑圧を言葉を介さずに伝える繊細さに心を奪われました。

というのは建前で、否、事実ではあるのですが、何と言ってもキャラクターの美しさがこの映画の最大の魅力です。

今時ルッキズムだ何だと厳しく批判されそうですが、トリシア・ヴェッセイ、ベアトリス・ダル、フロランス・ロワレ=カイユ、アレックス・デスカス。皆非常に美しい。そしてヴィンセント・ギャロの御尊顔。ティモシー・シャラメの10倍は美しい(個人の感想です...)。

そんなキャラクターが目線や身振りでアンニュイに愛し合うというのだから、美しくない訳がない。最高に幸せな101分でした。

3. TÁR (2022)

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今年公開の新作映画からはトッド・フィールド監督の『TÁR』を推したいと思います。今年は新作のクオリティが絶望的で(田舎町に住んでいる所為で見れる作品が限定的というのもありますが)、ピンと来る作品に出会えていないのですが、無条件に手放しで褒められる唯一の作品でした。

冒頭から学術用語が飛び交い、その後も終始大量の会話が、しかも多言語で飛び交う作品など脚本家目線でとても書けるものではないのですが(企画の段階で却下されるだろう為)、そこを妥協せずレディ・ターという人物を描ききった本作はそれだけでも賞賛されるべき映画です。

加えてメトロノームや赤ちゃんの泣き声を使ったテクニカルな演出と、役者陣の演技。ケイト・ブランシェットが注目されるのは分かりますが、ノエミ・メルランやソフィー・カウアーも素晴らしかった。ソフィー・カウアーなんて本物のチェリストで、映画は初出演ですよ!

講堂でのパワハラ問題や、オチの演出を巡って賛否両論あった様ですが、個人的にはターについての映画で、ターにとって正直な演出を選び続けたんだから映画としては文句なしの100点を上げたいです。

4. ミレニアム・マンボ(2001)

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スー・チーを主演に迎えたホウ・シャオシェンの作品。彼と言えば単純な長回しを積み重ねた様な作風で知られていますが、今作ではその長回しと役者、具体的にはスー・チーとの間に生まれる関係がより有機的で、力強いものになっている様に感じられました。

筋書きとしては少女の視点から語られる『牯嶺街殺人事件』といった形で、だらしないが嫉妬深い彼氏と、立場のしっかりとしたヤクザの2人の男の間を揺れ動く若い女性の物語となっています。決定的に違うのは歴史的背景で、前者は戦後の不安定な情勢の中に於ける不安というものが見え隠れしていましたが、こちらではより一般的な、若さ故の不安というものに重きが置かれている様に見えます。

例えば序盤に次の様な場面があります。彼女がシャワーを浴びている間に、携帯の発信履歴を調べた彼氏が、「何故ウチに居る時にかけなかったんだ、浮気相手だろう」と言って彼女に詰め寄り、繰り返されるそうしたやり取りに飽き飽きした彼女が、家出を試みる、という場面です。3部屋程度の小さな壁の薄いアパートで、ビーズ・カーテンや量産品の衣類に囲まれて、そうした会話が行われるのですが、その場面を凡そ10分近い長回しで収めるのです。

そこら中に染み込んだ貧乏に対する嫌悪や、失われる若さへの焦り、彼女の感じるそうした苛立ちが淡々とした長回しから炙り出される表現は極めて的確だと思いましたし、役者と近過ぎず、遠過ぎず適切な距離感の作品でもあったと思います。

蛇にピアス』などの作品が好きな人には取り分け刺さるのではないでしょうか。

5. ガール・アンド・スパイダー(2021)

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ベルリン映画祭エンカウンター部門に出品されたスイス映画(なんだけどオリジナル・タイトルはドイツ語)。方法論的に圧倒された一本で、筆者の鑑賞本数が足りないだけかも知れませんが、他にこんな映画は見たことがないという独創的な作品。

引越しの手伝いに訪れる友人や遊びにやってきた隣人、その子供などが入り乱れる小さなアパート。画面の前にはある人物が居て、作業をしたり会話を楽しんでいます。カット。カメラは180度切り替わり、先ほどまでのカメラはそこにいた別の人物の視点であったことが知らされます。そして彼/彼女の隣にキャラクターが侵入し、役者が交代。しかし続くショットによって彼らの物語もまた誰かに見られていたものとなるでしょう。

この様な手法で巧みに視点を移動しながら紡ぎ上げる群像劇は、淡々と進むにも関わらず不思議な緊張感に満ちています。これだけでも十分に面白いのですが、更に興味深いのが記憶の取扱い方。

例えばある場面で主人公の女性が、元フラットメイトで引っ越してしまう女性の写真を割ってしまう場面があるのですが、一日の終わり、カメラは誰もいなくなった部屋、床の上に落ちた写真を捉えるのです。他にも物語の中で登場した小道具がダイジェスト的にモンタージュされます。

これは入り乱れる人間関係と感情が、物体に並行移動することで、オブジェクティヴ(object的≒客観的)な物語へと移動しているということでしょうか。そもそも物語の舞台自体が「引越し」であり、設定自体がモノ・空間的です。そして場を移動することで浮かび上がる人間模様を誰かの視点=カメラの視点と擬似的に同化させて伝える、という試み自体がオブジェクティヴだと言えるかも知れません。

モノの陰に潜むヒトを捉えるという試み、筆者はこの映画をその様に受け止めましたが、如何でしょうか。作家というのは往々にして人を描こうとするものですが、そこから一旦離れカメラの客観性という了解を切り崩しつつ、最終的に人に帰ってくるという手腕は素晴らしかったと感じました。

こう書いてみるとロブ=グリエの『嫉妬』なんかと似ていなくもない、様な気がしなくもない様な.....

説明が非常に難しいですが、新鮮な驚きにあふれた一本でした。

6. リバー・オブ・グラス(1991)

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ケリー・ライカート(ケリー・ライヒャルト?)が1991年に発表した処女長編。アメリカのインディペンデント系作品ということでジム・ジャームッシュとの比較がなされることもある様ですが、個人的にはハル・ハートリーにより近しい監督かと思います。

フロリダの片田舎、2児の母、その父でやる気のない警察官、半端者。3人の運命が絡み合います。ある日父が落とした拳銃を事の成り行きで手にした男は、バーで知り合った女(主人公の母親)に声をかけ、侵入した邸宅で酔いの中発砲します。その弾丸が住人に命中したと気づいた2人はそのまま投げやりな逃避行に繰り出し、また責任を問われた父親は実の娘を捜索することに、というのが筋書きです。

ロードムービーが体現する倦怠を主婦の毎日と結びつけ、更にアメリカの労働者階級が持つ停滞感と繋げてみせる手腕は圧巻で、その点センスが全面に出るジャームッシュではなく、生粋のGodardian(ゴダール支持者)であるハル・ハートリーの方が近しいでしょう。物語の組み立ては十分に意識的です。

その上で筆者が強調したいのは「外さないオフ・ビート」ですね。哺乳瓶にコカ・コーラを詰めて飲ませたり、拳銃の管理を怠ったり、強盗に入ったコンビニで別の強盗に襲われたり、という場面は緩い空気と笑いに満ちていますが、その一方で嫌らしい笑いでもあります。シンボリズムという程あからさまではないが、コメディとして外し過ぎている訳でもない。

皮肉と能天気さの間での絶妙な綱渡りに筆者は監督のセンスを最も強く感じました。スパイダーマンガーディアンズ・オブ・ギャラクシーといった映画で特に顕著ですが、わざとらしく一拍置いたオフ・ビートな笑い。こうした笑いが最近の作品にはあり触れている様に感じています。そして気取ったオフ・ビートな「クール」は下品なわざとらしさと紙一重でもあります。

近年のコメディ作品とは一線を画した繊細な語りに筆者は心を奪われてしまいました。"Showing Up"が発表された中で、"First Cow"は劇場公開されるんでしょうか...

7. 胸騒ぎのシチリア(2015)

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筆者のお気に入りの監督トップ3に名を連ねるルカ・グァダニーノティルダ・スウィントンダコタ・ジョンソンと後に『サスペリア』で共演する2人と先立って撮影した映画が本作です。

グァダニーノ作品に関しては賛否がはっきり分かれることも多く、彼を肯定する場合にはその技術力の高さとエモーショナルな美しさを、批判する場合には演出の底の浅さとセンチメンタルなわざとらしさを指摘することになるのでしょう。そのどちらも的を射ているとは思うのですが、グァダニーノ映画の本質は恐らく全く別の所に、具体的には「彼の幸運さ」を楽しむ所にあるのだろうと筆者は考えます。

真っ先に思い浮かぶシーンとしては矢張り『君の名前で僕を呼んで』から、最後にティモシー・シャラメが暖炉の前で涙するシーン。確かに彼の演技力を賞賛することも出来るのでしょうが、どちらかと言えば環境的な力の作用を、その場一回限りのマジックの様な力を筆者は強く感じました。他にも『サスペリア』ではダコタ・ジョンソンの身体に全ての怪奇を委ねることで、ただただ主人公が恐怖し翻弄される原作から差別化して彼女の物語へ昇華することに成功しています。彼女がベット側に佇むだけのショットで母なる力を感じさせる場面には絶対的な面白さがありました。

そして本作はその「ラッキー」が最も強烈に強烈に作用している映画と言えるでしょう。展望台でタバコを勧めるダコタ・ジョンソン、目線だけで「真実」を伝える終盤のディナー・シーン、カラオケに興じるレイフ・ファインズ。どれも素晴らしかったです。筋立てから考えると125分という上映時間は長過ぎるし、自ら「欲望3部作」を自称している割には欲望の捉え方もイマイチで恋模様にスリルの欠片も無い。

ですが、それら全ての欠点を差し置いて役者の演技で全てを解決してしまうという力技。ある意味最も映画らしい映画ではありませんか。彼の監督としての才能に屈服し、ベストに入れないという訳にはいきませんでした。

8. ダムネーション - 天罰 - (1987)

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ハンガリーを代表する監督、タル・ベーラが手掛けた一応のノワールもの?

タイタニックと名付けられたバーで"It's all over"と歌う女歌手に惚れ込んだ男の物語。『サタンタンゴ』のお陰かすっかり彼の代名詞となった長回しが冒頭から輝いています。

レールに乗ってゴンドラ(石炭を運ぶトロッコだと後に判明)が流れる風景、単なる場面設定かと思いきやカメラが徐々に交代し、窓枠越しのショットであったこと、そしてその退屈な部屋に住む男が髭を剃る様子に繋がっていく。一度彼が外に出れば、うら寂しい打ちっ放しのコンクリート・ビルに雨が降り注ぎ、その泥水の中を野良犬が駆けて行きます。

そんな世界は(スロバキア監督ですが)イヴァン・オストゥロホヴスキーの『神に仕える者たち』(2020)といった近年の映画にまで共通し、或いは(チェコ出身ではありますが)ミラン・クンデラといった作家の作品にも共通する東欧社会そのままである様に見えます。殆ど一緒に見えるのは、筆者に東欧理解が足りないからかも知れません。

ともかくそんな共産主義圏で、世界に絶望し協力者=労働者となることを拒んだ男の前には、自己本位な愛を注ぐ女性だけが写っています(そしてこの女性もまた同様に破滅した存在でもある)。そんな彼が女性の「ある行為」を目撃してしまった時、それは完璧な喪失であり社会に対する屈服ともなるでしょう。

映画を代表する最後の衝撃的なカットには、体制の「犬」となってしまったことのやるせなさ、そして東欧社会の閉塞感が等身大で映し出されている様にも見えました。中弛みを感じる場面もありましたし、そうした場面では長回し裏目に出てしまった感もありました。とは言え全体のクオリティとして見れば圧倒的、文句なしのベスト映画です。

9. ザ・ホエール(2022)

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今年公開の新作からもう一本、ダーレン・アロノフスキー監督の映画です。本作に関しては(先に挙げた『TÁR』を除いて)伝えようとする感情にしっかり重みがあったという点を高く評価しており、しっかりと身体を用いて映画の先へ、先へ踏み込もうとしてくれたという事実が素晴らしいと思えてのランクインとなっています。

筆者の住むイギリスを始め、日本でも今年最も高く評価された映画といえば『aftersun/アフターサン』だろうと思うのですが、筆者にはどうしても認められない、認めたくないと思う部分がありました。幼い娘が見つめる父の姿、そこには(恐らく無理に頑張って)よき父親であろうとする優しさと、壊れそうな胸の痛みがありました。なぜ彼が夜の海に消えていったのか、娘のベッドで寝る彼と本当に同一の存在なのか、時系列はどうなっているのか、ダンス・フロアで共に踊る人物は誰か、それは決して明確にはなりません。その必要もないでしょう。そして娘の目線に込められた思いや、父の苦悩が偽物だったというつもりは毛頭ありません。

しかし『aftersun/アフターサン』が『aftersun/アフターサン』としてでしか語れないのは何故なのでしょうか?詰まり劇中で描かれている感情が映画の枠内に留まり、フワフワとした軽さを以て観客自身に働きかけないのは何故なのでしょうか?結論から言ってしまえば「取り扱う感情に重さを与えず、観客に対して流動的であろうとしているから」だと思う。それは好意的に受け取れば観客に委ね、押し付け型の表現をしないということですが、ネガティヴに捉えれば主体が欠けており、作品の持つ本質的な力を弱めているということでもあります。

「そもそも何かを伝えたいと思うから作品を作るんだろ?等身大のエゴイスティックな表現だって良いじゃないか。人に気を遣う位なら、どうして公開するんだ?」

筆者としては感情自身に重さを与えて、作品に対してより観客の内側へ踏み込んで欲しいと思っています。長くなりました。公開される新作がそうした「気を遣った」作品が多い中で、『ザ・ホエール』は数少ない重みのある映画であったと思っています。恐らくは主演を務めたブレンダン・フレイジャーの肉体のお陰でしょう。娘の方を向こうにも首がまわらない苦しみ、突然息の出来なくなる恐怖。

正しく映画が語りかける通り、カギカッコ付きの、映画の中だけの「真実」ではない、真実が見えた映画だったと思います。フィルモグラフィーの中では目立たない作品だとしても、今年を代表する映画として褒めるべきなのかなと思いました。

 

 

ワースト映画

1. 桜桃の味(1997)

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今村昌平監督の『うなぎ』と並んでカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した、実績的には文句なしの名作。しかしながら個人的には構造的にも、作品の質としても大きな問題がある様に感じました。

まず構造的な欠陥として、本作は2つの矛盾するアプローチを並行して選択しているという点が指摘されるでしょう。

自殺を決意した主人公が翌朝自分に土を掛けてくれる協力者を探す、というプロットなのですが、クライマックスの場面。主人公は報酬の入った自分の車の代わりにタクシーで現場まで出向き、それ以前にも協力者に「石をぶつけてくれよ、生きてるかも知れないから」などと語りかけます。ここで見られるのは死を前にした人間味であり、生の香りです。甘ったるいロマンティシズムです。対して人というのはもっと簡単に死んでいくのです。

それでは、ロマンティシズムとして例えば『人間失格』の様に彼の人生が展開されるのかと言えばそういうことはなく、上映時間の殆どは主人公が如何にして自分には死ぬ権利があるか滔々と語り、協力を仰ぐのみです。我々が聞くのは一種の存在論、神義論であり、自殺が如何に正当化されるのか、この問題が議論される。撮影的に見ても、脚本的な最後の落とし所を見ても此方が作品の意図である様なのですが、だとすれば最後に見える甘ったるさは余計だろうと。

そして作品の質としても問題があり、展開される神義論が薄い。油取り紙と同じ位に薄い。真剣に描き切る覚悟がないなら自殺なんて思いテーマを扱うんじゃないという話ですね。

名作だとの評を聞いて鑑賞した初キアロスタミでしたが、苦手意識を持ってしまう結果となりました。

 

*こちらの作品もCriterion Collectionから4Kレストア版が発売されています。添付の動画と比べて数倍の画質でご覧頂けます。

2. 正しい日 間違えた日(2015)

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同じく初めて挑戦した監督の映画で失敗したのが此方、ホン・サンスの作品ですね。上にも述べた通り、映画にはある程度の「構造的美観」というのが必要である様に思います。それは主題の統一かもしれないし、様式の統一かも知れず、或いはそのどちらでもあるかも知れませんが、とにかく何らかの構築への意識が存在するべきではないでしょうか。

そして本作は、「女性と上手くいかなかった一日」を「上手くいった一日」に比較させることで全体の構造を打ち立てようとしているのですが、そもそも関係性というのは「上手くいく/いかない」という描き方をするものではありません。関係性というのは飽くまで間にある記号であって、そこに友情やら愛やらが乗って初めて意味を持つのです。

だから「上手くいく/いかない」という構図を作った以上、「何が」という疑問に答えなければありませんが、それがない。よって構築に美しさがない。

下心丸出しの映画監督が女優にsexをせがむ、という内容であればまだ気持ち悪いと断じて終わりに出来ましたが、ふんわりと対照的な2つの事例を並べて人を描けたと思っているのは自分に自信がない証拠でしょう。不倫までして何度も映画撮ってるんだったら、それに見合う中身を詰め込んで欲しいものです。