知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【映画解説】意外と知らない撮影方法トリビア4選(鏡、血糊、濡れ場、一人二役)

15 (Sun). January. 2023

皆様、あけましておめでとうございます。と言っても大分時間が経ちましたが。新年1発目の記事ということで年始の挨拶から始めようかなと。

今日の記事はすぐに読めるものを、映画の中でよく見るショットでありながら意外と撮影方法が不思議な4つのショットについての簡単な説明を準備しました。タイトルにもある通り、鏡(ミラー・ショット)、血糊、濡れ場、一人二役の4種です。

早速本編に移りたいところではあるのですが、その前に冒頭少しだけお付き合い頂いて2023年の抱負を少しだけ記しておこうかなと思います。

  1. 脚本向けオープンコースに参加
  2. 脚本を3本(以上)仕上げる
  3. 脚本コンペに挑戦する
  4. 一回以上製作現場に参加する
  5. 交流を広げる

最後だけ何だか曖昧ですが、要は色んな場所に顔を出していこう、という事です。イギリスにはBFI(British Film Institute)という機関がありますが、その公式ホームページから1つ目、脚本家向けのオープンコースに参加することが出来ます。また3つ目、彼らが取りまとめるコンペに応募することも出来、有名どころではBBCNetflixtiffトロントの方)などが主催するコンペに応募が可能な様子。当然倍率も高いと予想はされますが。

なので今年の目標は自分で脚本を書いて、しっかり書き終えること。その間にプロの指導を受けつつ、本格的なものがを作れる様に勉強すること。そしてコンペに出しても満足だと思える様な脚本に仕上げる、推敲し完成度を高める、という経験をしてみること。

これらを軸に頑張りたいな、というのが今年の抱負になります。その過程で製作現場でのボランティアなんかに挑戦出来ればより学びも深いでしょう。1番、3番、4番に関してはブログでも取りまとめて発信していけたらなと思います。

また1~4番に取り組む中で5番、色々な方とお会いして一緒にお仕事をしていきたいな、という希望もあります。此方での活動が当然メインにはなりますが、日本の方でもお声がけ頂ければ可能な限りお答えしていきますので、是非2023年も宜しくお願いします。今年最後の記事で反省会なんか出来たら素晴らしいですね。

さて、それでは前置きは終わりで本編へ、ミラー・ショットの解説に移りましょう。

Vincent Cassel in La Haine (1995)

因みに今回の記事ではCGIメインの撮影には触れません。ビジュアル・エフェクト込みで話をするとややこしくなる、というより如何なる表現も出来てしまうので。それだと企画として面白味が無いですよね。飽くまでグリーンバックではなく実際に撮影する方法だけを取り上げます。

鏡(ミラー・ショット)- 憎しみ(1995)

映画の中で5本に1本は鏡を使ったショットがあることでしょう。そしてその内4本に1本は正面から鏡に向かい合うショットがあるのではないでしょうか。数字は適当ですが、それでも鏡が登場する映画は少なくない筈。そして鏡が登場するということはカメラも映っている筈ですが、当然そんなことはありません。例えば次のショット。

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カメラが背後から迫ってきているので、当然鏡に映るヴァンサン・カッセルの後ろにはカメラが映る筈ですよね。どの様に撮影したらカメラが消えることが出来るのか。

実は物凄くシンプルなテクニックで作られていて、この正面に映る青年。彼はスタント・ダブルです。そして鏡に見える部分には本当のところ何もありません。虚像に見せかけたヴァンサン・カッセルは本物のヴァンサン・カッセルで、偽物の彼とテンポを合わせて演技することで反射の様に見せ、その間カメラは何もない空間を通り抜ける、という訳ですね。

当然セットで左右対称の空間を、俳優を挟んで作る必要がありますからこのシーンはセットで作られているということも分かります(鏡があるべき場所を中心に全く同じセットを反転させて作るイメージ)。バンリュー映画でありながら、しっかりセットで撮っているというのがリアルな舞台裏です。

因みに最近の映画ではこうしたスタント・ダブルを使ったミラー・ショットにCGIを加えて鏡の四つ端の歪みを強くする様な編集を施すことが多いです。仕事が細かいですよね。勿論グリーン・バックのみで撮影することも多いですが、こうした部分部分でのCGI使用ということもあります。

血糊 - ゴッドファーザー(1972)

大量出血であれば特殊メイクだな、と分かり易いものですが、少量の出血となると却って撮影方法が不思議に見えるものです。例えば次のシーン。

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特殊メイクにしてはシャツの上にくっきり流血の跡が残り過ぎだと思いませんか?仮に特殊メイクを人体の上に施し、裏から血糊を流しているとするとシャツの染みはもっと大きく広がってもおかしくない筈。この綺麗なラインはシャツの上から血糊を流しているとしか思えない。となると答えは一つですね。

そう、ナイフに細工を施している場合です。これは特に古い映画にありがちなテクニックなのですが、現代の様に皮膚に密着した傷痕をメイクで作り出血させることは当時は難しかった様です。そこでナイフの裏側、今回であれば恐らくスーツの袖口からロバート・デ・ニーロの掌に細いパイプを通し、そこから流血させる、という手法が一般的でした。

特にクロース・アップで撮影している場合、役者のナイフと反対側の手は隠されているのでそちらにシリンダーを設置するなど工夫が出来ました。このシーンはミディアム・ワイド・ショット気味に撮られているので、実はちょっと難しかったのでは無いかと推測されますね。フレーム全体の色味もオレンジで統一されているので、血糊も普通の赤-オレンジではなく、青を足した様な色に変更している筈ですし、となればスクリーン・テストも一定数こなしているでしょう。こうした細かな技術力が名作と呼ばれ語り継がれる一つの要因でもあります。

濡れ場 - 氷の微笑(1992)

中々正面切って考えるには気まずいトピックですが、それでも「どうやったらこんなシーンが撮れるんだ?」と疑問に思ったことは、一度や二度ある筈。『氷の微笑』の冒頭など良い例ではないでしょうか。

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流石に当該シーンを貼ることは出来ないので、予告編を。見ている観客としても気まずい瞬間ですが、実際に演じる役者にとっても相当に気まずい撮影であることは事実で、そしてそれは撮影の為、というよりも準備の大変さによるものでもある様です。

事前に俳優は体のどの部分を撮影しても良いか、撮影時間はどの程度か、撮影方法はどの様なものか、といったことを確認し契約を結びます。又リハーサルに当たる以前に監督・俳優などで打ち合わせ(コレオグラフィーと表現する)を行うことも多いでしょう。

さてプロダクションに入ると、The modesty patch(日本語で言う所の前貼りに当たるのでしょうか?)という小道具が活躍します。ストラップ・レスのブラジャーの様な簡単なものから、特殊メイクでカバーをする様な高度なもの(マリリン・マンソンのアルバム、メカニカル・アニマルズのジャケ写を参照)まで多種多様、目的に応じて使い分けられます。特に男性器に対するthe modesty patchは必要不可欠で、俳優のプライバシーを考慮するという意味での必要性は男女同列ですが、カメラに対する写りやすさ、という観点で男性側の撮影はより難しさを伴います。

氷の微笑に関しては、恐らくマイケル・ダグラスバンド・エイドの様な素材で出来たベルトに似た器具を装着しての撮影、シャロン・ストーンは特殊メイク寄りの器具を使用しているのかな、と思われます。下腹部や太腿までカメラに収められていることを考えると、そしてsex doubleのクレジットも無いということで、本人による演技だったと考えても良いでしょう。

余り表立って語られる仕事・撮影法ではありませんが、実は奥が深い、非常に大変な仕事だろうと思います。

一人二役 - 戦慄の絆(1988)

Us、複製された男、アダプテーション、レジェンド 狂気の美学、一人二役で且つ同時に出演する映画は一定数存在します。博士の異常な愛情サスペリア・リメイクはシーンが被らないので理解出来ますが、2人同時にスクリーンに映る場合どの様に撮影するのでしょう?答えを言ってしまうとCGIなのですが、今回はCGIは除く、ということで戦慄の絆、という映画を取り上げてみます。

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良いクリップが載っていないな、と思い探していた所、撮影監督Peter Suschiztyによるコメント付きビデオを発見。丁度双子が同時にスクリーンに映るシーンも確認出来ます。

彼が語っている通り、使われているテクニックはスプリット・スクリーンというもので、要は同じシーンを2回撮影し、例えば1回目はジェレミー・アイアンは右側に、2回目は左側に、といった風に撮影した上でその2枚のフィルムを切り取って、真ん中でくっつけてしまう、という手法です。背景をピッタリ揃えて撮影する必要があったり、1度目と2度目で俳優の動線が被ってしまわない様に調整する必要があったりと難しい撮影が要求されるテクニックですが、実は昔から存在する技法であり、メリエスが"Four Troublesome Heads"という映画で披露していたりもします。1898年の映画ですね。

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想像される通り非常に編集の手間もかかり、撮影も難しい、という事で近年はCGIを使うことが一般的になっています。撮影中はDouble(代役の俳優)が演じる間、彼の顔の動きをセンサーで感知し、ポスプロで本物の俳優の顔をCG再現したものをトレースする、というやり方になります。これは例えばアバターのNa'vi(青い皮膚のほう)の撮影であったり、パイレーツ・オブ・カリビアンデイビー・ジョーンズの撮影にも応用されているものですね。

 

という事で今回は以上の4種類になります。CGIを嫌って何でも実写で撮ろうとするノーランは流石に異常だと思いますが、それでもこうして工夫を凝らして撮影している舞台裏を知るのは面白いものです。特に古い映画を見てみる際には、CG無しでどうやって撮影しているんだろう、と考えてみることも一つ興味深い見方になるかも知れません。

 

【ランキング】2022年ベスト/ワースト映画

31 (Sat). December. 2022

2022年も間もなく終わり。歳を重ねるにつれ一年が早く過ぎて行く様な気がしてならない。

ついこの間までは高校生で、息切らせる様に生きていたけれど、学校に部活に、課題にと全身で楽しんで疲れることはもう無くなった様に思う。その代わりと言っては何だが、進んで無茶を重ね、今年は単身で留学、住む場所も環境も大きく変わってと記憶に残る一年だったと思う。

正直に言ってどれだけ英語が上達しようが彼らの事を全く理解できる訳ではない。時には話に入れなかったり、上手く相手に言葉を届けられなかったりするが、それでも映画の話をしている時は彼らと全く同じ立場で話せていると感じる数少ない瞬間。一層映画を好きになった一年でもあった。

来年は本格的に現場に出たり、短編を撮ったり、コンペに出てみたりしたいな、と思いつつ浴びるように映画を見ることも少なくなるのかなとも考えると、やっぱり今年は凄く意味のある一年だったのだろう。ということで今年のベスト&ワースト映画だ。ありがたい事に先日の記事が好評だったが、彼らと比べて私の映画評にも是非お付き合い頂きたい。

sailcinephile.hatenablog.com

Guilliaume Depardieu in Pola X (1999)

以下は全て筆者が今年見た映画。新旧混同。数字に特に意味はない。

ベスト映画トップ10

1. トップガン:マーヴェリック

先ずは今年の主役、トップガン:マーヴェリックから。これは間違いなくベスト映画の一本である。というよりこれをベストに入れなければ映画について物を書く資格は無いだろうと思う。

「今の時代に映画を撮る上で最も難しい事は何ですか?」

昔のインタビューでクエンティン・タランティーノは、観客を2時間映画館に拘束することを如何に正当化するかだ、と答えていた。彼曰く家に居ながらにして好きに映画を見ることが出来る様になった。映画のチケット代も高くなった。今では他のコンテンツもある。そんな時代に観客に映画館に足を運んで貰い、2時間をそこで過ごすことに納得してもらうことが一番難しいと語っていた。

トップガン:マーヴェリックは近年、というより配信時代で一番上手に観客を説得した映画だと思う。この数年、暗い時代に一番映画の力を見せつけた映画だと思う。だからこの映画が大好きだし、間違いなく今年最も評価するべき映画だと思う。

2. Crimes of the Future

同じく今年公開された映画の中で、最も優れていた映画は何か、と聞かれたら筆者はCrimes of the Futureだと答える。日本では未だに公開日すら決まっていない様だから、若しかしたら公開されることも無いのかも知れない。だとしたら本当に残念なことだ。この映画が傑作であるからこそ、尚更に。

デヴィッド・クローネンバーグは本作に於いて西洋哲学の根本命題の一つに全く新しい解答を与えてみせた。その命題とはつまり人間の肉体と精神は二つながらにあるか、それとも一体として存在するか、というものだ。

映画の中でもこれまで性の解放を以て肉体と精神を対置してみせたり、或いはその逆を唱えたりする試みが見られた。しかしクローネンバーグは今の時代に両者どちらも意味はないと喝破してみせた。少なくとも私にはそう見えた。

肉体の全てが医療技術によって再生、移植可能になり、そして精神も高度なレベルで電子的に再現できる様になった。将来的には精神移植も可能になるかも知れない。そんな時代に肉体だの精神にこだわってみせたって何の意味があるというのか。セックスすることは他人と関係を持つことを意味しないし、セックスしないことが精神的な紐帯を意味する訳でもない。そんな時代に人間性とはどこに顕現するのか。こうした問題を具に考えた映画が、Crimes of the Futureではないかと思う。

「手術は新たなるセックスだ」というキャッチフレーズが空回りしているが、その本質は臓器移植手術が侵入する/されるという関係性を持っている所にあって、単なるボディホラーを超えた難解な、けれども興味深い、今年最も印象に残る作品だった。

3. わたしたちのハァハァ

Crimes of the Futureが最も印象に残った映画だとしたら、こちらは最も好きな映画、個人的に気に入った映画かも知れない。優れた映画でもない、皆にとって特別な映画でもない、それは分かっているけれども個人的に大好きな映画。

この手の映画には本当に弱くて、毎年必ずこうした青春映画に出会い、何度も見返している。松居大悟監督が手がけた本作はクリープハイプが大好きな女子高生が家出して福岡から九州まで彼らのライブを目指して旅する模様を描いた映画。

クリープの音楽も本当に格好良いし、何より登場人物全員がとてもよく描けていたと思う。例えば池松壮亮演じるドライバーが「世間は危ないんだぞ」と教える場面。相手は彼氏持ちの「八方美人」タイプの女の子なのだが、その子がサラッとキスしてみせたりする。そしてこの場面は二度と直接的に触れられない。

サラッと見てしまいがちだが、下手な映画だと一番ビッチな女の子、可愛い女の子にキスをさせたりする。そうして後々あの時キスしてたでしょ、みたいな火種を作りがちなのだが、世の中そんな風には回ってないし、そんな人間ばかりではない。演じた女優たちのことを松居大悟監督は本当によく見ていたんだろうなと思う。

そしてエンディング。LOVE&POPの明らかなオマージュなのだが、これが決定的に良かった。LOVE&POPと言えば村上龍原作の援交JKの物語だけれど、綺麗な指輪でも、彼氏でも、おしゃれなカフェでも、SNSでもなく、クリープで輝く女子高生がいるんだ、という意気込みが感じられた気がして、何だか嬉しくなった。概念を弄ってセックスさせたり手を繋がせるのは良いけど、実際の青春映画はこうあるべきだろうという意味でベスト映画に選出。恋空とかと比べて欲しい。あちらも嫌いではないけれど。

4. クリスチーネ・F

わたしたちのハァハァと同じ様な理由で好きなのが、こちらの西ドイツ映画。センセーショナルなドラッグ描写が注目されがちだが、その本質は若さ、クリスチーネという女性にあると思っている。考えてみれば当然のことだが、ドラッグ映画であっても主役はドラッグではなく飽くまでそれを摂取する人間にある。ドラッグというテーマでありながらもクリスチーネという女性を丁寧に見つめているんだろうな、と感ぜられる部分が良かったポイント。

クリスチーネに対して印象的なミッド・クロースアップが多く、しかもそこそこの長回しで彼女をカメラが見つめる。ドラッグに溺れる惨めな女の子でもなく、若気の至りで過ちを犯す女の子でもない、自然で近くに寄り添った撮り方に個人的には心動かされる部分があった。青春映画として十分に通用するものがあると思う。

5. Dolls

こちらは年の瀬ギリギリに見た一本。北野武監督、西島秀俊菅野美穂深田恭子らを迎えた豪華な映画である。どうやら余り評判は良くない様だが、個人的には非常に優れていると感じた。

何と言っても撮り方、繋ぎ方が良い。ヤクザの親分が歩いて来て、後ろから殺し屋が。銃を構えて撃たれた、と思えば川を流れる一枚の紅葉の葉につながり、と言う様なショットの繋がりは口で言うほど簡単なものではない。斬新で今見ても新しい、というよりは真似するのが難しいユニークな映画だと思うし、何よりそれだけ乱暴なカットでありながら、登場人物にしっかり寄り添っている点が素晴らしいのだ。

どうやら狂った愛だ、現実離れしている、等の感想があるみたいだけれども本当に狂った愛であればカメラが、音楽が、演出がここまで寄り添える筈がない。たとえ現実世界ではあり得ない愛の形であったとしても映画内ではこんなに丁寧に描かれているのであって、その手腕を誉めるべきではないだろうか。映画でいう狂った愛というのは撮っている側も理解していない様な、訳がわからないものである。そして大なり小なり映画内の恋愛は現実離れしている。仮にリアルに体感できない恋愛を受け入れられないというならば街へ出て自分で恋愛してはどうか、と言いたい。

6. 胸騒ぎの恋人

ドランの監督作、こちらも恋愛映画だがDollsとは随分毛並みが違う様に見える。見える、が実際そうは違わないのではなかろうか。

胸騒ぎの恋人で描かれる恋もハナから成功の見込みはない。何かが成就する見込みはなくて、そしてどちらの登場人物もその事を理解していながら分からないふりをしている。ドラン自身が演じるキャラクターが思い人の部屋でアレをする時も、モニア・ショクリ演じる女性がタバコを吸う時も何処か痛々しいのはお互い自分が何をしているか分かっているからだろうな、と感じた。

相変わらずドランの感受性は凄まじいし、表現できない微妙な感情を写す能力はただただ脱帽するばかりだ。たかが世界の終わり、の中でその才は最も発揮されていたと思う。その後どうにもパッとしない作品が続いているのは天才ゆえの悩み、名付け様のない感情にな目を付けたいという葛藤なのかなとも考えてみたり。

7. 鏡

教科書的な名作からも一本。アンドレイ・タルコフスキーの鏡だ。これは夏頃、新文芸坐のオールナイト上映で見た一本で満杯の観客に不思議と嬉しくなった思い出がある。特に筆者の6列くらい前に座っていた三人組で、同い年ぐらいの若い女性2人と男性1人で物凄く熱心に見ていた彼ら。二十歳かそこらでタルコフスキーのオールナイトニ付き合ってくれる友達が2人も居るというのが羨ましいし、その後あれだけ熱心に語り合える情熱があるというのも素敵な事だと思う。

それは別としてこの映画、カットが革新的である。AからA'、BからB’、B'からCという風に少しずつ位相をずらしながら物語を紡いでいくのだが、それら全てがごくパーソナルな領域に留まっている。留まっているのだけれど、そこにはロシアがあり、歴史がある(敢えてソ連とは書いていない)。この思いだし装置の様な、カラクリ箱の様な、何かが圧縮された装置があって物語がそこを通ることで縦横無尽に歴史が広がりつつ主軸はパーソナルな物語に留めるという語りに感心した。

能だったか狂言だったかにも似たような語り口があると聞いたことがあるが、果たしてどちらだったか。勉強不足である。ともかくその凄みを存分に感じられるという意味で鏡は今年見た中でもベストの映像体験に入るだろう。

8. アンダー・ザ・スキン 種の捕食

映画の冒頭、恐らくはスカーレット・ヨハンソン演じるエイリアンの誕生だろうと思われる映像詩が流れる。言葉を学び、服を着ることを学び、そしてデパートの中を彷徨う人間を観察する。初めての捕食のシーン、彼女は犠牲者の女性の涙を見る。しかし、彼女の関心はその横、犠牲者に付着していた虫にある。

この映画もまた広義では愛についての物語なのだと思う。「ルッキズムが〜」、「資本主義社会が〜」と語ることも出来るようだけれど、筆者はそんなディテールよりもスカーレット・ヨハンソンが人を愛することを、人間とは何かを学ぶ過程に心動かされた。

だから締めくくりのシーン、彼女は自分の頭部を大事そうに抱え込んでいる。そしてその涙を共有している様に思える。正しく成長だ。シン・エヴァンゲリオン綾波レイ(そっくりさん)の物語に似ているかもしれない。

何故、どの様にしてスカーレット・ヨハンソンが自分の頭を抱えるのか、自分の涙をどの様にして見るのか、ここでは説明は出来ないが気になった方には是非鑑賞して貰いたい。綾波ファンにもオススメ出来る映画だと思う。

9. 失楽園

この映画には大好きなシークエンスが幾つかあって、その1つは例えば映画序盤、左遷された役所広司が同僚と茶を飲みながら如何に暇を潰すか語り合う場面。キャスト1人1人にしっかりとカメラを当て、下手に切り返しなどをしない。画面の全体から冗長さが伝わってくる。

他には葬式終わりの黒木瞳役所広司の待つホテルに向かう場面。街並みを駆ける黒木瞳とホテルで忙しなく待つ役所広司が交互に移されるのだが、そのテンポ感が良い。そして最も大切なのは情事の後、役所広司が心ここにあらずといった表情でタバコを吸うショットがあることだ。このワンショットで話が一つ落ち着いて、グッと物語に親近感を持たせている。こうした些細なショットを挿入できるかどうか、傑作と凡作の違いであるのではないだろうか。

2人の新しい住処で手料理を食べる場面、クレソンと鴨の鍋を食べる所も良い。同じ役所広司でもCUREでは、日本映画然としながらも西洋映画のエッセンスを感じる部分があって、長回しにも何処か緊張感が漂っている。言ってみれば間(ま)がないのである。しかし失楽園では間を楽しむかの様な暇があって、それと同時に細かくカットされた濡れ場もある。最後の場面のモンタージュは非常に複雑に作られていると思ったし、その緩急が非常に自分に合っていたのだろう。昔に流行った映画、というだけの評価をされている様に思うが紛れもなく素晴らしい映画で、今では過小評価されてしまっている映画だと感じた。

10. ポーラX

最後、レオス・カラックス監督の第4作目のポーラXを挙げたい。筆者にとって今年最も出会えて良かったと感じる映画である。そういう意味でこの10本の中では一番高く評価しているかも知れない。

ハーマン・メルヴィルの小説に緩く基づいた映画で、遺産で何不自由なく暮らしていた青年が1人の女性と出会い、それまでの全てを投げ出して彼女との暮らしを初める、そんな物語だ。そして物語の肝は全編を通して漂う死の香り、特にカテリーナ・ゴルベワが纏うそれであると言って良いだろう。この死の香りというのは何も筆者が考え出した厨二病じみた概念というのではなくて、ジャン・コクトーの名作、『恐るべき子供たち』で表明されているものだ。

小説の中で主人公たる少年たちの部屋には常に死の香りが漂っている。その香りは避け難い呪縛の様なもので、母親を殺し彼らは孤児となってしまう。奔放な暮らしが極まるにつれ、その香りは濃くなっていき、エリザベート(主人公の姉)の結婚相手、ミカエルもまた死の香りに捉えられてしまう。そして最後にはその香りが彼ら自身をも滅ぼしてしまうのだ。

ポーラXでも『恐るべき子供たち』同等の避けられない運命、悲劇の予感が全体を支配している。それは確かにポンヌフや汚れた血にも共通してた要素かも知れないが、ポーラXでは死の香りが単なる雰囲気ではなく物語として、映画の肝として作用している。この点に感動したし、筆者には刺さるものがあった。

*これは余談だが、筆者は太宰治が大好きだ。彼ほど人間臭い作家もいないと思うし、その一語一語から書く苦しみが滲み出ている。一挙手一投足の全てが嘘でありながら、それが嘘である故に真実が見える。何故彼が嫌われているかも分かるし、一流の作家とみなされないのかも理解できる。しかしそれでも筆者は太宰が好きだ。

同じくポーラXは一般的に駄作と考えられている。そしてその理由もよく分かる。ただ非常にパーソナルな映画で、太宰を好きになるのと同様の理由で筆者はこの映画が大好きだ。両者に全くの関係は無いが、太宰を愛せる読者はこの映画も愛せるのではあるまいか。

(特別枠)呪詛

トップ10に入れる程ではないが好きな映画が、呪詛、日本の夏を席巻した映画である。所々脚本に不備もあるし、ノイズも多いが、それでもPOVホラーを超えて観客に直接繋がる構造は面白いと思ったし、広く大衆にアピールする力は評価するべきだろう。

例えばラース・フォン・トリアードッグヴィルリューベン・オストルンドの逆転のトライアングル。観客と映画の地平を揃え直接語りかける手法は見られるが、こうした映画はどうしても理屈っぽくなりがちだ。その問題点を乗り越えてシンプルに「怖がらせる」ことだけに特化した映画はこれまで余り無かった形の表現ではなかろうか。

ワースト映画5

1. ハウス・ジャック・ビルト

ワースト一位はぶっちぎりでこの映画、ラース・フォン・トリアーのハウス・ジャック・ビルトである。これは考える間もなく真っ先に思い浮かんだワースト映画だ。

この映画何は酷いかといって、マット・ディロン演じるキャラクターの理屈然り監督の演出然り全てがダサいのだ。冒頭からウェルギリウス神曲を反転構造にしていることは見え見えだし、歪な建築論や街灯と影の話にしても逆説の面白さがない。人類の遺産の稚拙な引用、見えすいた逆説になっていて子供の言い訳を見ている様な気分にしかならないのだ。

これが普通の監督の映画ならまだ許容できる。しかしラース・フォン・トリアーといえばニンフォマニアックで同等の手法を用いてバッハとセックスを繋げて見せた過去がある。あの時は引用される対象と赤裸々な性生活との間に確かなアイロニーがあった。しかし今作ではその全てが明らかで、考える楽しみというものがない。

おまけに残虐性の自然さを強調する為か画の作りも簡素で、余計に見るべきものがない。だから最初の瞬間から結末が分かっていて、その全てがこちらの想定通りに進んでしまうのである。そんな映画でヴィジュアルにも力がないとなれば何を見ろというのか。脳内ニューロンの発火何万分の一秒を3時間に拡大しただけの、見るべき所が何もない映像体験だった。

2. エルヴィス

カットが多過ぎる。折角魅力的なテーマで、資金も潤沢にあって、役者も皆魅力的なのに編集で全てを台無しにしてしまった。バズ・ラーマンがマキシマリストであるのは理解しているつもりだが、それにしても演出に芸がなく彼の過去作と比べても度を越してカットが多く、一辺倒だ。

これはどう考えても売れたいという欲が、つまり若者って集中力がないんだろ?だったら細かくカットしてしまえ、という横槍が編集段階で入ったのだとしか思えない。或いはバズ・ラーマン自身がそう考えたのか。真相は分からないが、カットが多過ぎるのは明らかで、そしてそれは間違った選択だった様に思われる。

例えばハリー・スタイルズが着るグッチはゴージャスで素敵だが、同じグッチでもそこらの成金やホストが着れば途端に品の無い服に変わってしまう。それと同じでロミオ+ジュリエットではゴージャスだった演出も、エルヴィスでは下品な代物に堕してしまった様だ。

3. ミッドサマー

フローレンス・ピューに寄り添っている様で全く彼女のことを見ていない。そして異端の捉え方がステレオタイプ過ぎて嫌悪感を覚える。どう考えても終盤、ジャック・レイナーがセックスする必要はなかった。

序盤でレイナー諸々男友達が、フローレンス・ピューに対して「あのウザい女も来るの?」というリアクションをして煙たがる描写がある。精神が疲れ切ってしまった彼女はそれでも何処か彼氏に依存していたのだ。ただそんな彼女も儀式に参加し、新しい、回復した女性に生まれ変わる。それは良い。問題はジャック・レイナーとの関係性だ。

彼が内心彼女をウザい女だと思っていて、彼女はそれに気づいていないとしたらその時点で関係は冷え切っていたのだと分かる。肉体関係が続いていたかどうかは分からないが、重要事項では無くなっていたのだろうと想像は出来る。

だとしたらフローレンス・ピューにとっての最後のショック、号泣のきっかけは彼氏が他の女とセックスすることではないだろう。彼女にとって辛いことであるには違いない。だが明らかに映画のテーマと合っていない。彼女にとって最悪の事態は、ジャック・レイナーが彼女を道具にしてしまうこと、トラウマを負った彼女にとって唯一の支え、人間たる繋がりだった彼に人間よりも道具として使われていたのだと理解すること。それによって自分が何も回復していないと知ることではないのだろうか。もしセックスが浮気程度の意味合いならば、寧ろ彼女は人間として見られていたと考えることも出来るし、それは冒頭のシーンとマッチしない。

異端の宗教、不気味なものなんだから性の儀式がある筈だ、というステレオタイプに基づいてシーンを作った様にしか思えず、彼女の最後の笑顔も嘘くさく感じられてしまったし、何よりフローレンス・ピュー演じる女性に不誠実だろうと思った。この部分に感じた嫌悪感は見逃すことは出来なかったし、その意味でワースト映画である。

4. ANNA/アナ

リュック・ベッソンのアクション映画。これはとっても面白かった。主演の女優さんも格好良く、魅力的だったと思う。ただ脚本の作りは問題ありで、その語り方は禁じ手だろうと感じた。

この映画サスペンス調になっているのだが、一つのシークエンスで語れる所まで語り、主人公が追い詰められた段階で時間を戻す。そして「実はこういう仕掛けがありました」と明らかにして救済し、次の展開へ持ち込むという構造になっている。種をバラさずに終盤まで引き継いでこそのサスペンスだろうし、この「実はね」という語りは後出しジャンケンの様な反則の手法だと思う。

何より監督はリュック・ベッソンである。彼ならシンプルなサスペンスとしても描けただろうに、という点も相まって残念だった。

5. CASSHERN

こちらも面白い映画ではあった。が、脚本に問題ありだと思う。よくヒーロー映画は必ずハッピーエンドで終わるから面白くない、という意見を聞くがヒーロー映画の本質は寧ろその決まったオチにあると言える。如何に終幕を幸福そうに見せることが出来るか、問題が解決した様に見せるか、このベールの役割を果たすのがスーパーヒーローなのである。

従ってこの映画のオチは至極正論なのだが、その正論をどう捻じ曲げて幸福感を演出するか、その点にこそスーパーヒーローの存在意義があるとすれば、何の為にキャッシャーんが生きているのか分からなくなってしまった。辛いことを覆い隠して見ないフリをさせてくれるからこそスーパーヒーローはありがたいのである。

それから宇多田ヒカルの主題歌にも疑問を感じた。歌のメッセージが映画と全く同じなのである。だったら歪なハッピーエンドに持ち込んで、最後に流れる主題歌がそれを皮肉る、みたいなオチの方が面白かったのではないだろうか。

撮影もセットも素敵だったが、結局脚本が考えることを放棄している様に思え、だとしたら何の為にこの映画を見ているのだろう、という疑問に答えが見つからない部分が問題だと感じた。

 

【ランキング】イギリスの映画学部生に聞いた2022年ベスト/ワースト映画

28 (Wed). December. 2022

年末企画第二弾、大学の友達にお願いしてアンケートを取ってみました。質問はたった4つ。

今年一番良かった映画は?その理由は何?今年一番ヒドイと思った映画は?その理由も教えてくれる?

選ぶ作品は貴方が今年見た作品なら何でも良し。新作映画、旧作映画、TVドラマ、短編、長編、実写にアニメ、どんな映像コンテンツでも構わない。今年見た作品の中からシンプルにベスト/ワーストを選んで答えてもらう。

質問内容も回答形式も緩いアンケート企画。実施した目的は大きく分けて2つで、先ず第一には学生はこういう映画を見ているんだということを知って貰いたかったから。特に筆者がイギリスにいるということもあって、彼の地の学生(若者)はどんな映画を見ているのかを知って欲しかったというのが一つ。そして第二に今の学生のトレンドを知りたかったから。概ねの学生が製作者・批評家になることを希望している、即ち彼らの嗜好が例えば10年後の映画界に大きな影響を与えている可能性もある。今の彼らの好みを知ることは将来の映画を考える上で有益な筈。

という目的でアンケートを取ってみましたが、何といっても筆者が1人で運営する小さなブログな訳で、本来なら学部全員の声を聞くのが望ましくも、それだと収集がつかなくなってしまう。やむなく10人程に絞って声を掛け、回答して貰いました。

下では先に全員の回答を見た上で、雑感という形で軽いコメントを付けようかなと思う。日本の学生に聞いた答えがどうなるかは分からないけれど、中々バリエーションに富んだ面白い内容になったと思うし、TwitterやFilmarksのコメントを見ている限りの評価とは異なっていたりもするので比較としても十分興味深いものになったのではないでしょうか。

Jenna Ortega in X (2022)

Aさんの場合

ベスト映画は何だった?

  • ドント・ウォーリー・ダーリン(2022)
  • Bodies Bodies Bodies(2022)
  • X(2022)

良かった理由は?

  • 全く新しい考え方で、それを完璧に表現してた。演技も素晴らしくて、どんでん返し諸々込みで完全に引き付けられた。ただただ愛してる!
  • スラッシャー映画でありながら、時代に合わせてすっかりアップデートされていることが凄いと思ったし、最後まで楽しめた。これも演技が良くて、ホラーとコメディのバランス感覚がブレなかったのも良い。
  • これも完璧。変わった映画なんだけど、ホラー映画ファンとしてどこか引き付けられるものがあった。A24の映画だったら何でも見ちゃうよね。

ワースト映画の方はどう?

  • Smile(2022)
  • Prey for the Devil (2022)

それはどうして?

  • タイプじゃなかったかな。良い所もあったし、サントラも悪くなかったけど、繰り替えされる物語に集中しきれなかった
  • シリーズとしてもう飽きた。つまらない。

Bさんの場合

ベスト映画は何だった?

良かった理由は?

  • 講義で見た映画だけど、ウェス・アンダーソンのスタイルが好みだった
  • まとめてロード・オブ・ザ・リングは最高の三部作だと思うし、その後のシリーズや新作など全ての基盤となって魅力を与え続けているから
  • 単純に面白かったし、シドニーが...(シドニーって誰だ?ってなってよく分からなかったので割愛。タイプミスかな?)
  • これも講義で見た映画だけど、キャラクターと物語が連動してオチまで繋がる作りが面白かった
  • 画が格好良かったと思ってて、ヴィジュアルを暗くして雰囲気を出しつつホラー映画みたいな緊張感もあったのが良かった
  • 昔のトム・ハンクス映画の1つで、キャスト・アウェイとかフォレスト・ガンプみたいに見なきゃいけないと思って見たら凄く良かった。若しかしたら人生でもベストな映画の一つかも。
  • ニコラス・ケイジ演じるキャラクターが段々残酷で冷酷に変化していく様子に魅せられた。部分的にでも実話に由来してるってのも信じられないポイント。
  • 単純明快。カウボーイは好きだし、決闘とかリベンジ譚っていうのも良いよね。
  • セット、小道具・大道具、衣装。全部大好き。

ワースト映画の方はどう?

  • Bait(2019)

それはどうして?

  • 単純に人生で見た映画の中で一番面白くない映画だったから。この映画を見てた毎秒が私の人生に於いて無駄な一秒だったと思う、マジで。映画が高尚なアートぶってる事に満足しちゃってたし、これは私の意見だけど、モノクロ撮影ってホントに上手にやらないと失敗すると思ってて、それでこの映画は正に失敗したって感じ。誰かこの醜い映画を作った罰を受けるべきだよね。ハチミツの中を歩いてるみたいな遅い展開にもイライラしたし、テンポ良く撮った映画だったらこの映画の全てをオープニングで終わらせてたんじゃないかな。
  • それで以て、やっぱりこの映画を見てた時間は無駄だったと思うのね。もし映画館で見てたとしたら、速攻で退席してたと思う。だってこれはアートハウスのゴミ屑で、メッセージのある深い映画だと思って作ったのかも知れないけど結局何も言えてないし、深さなんて便器に溜まった小便くらいのモンだよ。この映画が全部の時間を費やして語った事なんかよりも、youtubeとかの30秒広告の方が語るべき事に溢れてる。これが講義で見た映画で、そんで隣に座ってるヤツがいなかったならオープニングより先を見ることも無かったね。

Cさんの場合

ベスト映画は何だった?

  • 聖なる鹿殺し(2017)
  • レクイエム・フォー・ア・ドリーム(2000)
  • 成功の甘き香り(1957)
  • 秘密の森の、その向こう(2021)
  • 大地のうた(1955)
  • CLIMAX クライマックス(2018)
  • Went the Day Well? (1942)
  • グリフターズ/詐欺師たち(1990)
  • トリコロール/白の愛(1994)
  • サウルの息子(2015)

良かった理由は?

  • (回答無し)

ワースト映画の方はどう?

それはどうして?

  • (回答無し)

Dさんの場合

ベスト映画は何だった?

良かった理由は?

ワースト映画の方はどう?

  • ソー:ラブ&サンダー(2022)

それはどうして?

  • ゴミ箱の中で火事が起きたみたいな、屑のカオスだったから。

Eさんの場合

ベスト映画は何だった?

  • 新感染 ファイナル・エクスプレス(2016)
  • ブラック・フォン(2021)
  • ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語(2019)

良かった理由は?

  • どれも脚本がよく書かれていて、楽しめる。キャラクターが成長し、彼らの中に深みがある。

ワースト映画の方はどう?

それはどうして?

  • 酷い映像効果。キャラクターに見るべき所も無い。虚無。

Fさんの場合

ベスト映画は何だった?

  • X(2022)
  • Pearl (2022)
  • Bodies Bodies Bodies (2022)
  • ナイブズ・アウト(2019)
  • エターナル・サンシャイン(2004)
  • ジャンゴ 繋がれざる者(2013)
  • プレデター:ザ・プレイ(2022)
  • パラサイト 半地下の家族(2019)
  • フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊(2020)

良かった理由は?

  • ウェス・アンダーソンの映画スタイルが大好き(皆も好きだよね?)
  • プレデター:ザ・プレイなんだけど、これはプレデターっていう既存の素晴らしいものを上手に再創造したと思う。原始的な過去の話を扱って、全然違うイメージを与えてくれた。
  • XとPearlはミア・ゴスが出演してるホラー映画の傑作コンボだね。彼女は今年僕が見た中でも特に素晴らしくて、お気に入りだったよ。

ワースト映画の方はどう?

  • 今年見た映画はどれも良かったんじゃないかな。

それはどうして?

  • 元々時間が無限にある訳じゃないから、取捨選択をしながら見る作品を決めるんだけど、今年の作品はどれも良かったんだ。ワーストって言う程悪い作品は思いつかなかったってだけ。

Gさんの場合

ベスト映画は何だった?

  • Crimes of the Future (2022)

良かった理由は?

  • ボディ・ホラー最高

ワースト映画の方はどう?

  • Burning Guilt(これは多分彼が主演した自主制作映画のことだと思います、誰が回答したか分からないけど下の理由を見る感じで何となく)

それはどうして?

  • 俺の名前がクレジットされなかったから

Hさんの場合

ベスト映画は何だった?

良かった理由は?

  • ここに選んだ映画はどれも興味深いなと思った作品で、バラエティに富んだものになってると思うんだけど、それはジャンルという枠組みで見て際立ってる作品が素晴らしいよねっていう基準で選んだから。後は文化的に重要な映画も選んだつもり

ワースト映画の方はどう?

それはどうして?

  • エル・ドラドアメリカの西部劇が退屈になって、でもスタジオが大規模で製作してる、その歪みを見せてる映画(つまらないのに金が掛かってる矛盾)で、似たような現象がワイルド・スピード/ジェット・ブレイクにも見られると思う。死に体のフランチャイズなのに誰もトドメを刺さずに存続させてるという意味で。

Iさんの場合

ベスト映画は何だった?

  • シャッターアイランド(2010)
  • ジュディーを探して(2017)
  • オー!マイ・ゴースト(2008)
  • カオス・ウォーキング(2021)
  • ブレックファスト・クラブ(1985)
  • レッド・ノーティス(2021)
  • セッション(2014)
  • ホビット三部作
  • Barbie: A Fairy Secret (2011)
  • ズートピア(2016)

良かった理由は?

  • 他の人が凄く高く評価してる映画で見てみようかなと思ったら良かった、とか好きな俳優が出てるから見てみようと思ってみたら面白かった、っていうケースが多かった

ワースト映画の方はどう?

それはどうして?

  • 私はホラー映画のファンじゃないんだけど、何故ならそれは単純に気持ち悪すぎたり、怖がらせようと思い過ぎてプロットが馬鹿馬鹿しくなっちゃってたりするから。ホラー映画以外で挙げた映画は取り敢えずつまらなかった。

 

雑感

ちょっとサンプル少ないかなと思ったんですが、この人数にしておいて正解ですね。十分長い記事になってしまった。簡単に全体の傾向を考えて、コメントしてみましょう。

①ワースト映画は傾向が偏っている

選出される作品、その理由ともにワースト映画はある程度一様だと思いましたね。ワールド・ウォーZにPrey for the Devil、ワイルド・スピード/ジェット・ブレイク。どれもジャンル映画というか、その道の人が好きな映画っていうイメージがあります。

ゾンビ映画が大好きで、ゾンビの描き方の微妙な違いを楽しんだり、アクション映画の動線を楽しんだり。そういうジャンルにどっぷり浸かった人にとってはこうした作品って堪らないんだと思うんですが、普通に見る分には余り面白くない。

だからコテコテのジャンル映画というか、既存の領域に留まっている様な作品は嫌われているのかなという印象を持ちましたし、今後そうした作品は減っていくのかなとも思いますね。

②型に嵌まった作品は嫌い。でもジャンルの安心感は欲しい。

ワースト映画をその様に見ると、ベストに来ている映画は風変わりなジャンル映画が多いのかな、という印象を受けます。

ストレートなロマンスでありながら、奇妙な演出のエターナル・サンシャイン。ミステリー映画でありながら早々に種明かしをしてしまうナイブズ・アウト。格好良くないヒーロー映画、バットマン

Hさんのコメント、ジャンルとして際立っているというのも秀逸だなと思いましたよ。ジャンルの枠組みで映画は見たいけど、プラスαで変わった何かが欲しい。今年の映画で言えばXなんかが正にそうした映画で、ジャンルの脱構築とまでは行かないけれど、ホラー映画の教科書からは外れている。

そうしたジャンルの枠組みに留まった上で、一捻り加えた映画。そうした作品が好まれるのではないかと思いますね。ハイクラスな映画でもサウルの息子は伝統的な二項対立からは外れた戦争映画だし、サムライだって殺し屋映画にしてはアクションが鈍重ですよね。

あくまで緩い繋がりというだけですが、そうしたまとめ方も出来るのではないでしょうか。

Netflix最強

そして最後に、Netflixの力は凄いですね。先日の記事でも同じ事を書きましたが。

sailcinephile.hatenablog.com

 

旧作からランクインした映画たち、

グリーンマイル(1999)、ロード・オブ・ウォー(2005)、クイック&デッド(1995)、ギャング・オブ・ニューヨーク(2002)、CLIMAX クライマックス(2018)、ブレードランナー2049(2017)、ナイブズ・アウト(2019)、エターナル・サンシャイン(2004)、ジャンゴ 繋がれざる者(2013)、シャッターアイランド(2010)、ジュディーを探して(2017)、オー!マイ・ゴースト(2008)、カオス・ウォーキング(2021)、ブレックファスト・クラブ(1985)、レッド・ノーティス(2021)、セッション(2014)、Barbie: A Fairy Secret (2011)

これら全部イギリスのNetflixで見られる作品です。他の媒体でも勿論見れるとは思うんですが、例えばブレックファスト・クラブって一般の映画ファンはNetflixでプッシュされてなかったら見ないのかも知れないですよね(現在Netflixのトップページで大きく取り扱われてます)。

映画の勉強してる人だったら、ジョン・ヒューズが80年代のコメディの中心人物だったことは習うと思うので、そういう路線で見る機会があると思います。でも古い作品って若い人には特に届きにくくなってる訳で、Netflixで見れるか見れないかは今後作品が生き残るか否かを決める大きなファクターになるのかも知れません。

例えば同じ80年代でも、卒業白書みたいな映画。こうした昔のよくあるジャンル映画って再評価も中々されにくく、研究対象になることも多くはない。そういう意味でアートハウス作品(ズラウスキーのポゼッションとか)の方が将来的には安泰で、ジャンル映画の方が生き残れない可能性もあるのかなと思いますね。

ジャンルの周縁にあたる映画が作られて、その中心にいるべき作品は忘れられる。こうした現象が起こることも十分考えられます。

 

【時事】2022年、ネット空間でバズった映画・ドラマ総まとめ

23 (Fri). December. 2022

今回は年末企画3本立ての内の第一弾、バズった映画・ドラマの総まとめだ。この時期になるとベスト映画企画、ランキングものが各種媒体から発表されるが、それらは皆「良かった」映画のランキングである。従って知らなかった映画を発見したり、良い映画とは何か考えたりするには都合が良いかも知れないが、「じゃあ2022年ってどんな年だったんだ?」という疑問には答えてくれない。

そしてこの疑問に応えてくれる便利な記事は中々見当たらないものである。ということで需要の間隙を満たす、ニッチな記事として思いつく限りで今年流行ったコンテンツをまとめてみた。

一年を振り返るにも役立つだろうし、そこから何かを考察してみることも出来るだろう。何かの役に立てば嬉しい。興行収入ランキングなどはネットで簡単に見つかるから敢えて載せていない。基準は「バズった」何かがあるかどうかだ。今年を代表する「良い」コンテンツのまとめ、というのでもないからその点もご理解頂きたい。

Sadie Sink in Stranger Things Season 4 (2022)

Stranger Things (Season 4)

先ずはNetlixの看板シリーズ、ストレンジャー・シングスから始めよう。シーズン4から先行7話分が今年の3月に、その後7月に追加2話が配信された。最終話は150分という長さの力の入れようである。そしてStranger Thingsはこれまでだって大人気のシリーズではあった。しかし今年はかつてない、全世界的な社会現象としてのヒットを収めたと言って良い。それは具体的にはTikTokという追い風が吹いていたからだろう。

Kate Bushの"Running Up That Hill"は15秒動画で頻繁に使用されチャートを急上昇したし、"Chrissy Wake Up!"はミームとして拡散された。その他にもMetallicaの"Master of Puppets"も再ヒット、多くの80sポップミュージックが脚光を浴びた。"Pass The Dutchie"も忘れてはならない。タイトルスコア自体も弾いてみた動画などで人気になったことも付け加えておこう。

音楽面での影響に劣らずグッズ・セールスも爆発的だった。HMV等々のカルチャー・ショップでは必ずフィーチャーされていたし、日本でも例えば大手コンビニ、ファミリー・マートとのコラボやプロントでの限定ショップ営業などメジャーな成功を収めていたと思う。因みについ先日私用でロンドンまで出向いたのだが、2日と少しの滞在の間Hellfire ClubのTシャツを着た子供に少なくとも10人は出会ったと思う。

完結編に当たるシーズン5が製作中らしいが、そちらは本作を超えるヒットとなり得るのだろうか。疑ってしまうほど爆発的なヒットだったし、今年は間違いなくストレンジャー・シングスの年だったと言って良いだろう。恐らくは全ての映画・テレビ・アニメ作品を含めて。

Will Smith slap Chris Rock at the Academy

すっかりアカデミーの栄光にも影が差してしまって、何だか注目もされなくなってきているが、今年のオスカーは記憶に残るものだったと言って良い。それも偏にウィル・スミスのお陰で。今更政治的・社会的スタンスも何もないと思うからその点に関しては触れないが、Twitter/TikTok/Instagram諸々のソーシャルメディアでは散々この件をいじったミームが見られた。

サムライミ版スパイダーマン3と組み合わせて、ウィル・スミスが平手の後ヴェノムダンスを踊ったり、大乱闘スマッシュブラザーズのエフェクトを組み合わせたり。それからChris Rock=Sunday, Will Smith=Mondayみたいなミームもよく見た気がする。どれも記憶に残るほど面白かった訳ではないが、流行った映画ネタというテーマで外すことも出来ないだろう。

Johnny Depp vs Amber Heard

同じく特別面白かった訳ではないが、流行ったネタとしてはジョニー・デップの泥沼裁判だろうか。こちらもショート動画やミーム画像でViral, バズったネタだったのかなと思う。

個人的に面白かったのは友達と話していた時の会話で、演技コース所属の友達と、映画科の筆者、そして同級の友達三人で話していたのだが、丁度そのActing Courseの友達の理想の俳優がジョニー・デップだった。が、今回の一連のトラブルで彼はJohnnyが好きだと公言しにくくなってしまったそうで、「役者としては素晴らしいと思うんだけどね」とボヤいていた。対して同級の友達(女性)曰く「ジョニデみたいになるのはリスクがあるから、やめといた方が良いわよ。だってアンバーみたいなビッチが寄ってきたら迷惑でしょ」と。

最初は#MeTooの流れに乗って勝訴を確信したのであろうアンバー・ハードもただのBitchだと切り捨てられるあたり(しかも女性から)、中々世知辛い話である。

The whistle blowing at the beach - Top Gun: Marverick

さて詰まらないネタもこれで終わり。ここからは本当に面白い映画・ドラマについて取り上げる。先ずはやっぱりトップガン:マーヴェリックから。

映画としての質も高く、興行収入も絶好調だったが、その上でネット上で訴えかける魅力も持っていたという側面は強調しておく必要があると思う。具体的には砂浜でチームワークを高めるアメフトに皆で興じる場面。One Republic の"I Ain't Worried"が流れるのだが、この曲が大ヒット。特に印象的な口笛の部分である。曲自体もヒットした他Slowed Versionや、口笛だけを切り取ったバージョン、色々な形の曲が作られ、ショート動画の音源として使われていた。

映画として面白いことは何よりも大事。しかし時代を通じてアイコニックな存在になれるかどうかというのは単純な面白さや質の高さ以上に、観客に訴えかける特質があるかどうかが重要になる。嘗ては、例えばブレックファスト・クラブでモリー・リングウォルドが見せたダンスや、パルプ・フィクションでのダンス、E.T.の人差し指にタイタニックのFlyingポーズ。直ぐに真似できる様な印象的な動きがあるシーンがそのまま現実にコピーされていたが、今はネット上で受けるか否かがコピーの基準となっている様に思う。詰まり実際に映画を見て面白く、且つショート動画として切り取っても面白いこと。

マーヴェリックはこの点をも十分に満たしていたと思う。コロナ禍を乗り越えた人々を再び映画館に向かわせ、爆発的なセールスを叩き出し、質も十分に高く、そしてネット上でのアピール力も持っている。時代を象徴するに相応しい作品だと思うし、今年最高の映画と言わない理由が無いだろう。

Wednesday's Dance

同じく音源を含めてネット上でバズったドラマが、Netflix制作のウェンズデイ。公開が11月25日ということで一年の総括に含めるには遅過ぎるきらいもあるが、世界的なヒットであることには変わりないので一応。

ウェンズデイからは何と言ってもジェナ・オルテガ演じる少女が見せるダンスだろう。レディ・ガガの楽曲に合わせて(後付けらしいが)踊る訳なのだが、ジェナの独特な雰囲気とも相まって何とも言えない魅力を醸し出している。ダンス・フロアで実践するには少々難しいかもしれないが、それでもクラブ等でフィーチャーされる様な、そんな存在になれるのではないだろうか。難しいと言っても少し練習すれば誰でも真似できる程度の踊りだろうから。

Bo Cruz - Hustle

こちらも同じくNetflix製作から。こうやって振り返ってみると、Netflixのインターネット上への影響力は凄まじいと思う。ドラマとしての面白さでは他媒体(HBO MaxやHuluなど)も負けていないのかも知れないが、どうしても知名度という点で劣ってしまう。Viralなコンテンツを作り続けている限り、たとえ賞レースで負けていたとしてもNetflixがストリーミング界の王者であり続けるのだろう。

さてHustleである。こちらはアダム・サンドラ主演の映画で、彼は中々成功しないスカウトマンという役どころ。そんな彼が海外で見つけた才能がBo Cruz、フアンチョ・ヘルナンゴメスというNBAプレイヤーが演じるキャラクターだ。彼ら二人が共に協力しながらNBAを目指すというストーリーで、その道中に登場するキャラクターもアンソニー・エドワーズなど実際のNBAプレイヤーが演じている。カイリー・アービングが主演したアンクル・ドリューに近い企画とも言えるだろう。

この映画、特にバスケットボール界隈でネタにされることが多く、それは何故なら主演のフアンチョ・ヘルナンゴメスという選手が絶妙なキャラクターであったからである。NBAでの彼はベンチに居れば頼もしく使い所もある選手だが、個人としての能力は低く、ハイライトプレーもない、という至って地味なプレイヤーで、昨シーズンは4度トレードされた後に解雇、今シーズンは最低補償額での契約と、NBAに残れるかどうかもギリギリだ。

そんな彼が映画で主演し、数々のスタープレイヤーを打ち破る映画ということでネタにされない訳がないのである。彼の数少ないハイライトを集めてGOAT(Greatest Of All Time) Bo Cruzという動画が作られたり、現役最強選手レブロン・ジェームズのターンオーバーを、フアンチョ・ヘルナンゴメスの普通のプレート並べてBo Cruz>>>>Lebron Jamesと言ってみたり。

NBAという人気コンテンツにNetflixというコンテンツの王者が上手くあやかって作られたヒットだったのかなという印象だ。日本でも最近増えてきたけれど、海外でもNBAの人気は凄まじい。そのファンベースを上手に取り込んでヒットに繋げたという事で、他業種とのクロス・オーバーの成功例と言えるのかも知れない。

それにしてもフアンチョ・ヘルナンゴメスは来年も契約を貰えているのだろうか。

Austin Butler turned into Elvis 

今年はオースティン・バトラーにとって一躍出世の年だったと言えるだろう。参考までにIMDbの今年のスター・トップ10では第7位に選ばれている。

DUNE砂の惑星: part 2への出演も内定しているそうだが、今年は何といってもElvisエルヴィスの主演だろう。正直に言って筆者は全く好きな映画ではなかった。一本記事を書いて批判もした。ただエルヴィス・プレスリー役としてのオースティン・バトラーが素晴らしかったことは疑いようのない事実だろう。

そして彼のパフォーマンスの素晴らしさ、これ自体がviralになった。言ってみればアイドルの様な人気である。メディアでの露出度もグッと増え、ファンベースも強固になった。特にTroubleのシーンは素晴らしく、頻繁にカットされては使用されていたと思う。If I Can Dream も良かった。

更にDoja Catが歌う主題歌"Vegas"も人気を後押しした。耳に残るビート?と、歌い出しはショート動画でも使い勝手が良く、単なる音楽映画の枠を超えて存在感を示していたと言えるだろう。

CEO, Entrepreneur

これはBo Burnhamがジェフ・ベゾスをネタに作った曲である。元々は「ボー・バーナムの明けても暮れても巣ごもり」というNetflix映画の為に作られたが、これがAmerican Psychoと合体して爆発的なヒットになった。

具体的にはこのミームである。初めてみたのは2022年に入ってからだと思うのだが、正直正確な出所は分からない。実はPatrick Bateman Editというのは結構人気のタグで、色々なミームが作られているのだが、同じく人気のボー・バーナムとコラボしたこの動画は2022年ヒットした印象だ。

ハロウィンの仮装大会でもパトリック・ベイトマンを選択する人は身近にかなり多く、そういった意味でも人気は裏付けられているのかなと思う。

New Series of the Lord of the Ring/Game of the Thrones: House of the Dragon

この2つに関しては筆者は全く見ていないので何とも言うことが出来ないのだが、記録上は大きなヒットだったらしい。ロード・オブ・ザ・リング新作、力の指輪はアマゾン製作。ゲーム・オブ・スローンズ新作、ハウス・オブ・ザ・ドラゴンはHBO製作である。

どちらも元々非常に人気の高いコンテンツで、ファンベースも熱狂的だった。特に前者はイギリスでの人気はハリー・ポッターにも引けを取らず、広告キャンペーンも大掛かりなものだったことは確かだ。バスや電光掲示板での宣伝の他、イギリスで最も若者からの支持の熱い蒸留所、Brew Dogとコラボした限定ビールを発売したりと、力の入っていた様に思う。

GoTに関してもモバイル・ゲームの人気が盤石だったりと副収入が多く、話題に上ることは少なくとも収入という意味では安定していたのではないだろうか。

(おまけ)禍福倚伏死生有命

最後に日本でバズった作品を。台湾ホラー呪詛である。今夏のホラー映画は中々豊作で、そしてネット空間の盛り上げ方/盛り上がり具合は記憶に留めておくべきものだったのではないだろうか。そしてその中心は、哭悲/The Saddnessも話題になったとは言え、やはり呪詛を置いて他にない。こちらも又Netflix作品だ。

筆者もそこまで映画に詳しくない友達から「呪詛って映画見た?どうだった?」と何度も聞かれたから、身を持って実感している。今年の呪詛の勢いは相当なものだった。イギリスでは全く注目もされていないし、知っている人も、見た人も殆どいない。オススメにも上がってこない様な映画なのだが、それと比べて日本ではどうか。

具体的に何故、どういった要因でここまでヒットしたのかは定かではないのだが、日本であれだけ売れたということは何らかの必然性があったのだろう。2022年を振り返る上で、呪詛・哭悲・ホラー映画という並びは一つの大事なキーワードなのかなと思う。映画系Youtuber何かもこぞって取り上げていたのでね。

 

 

【脚本再現】脚本の基本フォーマット/ジョーカー(2019)

9 (Fri). Dec. 2022

Google検索エンジン、「映画 脚本 書き方」と打ち込んでみる。検索結果は570,000件。上から順番に開いてみる。柱、ト書き、台詞というものがある様だ。ト書きは数マス下げて書くらしい。

脚本を書く際には三幕構成というものを意識する。シーンからシーンの移り変わりはアクションを中心にする。1ページ当たり1分になるよう調整する。時と場所は明確に、各シーンの冒頭に書いて置く。何だかそれらしい。

所で一枚当たりの行数はいくつだろう?文字のフォントは何でも良いのだろうか?そもそも文字サイズは?何をどれだけ書いたら1分になるのだろう?1分の中にたくさん情報を詰め込みたい場合とゆったり余韻を持たせたい場合の書き分け方は?是枝裕和監督の1分と園子温監督の1分は異なるのでは?普通のシーンとフラッシュバックの書き分けは?サウンド・ブリッジを使いたい時にはシーン・チェンジを先に書くべきか、台詞を先に書くべきか?モンタージュの書き方は?ジャンプスケアの挿入の仕方は?オフスクリーンの会話・アクションの書き方は?所で脚本の中でオフスクリーンかオンスクリーンか書く必要はあるのか?音楽や文字を入れたい時は?

どの記事を読んでも分かった気にはさせてくれるが、実際に脚本を書き始めてみると、書き始めることすら出来ない役立たずな情報ばかりだと分かる。それでは本当に必要な情報とは何か。それは極く基本的なルールである。自主制作か超一流の監督になった場合を除いて、脚本は厳格な規則に則っている必要がある。ルールを守れない場合、貴方の脚本は読んですら貰えないことだろう。

ではその基本的なルールとは何か?実のところ筆者も分からない。ネットの検索結果はどれも役に立たないし、信用出来るとも思えない。書店に出向いても各々適当な事が書いてあって今ひとつ分かる様で分からない。誰も正しい書き方は教えてくれないけれど、自分なりに頑張って書いた脚本は「フォーマットが...」とか何とか言って突き返される。理不尽な話だ。

但しそれもこれも日本語での話。英語で脚本を書く場合、こうした問題に悩まされることはない。インターネット上で無数に、コンセンサスとして、信頼出来る情報を無料で手に入れることが出来るし、イギリスの場合は国立の映画機関や大手制作会社から情報が開示されていたり、ワークショップに参加することも出来る。お金を払えば撮影で実際に使用された脚本のPDFコピーを購入することも可能だ。無料で公開されているスクリプトだってある。

余談になるが、筆者が身を置いている大学は同じ学科に同学年で40人ほどの生徒が在籍している。彼らも筆者と同じでワークショップ等に参加し特別な教育を受けた訳でも、家族が映画業界に居る訳でもない、普通の学生だが、一年目の1学期から平気で短編の脚本を仕上げて持ち寄って映画を作る。勿論筆者も含めてだ。

これは十分な量の信頼出来る情報が公開されているからこそ可能になる話。という事で実際に映画のクリップから書き起こした何パターンかの脚本をベースに本当の脚本とは如何なるものか考えてみようというのが本記事の趣旨である。取り上げる映画は何でも良かったのだが、見栄えがよく広く見られているであろうジョーカー(2019)を扱うことにした。

先に述べた都合により日本語で紹介することは出来なかったが、なるべく簡単な英語で書く様努力したつもりである。適宜辞書など引いて貰えれば役に立つだろうと思う。恨むべきは日本の映画業界であって、筆者にその責任はないことを強調しておこう。

Joaquin Phoenix in Joker (2019)

さて実際に脚本にして検討するのは以下の場面である。

www.youtube.com

どうやら年齢制限が掛けられている様だが(そう言えばジョーカーもR15だった)、暴力描写もFワードも一切含まれていない。公に例示する場面としても不適切でないと思われる。

アーサー(ホアキン・フェニックス)が州立病院からカルテを奪い去り、母親とその本性、そして自分の過去を初めて知った場面。雨の中ずぶ濡れになりながら恋人ソフィー(ザジー・ビーツ)のアパートへ足を向ける。クリップの最後に見られる狂気じみた笑いを境にアーサーはジョーカーへ、不遇な道化師は空っぽの偶像に姿を変えることになる。

事例一・失敗した脚本

仕様の問題でこちらにスクリプトは挿入出来なかった為Twitterの添付画像を拡大するなどして見てほしい。一例目はUnreadable、読んですら貰えない様な代物であり、フォーマット上の重大な欠陥を主に3つ備えている。クリップと照らし合わせながら一つずつ議論していこう。果たして素晴らしい脚本を書くためには、否、先ずはReadableな脚本を書くためには何が肝要なのだろうか。

  • 脚本とショット・リストは別物

真っ先に指摘するべきは脚本とショット・リストを混同してはならないということだ。一枚目の一文目を読むと "We see the close up of Sophie's face"、「ソフィーの顔がクロースアップで写される」と書かれている。これはショット・リストで整理するべき事項であって、物語を示す脚本で提示する情報ではない(一応付け加えておくとショット・リストとは脚本をカットごとに分割し、それぞれのショットをどの様に撮影するか示したリストのこと。脚本、絵コンテの制作後監督や撮影監督などが話し合って決定する)。

確かに "Hard cut reveals..."、「ハード・カットで....が映し出される」といった書き方をすることはある。例えばイット・フォローズの冒頭、アニーが海岸まで車を走らせ父親に愛してると伝える場面。夜の海岸で一人座り込むアニー、尋常ならざる不穏な空気感。その直後ハード・カットで時間は翌朝まで飛び、ハード・カットが砂浜で足を折れ曲らせ死亡しているアニーを写す。急激な場面転換で驚きをもたらす、そんな場面だ。こうした描写を意図して、hard cut, jump cut, close-up等に言及することは可能だ。

しかし脚本の中でショットや編集に言及することは普通あり得ない。だから "We see the close up of Sophie's face" という脚本の書き方は間違っている。他にも "The camera tracks Arthur"(1枚目シーン2)、"hand held tracking shot from low-angle intensifies this feeling"(3枚目シーン8)などの書き方は全て不適切、削除するべき部分だ。

  • 場面設定がなされていない、或いは雑

1枚目シーン1、"We see the close up of Sophie's face. She imitates to shoot her head. In the mean time, Arthur watches her coldly with hatred, quickly turning his face away from her."、「ソフィーの顔がクロースアップで写される。彼女は銃で自分の頭を撃ち抜く仕草をする。その間アーサーは不機嫌そうに、冷たく彼女を見ているが、直ぐに顔を背けてしまう。」

これはいわゆるAction Lineと呼ばれるもので、人物の動作や物事の変化(ex. シシ神から流れ出た血液が森を枯らす)を描写する部分だ。脚本の殆どを占める部分になるが、実はAction Lineで書くべき事項はActionだけではない。初めて登場する人物には外見や年齢、性別といった基本事項を設定する必要があるが、それはAction Lineの中で行われるのだ。だから初めて登場する(厳密には映画の後半に当たるが)Sophieとは誰で、どの様な人物なのか、Arthurとは誰か説明する必要がある。初めて登場する人物はフルネームを大文字で書くことにも注意しよう。

またSlug Line(各シーンの最初に太文字で挿入される空間・場所・時間を設定する行のこと。INTはInternalで建物の内部、EXTは外部、INT/EXTはその両方を指す)の直後、新たなロケーションに移動した際には場所の様子を伝える必要もある。これもAction Lineで記すべき大切な情報の一つだ。

だからSlug Lineを見ると空間はINT、即ち内部。場所はThe Liftとなっているからエレベーターを、そして時間はNightで夜と書かれているが、具体的にはどんなエレベーターなのか。広さはどの程度でキャラクターはどういった位置関係で対峙しているのか。こうした事実を示す必要があるだろう。1枚目シーン3を見て欲しい。場所はSophie's Apatmentとなっており、初めて登場するロケーションだ。しかしアクション・ラインは "Arthur enters Sophie's room quickly and silently"、「アーサーは素早く、音も立てずにソフィーの部屋に入る」となっており、文字通り「アクション」から始まっている。これは既に述べた理由で間違った書き方と言えるだろう。鉄則:新しいロケーションを登場させる時は必ず場所に対する描写からアクション・ラインを始めること。

  • 時系列を整える

2枚目シーン3、最初のアクション・ラインを見て欲しい。"Silence. The only sound we hear is the rain falling outside"、「静寂。雨が降る音だけが聞こえる」と書かれている。これではシーンの途中から雨が降り出したかの様に読まれてしまうだろうが、実際にクリップを確認してみるとシーン1、エレベーターの中でアーサーは既に濡れ鼠になっており、雨の音はずっと聞こえている。更に映画を確認すると、病院から雨の中をアーサーが歩いてソフィーのアパートまで向かうショットがあり、時系列としてここで雨に言及することは間違っていると分かる。

今回は実際にクリップを見て脚本を書き起こしている為、時系列は明確で天候はずっと雨だったと分かるし、些細な問題に過ぎない様にも思われる。しかし本来は脚本から映像が作られるのであって、素直に読めば2枚目シーン3、ソフィーの台詞 "Your name's Arthur, right? You live down tha hall"、「名前はアーサーでしたよね?廊下の端に住んでいる?」が終わった所で雨が降り始めたと解釈してしまうだろう。

その場合エレベーターでアーサーがずぶ濡れになっていること(否、そもそもこの脚本では書かれていなかったが書かれていると仮定して)と矛盾するし、時系列が破綻してしまう。その意味で脚本の執筆には数学的精密さが求められるという事が出来るのかも知れない。Slug Lineで大まかな空間・場所・時間を設定する。アクション・ラインで場所・人物の設定を忘れず、その上で物語を作っていく。規則に従って進行する方程式や、プログラム言語の様だとも言える。

整理しよう。

脚本の書き始めは必ずSlug Lineから、空間・場所・時間を設定する。ロケーションが初めて登場する場合、Action Lineは場所の描写から始める。続けて人物の描写だが、これも場所と同様初めて登場するキャラクターは描写から始める。行動、或いは会話からアクション・ラインをスタートさせてはならない。アクション・ラインでは撮影方法、編集方法に極力言及しない。感情描写や隠喩を用いることは絶対悪ではないが、それも極力避ける。アクションに拘り、なるべく簡潔な表現を心がける。

事例二・凡庸な例

先ほどの失敗例から執筆に於ける基本方針を学んだ所で、次はより具体的にフォーマット上のルールを見ていこう。

  • 自体はCourier、フォントサイズは12
  • Slug Lineでも字体は同じ、但し全て大文字で書くこと、太字にすることが多い
  • 余白は左側に1.5 inch (3.81cm)、右側に1 inch (2.54 cm)、上下に1 inch
  • ダイアログの際のキャラクターの名前は全て大文字、左端から3.7 inch (9.398 inch) 空ける(余白を含める、文字列からは2.2 inch)
  • ダイアログはキャラクターの名前から1行下げる、左端から2.5 inch (6.35 cm) 空ける(余白を含める、文字列からは1 inch)
  • アクション・ライン中で初めて登場するキャラクターの名前は全て大文字、フルネームで示す
  • キャラクターの動作はカッコで囲み、キャラクター・ネームとダイアログの間に独自の行を設けて書く
  • 動作のカッコは左端から3.1 inch (7.874 cm) 空ける(余白を含める、文字列からは1.6 inch)
  • ページ・ナンバーはページの右上に上から0.5 inch (1.27 cm) 下げて記す、左端をアクション・ラインの右端(余白からi inch)に合わせる
  • ページ・ナンバーにはピリオドを打ち、数え始めは2ページ目から、1ページ目にはFade In: (トランジッション)と書く
  • タイトル・ページはページ数には含めない
  • ページ一枚辺りの行数は55行程度に収める(上記のフォーマットが整っている場合、自然と58行程度に収束する。ページの終わりがキャラクター・ネームになったり、始めがトランジッションになる場合、1行下げて整えると良い)

ザッとこんな所だろうか。モンタージュや歌詞の挿入、文字クリップの挿入方法、フラッシュ・バック、諸々細かいテクニックや例外はあるが、取り敢えずは以上のルールを守っている限り脚本として破綻することはない。そもそもモンタージュなどは表現方法であって本質ではないから表現の幅くらいに考えておくのが良いように思う。

さて、それでは基本的なルールを確認した上で実際のスクリプトを見てみよう。

  • 基本的なルールを守る

最初の例と比べて格段に進歩したと言えるだろう。

1枚目シーン1、"A man and woman stands side by side in the rusted lift, which is very large as a lift to maintain a certain distance between them"、「男と女が錆びついたエレベーターで向かい合っている。随分と広いエレベーターで、二人の間には幾らかの距離がある。」

しっかりと場所の描写を盛り込んでおり、具体的にショットがイメージ出来る様な表現がなされている。続けてソフィー、アーサーが登場するが彼らに関しても「20代後半の美しいアフリカン・アメリカンの女性で、ヴォリュームのあるアフロヘアをしている」、「34歳、顔色は青く痩せ形で、ベタついた髪は手入れがされていない様だ」という描写が書き込まれている。

アクション・ラインには必要な動作だけが書き込まれており、且つ時系列にも無駄がない。Slug Lineを見ても1枚目シーン1、最初の設定でのみNIGHT、夜と記されていてそれ以降はLATERやMOMENT LATERという時間が用いられている。これによって一連のシーンが連続する時間の中に置かれていることが明白となり、シーン・チェンジ前後の時間関係も明瞭となっている。

またトランジッションの一環として、2枚目シーン4から3枚目シーン5ではBEGIN FLASHBACK、END FLASHBACKという表現が用いられている。フラッシュバックに関しては細かい慣例があるから別に解説するとして、兎も角2つのトランジッションで挟むことでシーンの意図が分かり易くなっている。これも非常に重要なポイントだろう。

  • とはいえ...

2例目のスクリプトは基本的なルールは守られており、脚本として十分に機能するものだと思われる。しかし、様々な映画の脚本を読み比べて貰えれば分かると思うのだが、このスクリプトにはどことない違和感がある。

具体的には言い回しが大業で簡潔さに欠けている。描写が丁寧なのは結構だが、必要以上の文言が多く、直感的な理解を妨げる。最初に述べた通り日本語の脚本を読んだことがない都合うまく説明し難い部分があるが(そもそもどういった書き方が評価されるのかさえ知らない)、少なくとも英語の感覚からすると読み辛い。ということで最後に最も自然な、恐らく筆者がscreen writerであればこの様に書くだろうという例を観察する。

事例三・優れた例

優れた例と銘打ったが筆者の力が及ぶ範囲で、という意味だからその点ご了承頂きたい。この場合のポイントは如何にシンプルで分かり易い英語を使うか、という点だ。

因みにジョーカーに関しては無料で脚本が公開されているので、気になった方は各自調べて頂きたいのだが、そちらでは当該シーンは1ページ半にも満たない長さとなっている。キャラクターや場所の説明など本来入らない要素も含めて書いているから、長さ的には2枚半という所で悪くないのではないだろうか。オリジナルにはフラッシュバックも含まれていない訳で。

今回の記事を纏めると次の様になるだろうか。

  • 脚本の書き始めは必ずSlug Lineから、空間・場所・時間を設定する。
  • ロケーションが初めて登場する場合、Action Lineは場所の描写から始める。
  • 人物の描写でも場所と同様初めて登場するキャラクターは描写から始める。
  • 行動、或いは会話からアクション・ラインをスタートさせてはならない。
  • アクション・ラインでは撮影方法、編集方法に極力言及しない。
  • 感情描写や隠喩を用いることは極力避ける。
  • アクションに拘り、なるべく簡潔な表現を心がける。
  • 自体はCourier、フォントサイズは12
  • Slug Lineでも字体は同じ、但し全て大文字で書くこと、太字にすることが多い
  • 余白は左側に1.5 inch (3.81cm)、右側に1 inch (2.54 cm)、上下に1 inch
  • ダイアログの際のキャラクターの名前は全て大文字、左端から3.7 inch (9.398 inch) 空ける(余白を含める、文字列からは2.2 inch)
  • ダイアログはキャラクターの名前から1行下げる、左端から2.5 inch (6.35 cm) 空ける(余白を含める、文字列からは1 inch)
  • アクション・ライン中で初めて登場するキャラクターの名前は全て大文字、フルネームで示す
  • キャラクターの動作はカッコで囲み、キャラクター・ネームとダイアログの間に独自の行を設けて書く
  • 動作のカッコは左端から3.1 inch (7.874 cm) 空ける(余白を含める、文字列からは1.6 inch)
  • ページ・ナンバーはページの右上に上から0.5 inch (1.27 cm) 下げて記す、左端をアクション・ラインの右端(余白からi inch)に合わせる
  • ページ・ナンバーにはピリオドを打ち、数え始めは2ページ目から、1ページ目にはFade In: (トランジッション)と書く
  • タイトル・ページはページ数には含めない
  • ページ一枚辺りの行数は55行程度に収める(上記のフォーマットが整っている場合、自然と58行程度に収束する。ページの終わりがキャラクター・ネームになったり、始めがトランジッションになる場合、1行下げて整えると良い)

このルールさえ守っていれば一応脚本として形にはなるので(もちろん話が面白いことも大切だが)、適宜振り返って活用して欲しい。少なくともフォーマットの欠陥から没になることはない筈だ。

ハリウッド級三幕構成をまとめた画像は有料級だと思います!と威張り倒したTweetを見掛けた事があるが、英語圏ではここまで無料でアクセス出来る訳で、高々三幕構成程度で威張ることは何もないのだ。本物の脚本だって無料で閲覧して勉強出来る訳で。意趣返しというのではないけれども、折角英語圏で勉強している身として何かの役に立てれば幸いである。

 

【留学情報】イギリスで永住権を獲得するまでの道のり

21 (Mon). November. 2022

先日Twitterで投稿した内容の簡単な纏めなのだが、自分用のメモとして、それからブログの方でクリックが付きそうな中身だったので上げ直し。

駐在職員や国際結婚、それから語学留学に交換留学で海外に行く人が全体の優に半分以上は占めているのではなかろうか。単身留学、或いは就職の為の渡航は割合としては多くないと聞くが、ではそうした単身で渡航した日本人が現地で働いて、生活する為にはどうしたら良いのか?

具体的には3つの方法があって、それが1)就労ビザ、2)永住権の獲得、3)国籍変更。その中でも特に就労ビザの獲得と永住権の獲得に就いて簡単に整理して置こうと思う。

The Immigration Scene from The Godfather: Part II (1974)

就労ビザの獲得が必須

  • そもそも留学(海外で生活)した状態で日本に戻って就職する難易度が高い。インターンも就活セミナーも物理的に行くことが不可能な中で、就活=情報戦などと言われる戦いを勝ち抜くのは困難。
  • 寧ろ留学先で出来るコネクションや経験を考えると現地で就職した方が簡単。本人も当初はそれを望んで留学した筈。
  • その場合必要なのは学生ビザから就労ビザへの変更。ビザの種類は長期ビザと短期ビザの2種類で職種によって区別されている。
  • 長期ビザの方が当然審査は厳しい。短期ビザは芸術的職務、宗教上の職務、奉仕事業、季節労働など細かく分類されておりその分ハードルも低い。映画産業での仕事は先ずはCreative Worker Visa (Temporary)からのスタート。
  • そのCreative Worker Visaで滞在が認められるのは、12ヶ月或いは保証された契約期間+28日のいずれか短い方。ショートフィルムの撮影だとプロダクションは1週間から2週間で行われるのでこの場合滞在期間は1ヶ月半ほど。
  • ビザの申請に必要な期間は8ヶ月以内。最悪の場合仕事を終えて、申請をしてギャップの数ヶ月の間日本に戻ってまた渡英して、というプロセスになるかも。
  • 正直仕事をしながら4週間の猶予で次の仕事を探して、申請手続きをして、というのは相当厳しい。アパートも長期での契約が前提で、イギリスは他人とシェアすることが多いから、一年契約がほとんど。短期ビザだと住居探しも一苦労。
  • 就労ビザではなくて直接永住権は獲得できないのか?これは不可能になっています。永住権申請の為の最低条件は5年以上英国に住んでいること、及び金銭的な保証がされていること(職に就いていること)。
  • 大学は3年生なので、最低2年はマトモに仕事してますよ、という証明が必要だということ。映画業界の様な短期の仕事をいくつも、というのだと要件も厳しくなるかも知れない。
  • とは言え普通の企業に入って長期ビザを貰うのも簡単ではない。そこそこの職であればわざわざ外国人を雇う必要がなく、求められるスキル・レベルは高い筈。そして日本人は途上国などからの移民よりも審査要件が厳しくなりがちということで、就職は一流企業を狙っていく必要性あり。いわゆる外資ベンチャーに当たるので、解雇の可能性も考えておくべき。

以上が簡単な就労ビザ獲得までの道のりである。難易度は当然高く、軽々しく「海外で働きたい」など言えたものではないな、という感じだ。

冒頭書いた通り、これらはTwitterの投稿の要約になる。プロフィール欄または如何のリンクから飛べると思うので、そちらの方も確認して頂けると幸いである。

 

Sail (@Sailcinephile) / Twitter

【映画解説】反知性主義を考える/エクソシスト(1973)が怖いワケ

19 (Sat). November. 2022

来年で50周年を迎えるホラー映画の金字塔、エクソシストマックス・フォン・シドーが靄を掻き分けて差し込む光に照らされるあのショットは誰もが一度は目にしたことがあるだろう。リンダ・ブレアがスパイダー・ウォークする場面も何故だか有名である。スパイダー・ウォークが観たければオリジナル版は見ないことだ。

さて、そのエクソシストについて今回は考えるのだが、タイトルは「反知性主義を考える/エクソシストが怖いワケ」とした。この辺りの話題に明るい読者、或いは神学系の大学に通われていた読者などは一目でこの先の展開が読めてしまうのではないだろうか。

安心して欲しい。筆者はエクソシスト啓蒙主義への批判映画、医療万能主義の批判という様なつまらない議論をするつもりはない。寧ろこの記事ではこれまで語られてきたエクソシストに対する解釈を見直すことを目的とすると共に、世相と絡めて反知性主義とは何か本当の意味で考えて行きたいと思う。

日本でも数年前に流行した単語。「反知性主義」。記憶に新しい方も多いだろう。恐らく◯◯主義として提唱したのはリチャード・ホフスタッターの『アメリカの反知性主義』が初めてだと思うが、内田樹佐藤優、森本あんり等々優れた論客がテーマとして扱ってきた。

一介の映画ブログの解説よりも彼らの解説の方が信憑性があるだろうから、詳しい用語の意味は各々調べて頂くとして、ここでは簡便に定義を紹介するだけに止めエクソシストを議題の中心としたい。

Linda Blair in The Exorcist (1973)

第二バチカン公会議(1962-1965)

いきなりの脱線で申し訳ないのだが、ご寛恕いただきたい。エクソシストの背景を考える上でキリスト教について考えることは不可欠であり、特にアメリカ(本国)への影響を理解する為には公会議について知っている必要があるのである。

公会議とはキリスト教に於ける最も重要な審議の場で、教義の解釈や典礼の実施について正式な見解をまとめる為の議論が行われる。世界史を履修されていた方であれば、アリウス派を異端としたニケーア公会議、などと聞いたこともあるかも知れない。平たく言えばキリスト教世界の国会であり、政争の場ともなれば異端審問の場ともなり、たまには真面目に法律(キリスト教)の議論もする、そんな場所である。

この公会議キリスト教の地盤が弱い日本人にとっては尚更馴染みのないものだと思うし、どことなく古臭い感じもする。特に世界史の授業を受けていた方であれば歴史上の出来事として捉えてしまうことだろう。だから第二次世界大戦後、1962年から1965年にかけて開かれていたということは殆ど知られていない様に思われる。

しかしこの第二バチカン公会議、非キリスト教徒の生活にも影響を及ぼすある事柄について重大な決定がなされた場なのだ。それはキリスト教と科学の両立について。イタリア語で進歩を意味するAggiornamentoがテーマとなっており、カトリック教会の刷新、教会の意義と他機関との関わり方、非キリスト教徒を含む全世界的な人民に対する在り方などが議論されたのだが、その中では科学と教義をどう両立させるべきか、というテーマも含まれていた。

科学と教義の両立というとピンとこない方もいるだろうから少し補足すると(というより筆者が偏った立場にいないことを明らかにする為に説明すると)、例えばダーウィンの進化論などは聖書の教えに反する科学として著名な例で、アメリカの一部の州では進化論を教えることが禁止されていたりもした。1980年頃からは進化論を一般的に教えることが許可される様になったが、2005年になって創造論を生物の教科書に記載する様求める投票が行われたりと未だに進化論に対する嫌悪感は強かったりもする。2018年にはNBAプレイヤーのKyrie Irvingがフラット・アース(地球は平坦だとする考え方)を支持するかの様な発言をして物議を醸したが、そうしたFlat Eartherも一部には存在する。

この様に宗教理解に基づく科学の否定というのは根強い問題であって、公会議で取り上げられたのはこうした敬虔な信者と戦後の若者たちとを分断しない様にという配慮でもあった訳だ。Vatican Observatoryというサイト上(orgドメイン)で公開されている文書には次の様に公会議での採決が記録されている。

If by the autonomy of earthly affairs we mean that created things and societies themselves enjoy their own laws and values which must be gradually deciphered, put to use, and regulated by men, then it is entirely right to demand that autonomy. Such is not merely required by modern man, but harmonizes also with the will of the Creator. For by the very circumstance of their having been created, all things are endowed with their own stability, truth, goodness, proper laws and order. Man must respect these as he isolates them by the appropriate methods of the individual sciences or arts. Therefore if methodical investigation within every branch of learning is carried out in a genuinely scientific manner and in accord with moral norms, it never truly conflicts with faith, for earthly matters and the concerns of faith derive from the same God. 

(訳)仮に森羅万象の自動律と言った時にそれが我々がその法と価値を享受する様な発明品と社会を意味し、そしてそれが我々の手によって理解され、利用され、制御されなければならない様なものを意味するのであれば、その自動律を求めることは完全に正しいことである。その様な自動律は現代人だけが必要としているものではなく、創造者の意思とも合致するのだ。何故ならば被造物は創造された正にその環境によって適正・真実・善・良き法と秩序を与えられるからである。人は科学や芸術という名の下に与えられし条件を個別に扱う際には、十分にそれらを尊敬しなければならない。つまりあらゆる分野の探求が真に科学的な方法で行われ、道徳的な常識と合致する様な方法で行われるならば、それは真の信仰と対立することは決してないのであって、それも地上の事象と信仰上の事柄は同じ神の下から立ち現れているからなのである。

中々邦訳が難しい文章だが、要は神が創りし人と自然があって、その自然の法を人間が学ぶとしてもどちらも神様が作ったものだから科学も信仰の内で認められるでしょう、ということだ。

これが公会議に於いて公式見解として発表されるのだが、それはキリスト教徒、特にアメリカ人にとっては非常な問題であった。当時のアメリカでは検閲が実施されており、ヘイズ・コードに依る自己検閲が最も有名だが、実はその他にキリスト教徒による検閲というものも存在した。キリスト教の教義に反する表現が含まれていないかどうか、公序良俗を乱す描写がないかどうか、こうした事柄をチェックし教会ネットワークを通じて信者に鑑賞の可否を伝える団体が存在していたのである。彼らの影響力は絶大でアメリカ社会の大部分を占めていたキリスト教徒が総出で映画をボイコットするという事態も考えられたのである。

それが公会議での決定により科学(と芸術)が認められるということになった。猥褻に関する規制は続いたものの人が作りし映画は科学に対して表現することが認められたのであり、検閲は不要と公式に決定されたのである。

これが当時のアメリカ社会にとって大きな転換を意味していたことは容易に想像がつくだろう。奇しくもベトナム戦争ウォーターゲート事件と重なる時代、価値観が大きく揺さぶられていた時代だった。その中で登場した映画がエクソシスト(1973)なのである。

エクソシスト

公会議の終幕が1965年、同じ年にカトリック教会の検閲機関だったThe National Legion of DecencyがThe National Catholic Office for Motion Picturesに改名。それに伴ってレーティング・システムも改変される。

こうした一連の宗教サイドから映画、科学へのアプローチの変化があった中でエクソシストが発表されるのが1973年。8年というと長い様な気もするが例えばコロンバイン銃撃事件(1999)を受けてボウリング・フォー・コロンバイン(2002)が発表されるまでが3年。フィクションの世界では1964年のアメリカ軍ベトナム派兵からディア・ハンターが発表されるまでが14年。実際に行われた調査の量と当時の観客の保守部りを考慮すれば十分早いと言えるのではないだろうか。

監督のリチャード・ドーキンスは神学・科学の両面から徹底的な考証を行なっており、神学面では米国カトリック教会を通じてバチカンと連絡を欠かさず、彼らの認証を得た上で映画を製作した。その証左に彼はリアリティを増す為教会のシーンについて実際の教会を使用することを検討していたが司教・聖職者らの反対を受けセット撮影に変更している。またエクソシズムに関しても現代では殆ど絶滅した儀式であることを理解しており、ヒステリーへの対処療法として劇中に登場させていて、これは当時の聖職者によって正確な描写だと評価された。

科学面からは当時トップクラスの設備を持っていたニューヨーク大学医療センター他の医師から指導を受けており、またトップクラスの心理学者、精神科医師、神経医学者、臨床相談員、放射線技師などをコンサルタントとして招いて科学考証を行なっている。劇中の様に検査中に血が飛んだり母親が上から視察したり、ということは実際には行われず、恐怖感を煽る為の演出であったもののそれ以外の部分では極めて科学的に正確さを担保されていた。

事実1973年当時の観客はリンダ・ブレアが病院で検査されるシーンで"walk-out"、離席することが多かったらしく或るジャーナリストによれば観客が吐き出すのは最後のエクソシズムのシーンよりも採血シーンで注射器から飛び散る血を見た時だったそうだ。詰まりはそれだけリンダの反応が生々しく、デモニックだったのだろう。

少し脚本という目線から話をすれば医学検査のシーンとは終盤の儀式のシーンを強烈に印象付ける為の準備という役割を担っている。あそこで彼女に取り憑いた悪魔を正式に手に負えないものとして診断することで、「対症療法」としてのエクソシズムを正当化すると共にその異様さに根拠を与えているのだ。医学で解決出来なかったのだから、彼女の変貌は実際に悪魔によるものだったのかも知れない、という風に。従って科学考証が精密であればある程その説得力は増すことになるだろうし、その様に機能したからこそ検査シーンで吐き出す/離席する観客がいたのではあるまいか。

反知性主義

ここで興味深いのは、離席した/吐き出した観客の映画に対する感想が「冒涜的だ」というものだったことだ。配給のワーナーによる煽りもあったとはいえ、当時多くのメディアが如何に観客が嫌悪感を示したか、宗教団体や科学者が神への冒涜、ポルノ映画的性質を強調したか、こうした点を報道していた。

しかし科学では対応できない未知の病を対症療法たるエクソシズムによって例外的に対処する、という物語の何処が冒涜的なのだろう。確かにジェイソン・ミラーは演じた神父は神の存在について疑問を抱いている。しかし彼も最後には悪魔の実在から背理法的に神を信じる様になった(と思われる)し、マックス・フォン・シドーは元々敬虔な信者だ。

だから彼らの批判から筆者が感じたものこそが、医学で解明できない悪魔に対する嫌悪感=反知性主義なのである。彼らは神に挑戦するかの様な悪魔を見て冒涜的だというが、彼らが真に恐怖を感じたのはその前段階から、悪魔が得体の知れないものだとわかり始めた頃からなのだ。だから彼らは実は理解出来ないものを恐れていて、その意味で反知性主義的なのではないだろうか。

反知性主義とは元来は文字通り「知性主義(主知主義)への反抗」、つまり知性によるコントロールに対する反抗を意味する。主知主義と言えば理性による人間精神のコントロールとして倫理的なニュアンスを持つが、知性主義と言った場合には政治的な側面を、即ち知的エリートがコントロールする社会像を意味することが多いのではないだろうか。それに対するアンチ(反)なのだから、知性がエリート層にのみ帰属することへの反抗となるだろうか。

知識人がそのままエリートとなることへの反感。知識が民衆に帰属されないことへの不満。これはしばしば排他的な自己中心主義・仲間中心思想へと結びつく。

「彼ら知識人がエリートとしてのさばっていてはいけない。真の知識は民衆の側に、即ち例えばこの私の元に帰属するべきだ。自分だけが正しい知識の保有者となり得るんだ。」

こうした論理の飛躍である。本来は知識を民衆に返すことだけを意味していた筈なのにいつの間にか自分こそが正しい、という風にすり替わってしまっているのである。そしてこの飛躍は更に屈折した感情に、陰謀論的な思想に結び付きかねない。

「自分こそが正しい知識の保有者なのに、自分の思った通りに世界が動かない。自分が認められていない。これは間違った指導者が間違った事を言っている所為だ。間違った指導者が誕生する様な仕組みがある所為だ。自分が正しいことは証明されている。そうだ、これは我々を貶める陰謀なんだ!」

これは当然論理の飛躍であるから、良識的な立場からは彼らのエリート層に対する反発は間違った思想に由来する反抗に見える。この時反知性主義は知識への嫌悪へとすり替わるのだ。

以上が簡単な反知性主義の説明な訳だが、既に述べた様にその始まりは知識人に対する嫌悪にある。これはある意味で健全な思想であって、自分が賢い状態で居たい、という向上心であるとも言える。対して屈折した反知性主義では自分が分からない状態、コントロール出来ない応対、分かっている事柄と異なる状態、こうした状態を恐れ、超自然的な説明を求める様になる。例えば新型コロナウイルスワクチンは遺伝子コントロールの為に接種されている、という風に。

何となく見えてきただろうか。観客はホラー映画を見に行く。心の底で悪魔の存在を信じていないとしても、喩え無神論者であったとしても、何処かで怪奇現象が起こって映画が展開されるのだろうと期待を抱いている。ましてタイトルはThe Exorcist(悪魔祓い師)だ。映画が始まって幸せそうな家庭の一人の女の子に異変が現れる。恐ろしい状態だが、予想通りでもある。

しかしここから大掛かりな機械を用いた医療検査が始まる。一面では悪魔が現れると思って見ているから、そんな検査は意味が無いだろうと思う。だが映画が進んでも誰も悪魔の存在を認めようとはしない。悪魔は現状の医学では太刀打ち出来ない謎の症例として説明されており、聞いていた話と違うではないか、という事になる。また別の一面では観客は科学の正当性を信じてもいる。既に述べた通り、宗教と科学が矛盾しないこと、科学はこれからの未来に於いて認められることが公会議で宣言されたばかりだ。これだけ大層な検査をしても何の異常も見つからない、科学の不完全さに嫌悪感を持つ。

観客は二重の意味で先の展開が予想出来ない状態に追い込まれる訳だ。一方では科学を信じており、科学こそが民衆の知恵だと、正しい知性だと考えている。もう一方では完全な悪魔、得体が知れないことが知れている悪魔が現れると思っている。しかしそのどちらもがスクリーン上では否定される。こうして一切の見通しが立たなくなった時、悪魔は真に恐ろしい存在に、理解を超えた範疇で行為する支配者に変貌するのである。それは難しい言葉で、一般人にわからない様に行われる政治家の姿にそっくりだ。

正しく反知性主義の機能する仕方と一致していると言って良いだろう。医療で全てが解決出来るという思い込みへの批判、という従来の分析が間違っていると主張するつもりはないが、観客が恐怖を感じ始めるのは検査シーンから、という事実を踏まえると分からない状態への嫌悪という全く逆の結論を導き出したい気持ちになる。

誰も彼もが知識は自分の側にあると思っている。ロシア人は独裁者に洗脳されて戦争をしている。右翼は間違った言論を信じ込んで根本的な権利を冒涜している。アメリカ人は中国の内政に干渉し、領土の一部を奪おうとしている。これらはどれも陰謀論として根拠がないものだとされるが、何故根拠がない思想を正当だと信じるかを考える人は少ない。そして何故しっかりした根拠を持って考えている自分らが逆の立場から「陰謀論者だ」となじられるのか、考えてみる人は少ない。

エクソシストの悪魔を例えばロシア人に、例えばアメリカ人に、シーア派教徒に、或いは自分に重ねてみたらどうだろう。ほぼ50年経った今もエクソシストが怖いと思えるのは見たくないもの、知りたくないもの、拒否したいものが大手を振って襲い掛かってくるからなのかなと思った。

何だか説教くさい記事になってしまったが、久し振りに見返して感じた素直な感想である。中々一般向けの記事で、時代背景にまで本格的に言及する記事もないと思うから、公会議との関連だけでも楽しんで頂けたら嬉しいなと思う。