【ランキング】2024年ベストアルバム
20 (Fri). Dec. 2024
早いもので2024年も年の瀬ですが、皆さんにとって今年はどんな1年だったでしょうか?
私個人としては本当に激動の年で、たくさん旅行に行き、そして仕事の面でも中々大変だったりと本当に色々なことがありました。人生で1番記憶に残る年だったと言っても良いんじゃないかな。その代わりにプライベートの方は散々で、創作に費やした労力を癒すことだけに時間が充てられて記憶に残っていることが何もないという惨状。私生活でも学業でも部活でも充実した高校時代の様に何事にも全力で、とはいかなくなってきた体力の衰えをひしひしと実感したりしていました。
さて、そんな一年を送っていた訳なんですが、私に創作面では大きなインスピレーションを与え、そしてオフの時間には安らぎを与えてくれたり、或いはモチベーションを与えてくれたりと様々な側面から私を支えてくれていたのが音楽です。
今回は2024年に発表されたアルバム達の中から取り分け素晴らしかった10枚をピックアップして語って行くことにしましょう。
10. Mk.gee "Two Star & The Dream Police"
何と言ったって顔が良い。大事なことなのでもう一回言わせて欲しい。顔が良い。イケメン過ぎる。
そんなMK.geeですが、まさにデジタル世代のロックというか、ロックという音楽が本質的に持っていたであろう破壊的な衝動とインターネット化のナーディな感覚を上手く継ぎ合わせた作品を作り上げてくれました。
例えばジョージアの民衆デモだったり、韓国で戒厳令が発動されたり。シリアでは政権が倒れ、ガザやウクライナでの戦争も継続しています。スペインでは観光客を標的としたデモが行われました。私の住むイギリスでも全国的な暴動が起こり、しかもそれがどうやら右翼団体によって煽動されていた様です。これだけ政治的、軍事的な運動が乱発し、混沌を極めた1年であったにも関わらず、果たして私たち民衆の間にどれだけの現実感が持たれていたでしょうか?
これが半世紀と少し前、1950年から70年くらいの出来事であれば間違いなく「政治の季節」として記録と記憶に残っていたでしょうし、知識人やアーティストたちも言葉と表現を尽くして声を上げていたと思います。しかしながら我々の間にはどこかライブ感が欠ける部分があった筈。多くの著名人がInstagramのストーリーに上げたガザへの連帯を示すポストを左にスクロールした経験がある人は絶対に私1人ではない筈です。
このMK.geeのアルバムはロックとしての熱い思いがありながらも、例えばデヴィッド・ボウイやクラッシュ、パティ・スミスとは違う、20年代的浮遊感ややるせなさを持ち合わせており、極めて重要な作品になっていたと思います。
それは多重に加工されたギターサウンドというところからも感じられますし、このアルバムのハイライト"Alesis"での分かり合えない2人を歌った普遍的な歌詞などからも伝わってきます。どうやらベッドルーム・ポップのシーンから飛び出てきた才能の様ですが、多くの人々の共感を集めるのも当然、今後の時代を作っていく飛び抜けた才能だったと思います。
9. Caroline Polachek "Desire, I Want to Turn Into You: Eversaking Version"
今年を一言で表すとしたら?"Brat!!"
Charli XCXが発表したアルバムのタイトルですが、本当に世界中がこのアルバムに熱狂し一大ムーブメントとなりました。カマラ・ハリスが選挙期間にこれに便乗したのを覚えている人も多い筈。あっさり敗れて、Charli自身も「政治利用すべきでなかった」と後悔のコメントを出していましたが。
このBratという単語、先のMK.geeのところでも述べたナーディなデジタル世代の感覚ともリンクするものだと思っていて、或いはトム・ホランドだったりティモシー・シャラメといったスターが持つ人気を考えると分かりやすいでしょうか。
私個人としてもBratムーブメント自体は大いに楽しませて貰ったし、特にファッションの部分で非常に重要な意味を持っていたことに異議を唱えるつもりはありません。しかしながらこのアルバム、音楽という部分で考えた時にこれまでのCharliの諸作品と比べてどうにもつまらないんですよね。彼女と言えばハードコアなエレクトロとガーリーでキュートなポップスを融合させるのが非常に上手く、トレンドセッターとして注目を集めながらもアンダーグラウンドな雰囲気も併せ持つといった存在でした。ところが今作では(正確には多分”Barbie"のサントラに参加した時から)キッチュに走りすぎてしまったというか、彼女自身が自分の音楽をスタイライズしすぎてしまった感が否めず、どうにも聴いててワクワクしないんですよね。
そんな私の心の隙間を埋めてくれたのがCaroline Polachek。彼女自身もCharliとの共作で有名です。このアルバムは彼女が去年発表したアルバムに追加曲を加えたリイシュー盤なんですが、上にリンクを貼ったハードなドラムンベース風の曲があったり、Wayes Bloodとのコラボがあったりと非常にバラエティに富んだ意欲作になっています。Charli、こういうのが聴きたかったんんだぞ、という感じ。追加曲の分で寧ろオリジナルよりも好きですね。
あとCharliはSpotifyの自分のアルバムのアートワークを勝手に変えて無かったことにしたのも早く辞めて欲しいよね。普通に写真家だったり編集してくれた人に対するディスだと思う。
8. Pale Waves "Smitten"
Pale Wavesはデビュー当時からずっと大好きで、"She's My Religion"とか"There's A Honey"とか凄く好きな曲の多いアーティストです。
ただよく言われてることですけど、曲が全部同じに聞こえるというかアルバム全体を通しての起伏に乏しくて2ndなんて33分のアルバムなんですけどそれでも中弛みが酷いというところはファン目線でも否めなかったんですよね。
それがこのニューアルバムでは改善された、と言えるかどうかは分からないんですけど、1番全体を通して纏まりがあるというか、コンセプト・アルバムに近い様な統一感を感じられる仕上がりになってたと思います。シングルカットされた"Perfume"や"Glasgow"といった曲が目立つのは勿論のことなんですけど、後半になっても”Kiss Me Again"みたいなハイライトになる曲があるのも嬉しいポイントで、全体的に素晴らしいシンセポップだなという印象ですね。後は1stの最後を飾った"Karl (I Wonder What It's Like to Die)"みたいな力の入った曲も好きなんですが、どうしても重くなりすぎてしまうのも否めなかったので、ヴォーカルのHeatherのバンドであることには変わりないんですけど、彼女のストーリーテリングに安定性が出てきたんだな、っていうのも良かったと思います。
これは余談なんですが、イギリスにはこういうゴスメイクの女の子が結構な数います。私のファッションとの親和性が高いというのもあると思うんですけど、個人的には自己表現として凄く良いなと思っていて、「皆と同じ服を着ないといけない」、「人混みで目立ちたくない」っていう考えが主流の日本って凄くつまらないなと思ってるので、参考にして欲しい限りですね。自己表現のないファッションなんてダサい以前に価値がないので。
7. Maggie Rogers "Don't Forget Me"
これはチルしたい時に聴いてたアルバム枠かな。基本的にはロックが好きな人間なので今年のアルバムだとBMTHの"NeX GEn"とかLinkin Parkの"From Zero"とかよく聴いてたんですけど、たまには息を抜いてティーでも飲みながらゆっくりしたい時だってある訳です。そういう時に聴かせて貰ってました。
ただそうは言っても彼女の歌い方が凄くブルージーというか、ロックファンにも訴えるものがあると思うんですよね。ファレル・ウィリアムスが完璧だ、って褒めた"Alaska”がバズって、私もその印象が強かったんですけど、その時はエレクトロの打ち込み主体の音楽で、ビリー・アイリッシュとかそういう感じなのかなって思ったのを覚えてます。ビリーと言えば2ndアルバムでソフィスティケイトされた音楽を作って、凄く良いなと思ったら今年発表の3rdではまた1stのテイストに戻ってしまって、けれども1st程には衝動的でないというまさに両作のどっちつかずな作品を作ってしまったんですけれども。彼女は言動とかは凄く格好良いんだけど、ダークヒーロー的にはならず、音楽の才能は凄まじいから2ndみたいなアルバムも作れてしまうんだえど、振り切れないってキャラクターなのがハマりきれない原因なんですよね。
さて、Maggie Roggersですが、彼女はもうしっかりと自分がやりたい音楽をやっているというか。バラードがあったり、"The Kill"や"On&On&On"みたいな無条件に体を動かせる曲があったり。去年は上でちょっと述べたBlondshellが私のFavoourite SSWでしたけど、今年は彼女が1番だったかなと思います。
6. Wunderhorse "Midas"
彼らは日本でどのくらいの知名度があるんでしょうか。イギリスでは結構人気になってるバンドの2ndです。イケメンっていう訳ではないけど、多分ロックバンドをイメージして下さいって言ったら自然と彼らみたいなヴィジュアルが浮かんでる様な、そんな本質的な格好良さを持ったバンドだと思います。
彼らに関してはそもそも1stのシングルだった"Teal"が話題になったバンドだったんですよね。Fontaines D.C.だったりIDLESだったりイギリスで力強いシーンを形成するポストパンクとStrokesみたいなガレージロックの良いところ取りをした様な音楽性で、声質や歌い方はパンク的なんだけど、楽器隊はヘヴィに振り切った訳ではない。そのバランス感覚が比較対象のない、意外とありそうでこれまでなかったバンドなんじゃないでしょうか。
今作では彼らのファッションがより洗練され(アルバムのジャケットも凄く格好良いです)、そして音楽という部分ではグランジ的な要素が追加されました。というのも"Rain"を聞いてもらえれば分かると思うんですが、ベースがメチャクチャ重たいんですよね。この重たいベースと疾走感の掛け合わせがグランジっぽくて、ただSound GardenとかStone Temple Pilotsをなぞるだけじゃなく、それを自分の音楽に再構築してる感じが良かったですね。フジロックとかで呼ばれて欲しいなと思います。
5. The Smile "Wall of Eyes"
言わずと知れたRadioheadのスピンオフバンド。
ファンからRadioheadそっくり、全く一緒みたいなそういう評判ばっかり聞いていて、そして彼らのファンではない私からすると、「じゃあ聴かなくて良いかな」と思って聞かず嫌いしていたバンドです。
ただ聞いてみると結構印象が違うというか、それは勿論特に後期のRadioheadを聴き込んでいる訳でもないリスナーの立場の意見かも知れませんが、明るくなって聞きやすいなという印象を持ちました。彼らというと"The Bends"とか"A Moon Shaped Pool"みたいな暗いトーンか、或いは"Kid A"みたいなアンビエント的なサウンドとその2つが私の中では思い浮かぶんですけど、そう言った印象と比べてずっとギターが力強くて、特に上に挙げた"Read the Room"。個人的なアルバムのハイライトなんですけど、3:12でギターが分離してソロが始まって、それが盛り上がって言ってトム・ヨークのボーカルが引き立て役に変わり、そして多層的に広がった音色が4:50くらいの電子音に変わって収束する展開がメチャクチャ格好良いなと思いました。
もしかしたらこういう展開は他のRadioheadの曲でもあったのかも知れないし、その辺はファンじゃないので詳しく分からないですけど、だとしたら技術的な部分ではなくメンバーの考え方の問題なのか、いずれにしても印象がRadioheadとは全然違ったので、そうするとあながちRadioheadで制作しないのも理に適ってるんじゃないんでしょうか。
4. SPRINTS "Letters to Self"
今年の頭にでたアルバムなんですけど、本当に何回も何回も聞いたアルバムですね。下の6枚と比べて断然思い入れがある、特別な作品です。
彼らは典型的なポスト・パンクバンドで力強く疾走感のある楽曲が特徴なんですが、その中で他のバンドと一線を画しているのが抜群のメロディセンスですよね。”Heavy”ではサビの部分の"I'm watching the world goes round the window besides me"と歌う所。他にも"Shadow of a Doubt"であったり、”Up and Comer"とか、こういったパンクバンドって一般にシンガロングするという感じじゃなかったりすると思うんですけど、このバンドはとにかく一緒に歌いたくなる様なキャッチーさがヘヴィネスと同居してる部分が素晴らしいです。"Adore Adore Adore"のサビ、”They never call me but, but, but beautiful, they only call me insane"と歌う所でbutを繰り返す所とかも凄くキャッチーじゃないかな。
因みにTwitterでよく私のタイムラインに出てくる「音楽批評家」様、多分映画とかも齧っててその関係のツイートもするからだと思うんですけど、このアルバムもレビューしてて。楽曲がもうちょっと覚えやすくなったら良いかなとかポストしててお前の耳は腐ってるのかとか思いましたね。これ以上楽曲を覚えやすくするってパンクとかそういう音楽聞いたことないんですか?何かもう本当に、何言ってんだコイツって感じでした。「覚えやすい曲」ばっかりの良いバンドなんで是非聞いて欲しい。
3. Fontaines D.C. "Romance"
今年のイギリスから出た音楽で1番と言ったら間違いなくこれでしょう。Fontaines D.C.の"Romance"です。先に挙げたWunderhorseをオープニングに引き連れてライブを行っており、ポストパンクシーンの筆頭を走っています。
先行シングルの"Starburster"が発表された時点から私の中ではヘヴィ・ローテで、ヒップホップ的なアプローチながらそれを抜群の感覚で超絶格好良いロックへと変換しており、また彼らのバンド結成のきっかけが詩に対する情熱だったということからも分かる通り歌詞と言葉選びも抜群に良いんですよね。特に2nd Verseの"Keep me from thee"とかね。言葉のチョイスが凄い。後半の壮大なバラードに変化する展開も良いし、とにかく楽曲として名曲過ぎる。
またもう1つのハイライトが"In the Modern World"。こちらはゆったりとしたバラードながらダークで危ない香りがするというか、そういった雰囲気を同時に持ち合わせています。それを支えるのはやっぱりギターの音色であり、デビュー当時から抜群のギターの格好良さ。これってモダン・ロックからは失われつつあるものだと思うんですけど、fontainesはそこに拘ってるんだろうなっていうのが分かります。
冒頭の"Romance"、高音が心地よい"Here's the Thing"、ダークでちょっとだけメタルっぽさもある"Desire"、軽快にラストを飾る””Favourite"。どこを取っても隙がない、完璧なアルバムです。
2. Vampire Weekend "Only God Was Above Us"
ヴァンパイア・ウィークエンド。このバンドにはちょっとした思い入れがあって、最初の2枚に関しては滅茶苦茶聞かず嫌いしてたんですよね。というのもBon IverとかDeer Hunterとかそうですけど、Pitchforkというメディアが推してるバンドをどうにも格好良く思えなかったというのが背景にありました。
リアルタイムだと10歳になるかならないかで、洋楽との出会いも親が聞いていたものから、リンキン・パークにハマり、マイ・ケミカル・ロマンスとかフォール・アウト・ボーイみたいなニュー・メタル/エモだったというのもあると思うんですけど、何が格好良いのか分からない。後追いで聞いてみても、「何でTOOlのLateralsが1.9点なの?」とか「Lana Del ReyのBorn to Dieが5.5点?」とかね。不必要な逆張りをしている感じというか、とにかく昔ながらの格好良いロックを批判している感じが嫌いだったんですよね。
そしてそのピッチが激推ししていたバンドの1つがVampire Weekendだった訳です。ワールドミュージックを取り込んで云々、っていう所で考えても、ロックバンドとして全然格好良いと思えなかったし、Youtubeでライブを観ても音がスカスカで。そんな彼らの見方が変わったのは3rdアルバムですね。たまたま聞いた"Step"という曲。これが凄く良かったんです。相変わらず歌詞は隠喩に富んでいて言葉も選びも難解なんですが、それがメッセージ性を持っているというか、しっかりと伝わってくるものがあって。アルバム全体としてもこれまでにないくらいに暗く、ただのインテリじゃない、ロックバンドなんだなということをこの時初めて理解しました。
そして一作空いての5枚目。彼ららしい外したメロディ感覚は健在ながらより直感的で分かりやすいメロディに変化しており、また歌詞自体も率直なものに変化したと思います。私のフェイバリットは”Gen X Cop"、映像も凄く格好良いんですが、こういったギターリフはこれまでぼVWには無かったものでしょう。最高傑作かどうかは議論の余地がある部分ですが、2024年で2番目に素晴らしかったアルバムであることには疑いの余地がありません。
1. Clairo "Charm"
1位はこれしかないですね。Clairoの"Charm"。寧ろこのアルバムについて話したくてこの記事を書いてるまである。
彼女はデビュー当時は所謂ベッドルーム・ポップの寵児で、”Bags"だったり"North"、そして社会現象になった"Pretty Girl"と大変な人気を誇っていました。ただ彼女自身はそんな状況に苦しんでいたらしく、2ndでは一転、正統派なSSW風の作風へと変貌を遂げます。"Amoeba"だったり好きな曲も多かったんですが、Jessica PrattにFaye Websterだったりと今年も沢山の女性SSWがアルバムを出し盛り上がりを見せた様に活況を呈す界隈でオリジナリティが減退しているのでは、という感じもしたんですよね。
という背景を踏まえてリリースされた本作は多くの人がキャロル・キングと比較していますが、そういった優しい雰囲気にR6B、ジャズ的なメロディ。そしてそれらをまとめ上げる要素として彼女本来のベッドルーム・ポップテイストを兼ね備えた作品に仕上がっています。私の1番好きな曲は上の"Add Up My Love"なんですが、サビ前のクレッシェンド。"Sexy to Someone"のピアノの5連符かな?"Juna"の口笛みたいな音とか、DIY的なメロディ感覚は各所に見られると思います。
発売されたのが7月だったと思うんですけど、丁度日本に帰国していた時期で、新宿から小田急に乗って下北沢で友達と会うまで時間を潰そうかなとか思ってた時に初めてこのアルバムを聞いて。一曲目の"Nomad"からすっかり魅了されて、その日は一日Clairoばっかりを聞いて、日本にいる間もずっと繰り返して再生していたのを覚えています。
という感じで今年の10枚になるんですが、振り返ってみると本当に良いアルバムが多く出された一年だったと思います。特にロックというジャンルに関してですね。他にもSuki Waterhouseの”Memories of a Sparklemuffin"、Soccer Mommyの"Evergreen"にNewDadの"MADRA"など語りたいアルバムが一杯でした。
年始にはFKA Twigsの新譜も予定されていることで、先行カットの3曲はどれも素晴らしいですから今から楽しみです。
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29 (Sat). June. 2024
直近の2週間、筆者はヨーロッパのとある国へと足を伸ばしていました。普段はイギリスで学生生活を送っている私ですが、書類選考、面接を経て映画製作キャンプ(日本に存在するか存じませんが欧米では類似のプログラムは多数存在します)のメンバーとして選出されていた為で、沢山の荷物をスーツケースに詰め込んで、名前も聞いたことのない小さなヨーロッパの田舎町に向かったのです。
今回はその映画キャンプで起きた一連の出来事を報告していきたいと思っているのですが、諸々の事情により日付、具体的な地名、団体の名前など個人の特定につながる一切の情報は伏せさせて頂くことをご了承ください。その事情についても読み進めるに連れて理解して頂けることかと思っています。また以下の文章が「正確な」ルポルタージュではないということも一言断っておきたいと思います。それは何も嘘が書かれているということではありませんが、事態の裏取りを行い、正確な証拠に基づいて客観的に事実だと認められたことを書いている訳ではないということです。以下の文章は飽くまで私の主観、私がこのように感じた、という事実の殴り書きであって、認識のずれなどが含まれている可能性は否定出来ないということですね。こう記しておく必要性も次第に明らかになっていくでしょう。

さて、まずは私が参加したプログラムがどの様なものだったのか、という所から始めていきましょう。
私はこのプログラムについて、学部から送られてきたメールによって存在を知りました。既に述べた通り私はイギリスの大学で映画学部の学部生として普段は生活しているのですが、キャリア関連のニュースなど度々送られてくるメールの中の1つに今回のプログラムの紹介があったのです。メールの中にはプログラムの日程、場所、費用等の概要が応募方法と合わせて簡単に示されており、また過去のエディションの紹介などが含まれたpdf資料も添付されていました。そこで説明されていたプログラムの内容はどれも魅力的なもので、また実績欄では過去にプログラム内で製作された映画がどの様な注目を集めたか、例えば著名な映画祭での受賞結果などが紹介されており、非常にハイレベルな映画製作の経験が出来るのであろうと予感させるものでした。2週間という期間を考えると要求されている金額も非常に合理的である様に思われ、また後述しますが私のプロデューサーという立場の難しさもあり、殆ど即決で私は参加を決断、応募へと進んでいきます。
これは現地に着いてから判明したことですが、参加者の中には私と同様に大学からのアナウンスで認知、参加を決めた学生が多くおり、またその他にも国立の映画団体や映像系の会社、延いては日本でいう文科省的な機関からの公認を受けて参加している人物などもあって、そういった意味でこのプログラムを主催した団体は、一定以上の地位にある、「プロフェッショナルな」機関だとみなして結構だ、ということを一言述べておきます。何か眉唾ものの団体に私が紛れ込んでしまった、という話ではこれは決してありませんし、少なくともオン・ペーパー、書類上ではこのプログラムは非常に高いレベルにあって、直接映画祭などの実績とは結びつかなくとも将来のキャリア形成に非常に有益なものである様に見えました。私も含め、殆どの参加者は30歳以下、業界での実績が殆どない、若く、けれども意欲に溢れたfilmmaker(映画製作者)たちであり、皆が相当の期待と夢を持って参加していました。
この点を押さえた上で、より具体的なプログラムの中身に踏み込んでいきましょう。と言ってもフレームワークとして決まっていたのは最初の2日間だけで、この期間に設けられた幾つかのアクティヴィティを消費して交流を深めた後の時間はすべて映画製作に充てられました。私たちは非常に多様な集団で、それは職能という観点からは映画監督、撮影監督、音響技師、役者、プロデューサー、編集者、ダンサー、メイクアップ・アーティスト、更には映画学教授など種々のバックグラウンドを持つ人物が集まっており、また国籍という観点からもヨーロッパ、アフリカ、南米など(詳しく紹介することは出来ませんが)世界中の様々な地域と国から選出された集団でした。これは非常に大きな才能のプールだったと言って良いと思われ、また単に才能があっただけでなくそれぞれが極めて前向きで、かつスマートな人物でもありました。
このことは実際に製作された映画を見れば一目瞭然で、最終的に何本の映画が製作されたのは不明ではありますが(この理由は直ぐに明らかになります)、10日間という製作期間の中で大凡30本のショート・フィルムが、フィクション、ドキュメンタリー、実験、モキュメンタリー、mvなど多様なフォーマットで製作されました。私は最終的に6本のプロジェクトに参加し、監督/脚本1本、プロデューシング3本、撮影1本、音響1本といった形でしたが、この様に全員が3本〜5本程度のプロジェクトを掛け持ちしてお互いに助け合いながら製作に励み、また機材を貸し借りするなど映画に携わる1人の人間としてこれ以上ない心地の良い環境だったと言って良いと思います。
純粋に映画製作という観点だけにフォーカスした時に私は今回の体験を非常にポジティヴなものだったと捉えており、多くの才能ある人物に囲まれて刺激的な経験をすることが出来たと考えています。やや脱線してしまいますが、個人の話として私は監督をしたこともありますし、脚本を書くことも大好きです。撮影監督の経験もありますね。しかし私にとってそれらはどれも本職とは呼び難く、やはり自分の本分はプロデュース業にあると個人的には考えています。しかし学生映画、インディー映画の難しい部分としてプロデューサーというのは必要とされないケースが多く、というのもスタッフの大部分が口約束で監督の下に集まった友人集団という場合が殆どですから、スケジュールに関しても等閑に済ませてしまうということが多いのですね。ですから機材の手配、スケジューリング、場所の確保、タイム・キーピングなど本当の意味でプロデュースが出来る機会というのは非常に少なく(この為に多くの人がプロデューサーを雑用業だと勘違いしているのです)、自分の才能が存分に活かせる機会に恵まれたという意味で私はこのプログラムに非常に満足していました。
またプロデューシングという部分の他にも多くの有意義な経験が出来たと考えており、多くのミーティング、ロケハン、テスト・シュート、リハーサル、役者のオーディション、実際の撮影、フォーリー・レコーディングなどをこなして予定が詰まっている中でも私たちは積極的に集まって時間を過ごし、例えば一緒にご飯を食べたり、或いはバーに集まったりと濃密な時間を過ごすことが出来ました。これは such a bonding moment、絆が深まる瞬間だったなと感じています。
しかしながらこれらの美しい時間を台無しにしてしまう様な、そういった出来事が起こってしまったのも事実です。2週目の中頃の朝、11時頃のことだったと思います。1人の女性参加者から私は声を掛けられました。曰くその日の朝に女性参加者全員(20人以上)でミーティングを設けたのだが、そこで一致したこととして彼女たちは皆プログラムを主催する団体の代表者、仮にXとしておきますが、そのXからセクシュアル・ハラスメントを受けていること、そしてその問題が最早彼女たちの手に負えないレベルにまで達していること、そう言った話を私は聞きました。
時系列的に整理しましょう。事態が発覚したのは概ね一週目の後半近くのことだったそうで、この時点で女性参加者のうち殆どが何らかの形のメッセージをXから受け取ります(メッセージの内容について私は直接知りませんし、どの様なものだったか聞いてもいません。つまり法的手続きの観点から考えて明確な裏どりがない訳ですが、私はそれが実際に送信されたと信じていますし、その前提で話を進めます)。これに対して女性たちは全員noと答えており、またこの時点で女性陣の間でお互いに連携する様な動きが起こっていました。しかしながら2週目に入ったある夜のこと、これは時系列で私が先ほどの女性から声を掛けられる前夜のことで、この夜私たちはほぼ全員でバーに集まってお酒を飲む等楽しんでいたのですが、この場にXが現れ女性1人1人とコンタクトを持とうとします。具体的にはメッセージを送信した後女性たちの態度が変化したことにXが気付き、そのことに対して説明を要求していたとのことです。ここでXが声を掛ける姿は私も実際に目撃しており、話の内容が聞こえなかったこと、またこの時点でメッセージの存在を知らなかったこともあって、特別気に留めてはいませんでした。けれども今にして思うとグループの中に微妙な隔たりの様な、苦い、複雑な感情が流れていたことは何となく感じられ、その所為もあってか完全に楽しい夜というには程遠く、そうした空気も感じて私は比較的早く1時頃にバーを後にしました。
翌朝早く、つまり私が1人の女性からコンタクトを受けるその日の朝のことですが、彼女はXからメッセージを受け取ります。それは彼女は諸事情でプログラムを終了より1日早く後にせざるを得なかったのですが、そのことを口実にXは彼女の製作した映画を最終日のスクリーニング等で一切上映しない旨が記されたメッセージでした。彼女の個人的な事情についてはプログラムに参加する前に彼女は説明をし、特に問題がないと伝えられていた(少なくともはっきりと上映禁止の措置などは伝えられていなかった)にも関わらずです。また同様のタイミングで1人の男性が何らかの形でハラスメントを知るに至り(この詳しい経緯について私は詮索していないので知り得ませんが)、抗議をしたところ彼の映画もまた同様に上映禁止の決定が下されます。
この措置に関して、彼女もまたXから前日の夜にバーで声を掛けられていたそうなのですが、改めてはっきりとnoと答え、また詳しい説明を求める彼に対して自分がアルコールを摂取しており、安全と感じられる状況でないことを理由に断っており(当然の対応だと思います)、それを踏まえてその朝にXから送られてきたメッセージはそれに対する彼の個人的な報復であると彼女は感じたと私に伝えてくれました。実際のメッセージであったり、正確にどの様なやり取りがあったのか私は詮索しませんでしたが、基本的には私もこの点では同意をしています。つまりXは彼の代表としての立場を利用してハラスメントに及んだ挙句、彼の目的が拒否されたことに対してabusive、悪質になり、自身の立場を悪用して個人的な報復と、弾圧を試みたのだ、という風に私は彼女と理解を共有しています。
その朝に行われた女性陣でのミーティングでもこの点に関して認識の共有が図られ、またその過程で如何なるハラスメントが付随していたか、他の団体のメンバーたちの責任の有無などが議論されました。総意として女性たちの全員が何らかの形でハラスメントを受けていると感じたことが確認され、またそういった状況から彼女たちを守るシステムがないまま上映禁止の措置を受けるなど、その時点で極めて彼女たちが危険な状況にいるということについても意見が一致したということです。セクシュアル・ハラスメントという形で発生した問題はより規模の大きく、醜悪な問題へと変化しつつあり、それを受けてミーティングで男性陣にアプローチをし、協力を打診することが合意されました。
この合意に基づいて彼女はその日の朝に私に声を掛けてきた、ということですね。そもそもの問題としてハラスメントが発生した、という事態が許されないものですし、加えてプログラムの代表という本来であればハラスメントが発生しないことを保証し、参加者全員のcomfortability、快適さを担保するべき人物によってこの様な行為が行われたことに私は非常な憤りを覚えました。また彼の不当な私怨によって才能あるfilmmakerたちの仕事が邪魔をされ、そして美しい映画作品たちが冒涜されているという点にも非常な憤りを覚えました。と、同時に一連の説明を受けるまで一切の事態に気付かず、何らのアクション及びケアを施すことが出来なかった自分に対して苛立ちを感じたということもありました。その朝には多くの女性たちが何らかの形で責任を感じていたり、感情的になるなどして涙を流している姿を私は目撃しており、これらの全てが私たちに重くのしかかって最初に感じていた映画製作の喜び、将来へ向けた夢や期待というものはすっかり消え去っていたと言って良いでしょう。
彼女から説明を受けてすぐ私は協力を申し出ます。具体的には彼女たちが計画しているstatement、文書の発表に名前を連ねること、私が監督/脚本を担当した映画について団体に提出するのを拒否すること、その後に予定されていた団体との如何なるアクティヴィティについてもボイコットすること、このことを私は申し出ました。これはすぐに大きな動きとなって参加者の大多数が参加するに至り、結果として30本ほどの映画が製作されたことかと思いますが、その殆どが団体には提出されませんでした(これが前述の総数を把握するのが難しい理由です)。例外として幾つかの映画は団体へと手渡され、というのも全ての参加者がこの決断に同意していた訳ではないこと、そしてより大きな理由として幾つかの映画は地元の役者や(ロケーションなど)個人の協力を受けて製作されており、また地元の様子を収めたドキュメンタリーなどもあって、これらを公開しないのは筋が違うだろうと考えられた為です。飽くまで責任は団体にあるのであって、私たちはプログラムをホストしてくれたその土地の全ての人々には感謝しているのであるから、彼らが協力してくれた映画についても公開しないのは誤りである様に感じられのですね。ボイコットという決断に賛同しなかった面々もこの点を強調しており、彼らとしてもハラスメントに憤りは覚えつつも職務として公開するべきだ、という意見を持っていました。この点について私は完璧にリスペクトしています。
しかしながら私個人としてはXが犯した罪、そして団体の他のメンバーが彼を野放しにした責任は非常に大きいと感じており、多くの精神的ダメージを受けたこと、そして何よりXが下した上映禁止という決定は根本的な対話を拒み我々の権利を冒涜するものであったと感じており、その上で映画を提出することは彼のabusiveな権利の濫用に屈することであるのではないかという風に感じられていました。自分の決断が絶対に正しいものであったというつもりはありませんし、可能であれば他の道を模索するべきであっただろうということについても同意します。ただ当時の私の考えとしては上に述べた様なもので、そして当時私に出来ることとしてこれ以上はなかったのではないだろうか、というのが今の率直な気持ちですね。
さて、最終日私たちは全てのアクティヴィティをボイコットした訳で、時間を持て余していました。特別の予定もなく私たちは純粋にヴァケーションを楽しみ、とは言っても本来ならこのプログラムはもっと良い体験になる筈だったという気持ちも拭えず、しかしやれる事はやったんだという達成感も持って、複雑な気持ちを私含めて皆口にしていたのを覚えています。
そして夜、本来であれば地元の人たちを含めて盛大な上映会が行われる筈でしたが、(幾つかの映画の上映を除いて)それも私たちはボイコットします。上映開始時間の30分ほど前に会場に集まり、特に地元民への説明の為、そしてXをはじめとする団体の圧力に声を上げるのだ、という姿勢の表明として準備していたstatementを読み上げ、そして私たちは会場を後にしました。それで皆が納得した訳ではありませんし、やり切れない感情が溢れて涙を流す人物もいました。しかしこれでプログラムの幕引き、これ以上に私たちに出来ることはないだろう、ということでそれぞれが自分を納得させようとしていたのです。
(以下閲覧注意です)
私もこの時点でプログラムは全て終わった、明日の朝には飛行機に乗ってイギリスまで帰るんだ、とそう思っていました。
その夜上映会場を後にした私たちは、ある人物の提案でアパートに集まって提出しなかった分の映画を流す非公式の上映会を行うことにします。これに関して本当に素晴らしいアイディアだと思いましたが、ただこの時点で気持ちに整理を付けられていなかった私は少し1人になりたいと思い、公式の上映会場の方へと何気なく足を伸ばします。夜の9時半頃のことだったでしょうか。そこでは地元の子役を起用した1本の映画が上映されており、また役者として1人の女性が笑顔で演技をしていました。その女性というのが先に述べた彼女、私に事態を説明してくれた例の彼女だったのですね。
彼女は本当に才能のある、プロフェッショナルな役者です。舞台の裏で当事者としてこれだけの苦難を経験しながらスクリーンの上では何事もなかったかの様に、まるで全てが起こる前、初日に私が彼女と挨拶した時と同じ様に演技をして笑顔を見せている訳です。この彼女の姿を見て私は猛烈な自責の念に駆られました。そしてそれは彼女に対してだけではなく、この後私は苦い気持ちを引きずって自主上映会場に顔を見せるのですが、そこでも役者の女性たちが素晴らしい演技をしている様子を目撃します。役者だけではありません。女性だけでもありません。撮影、音響、監督、全てが本当に優れていて、しかもそれらの全てがこの一連の苦難の上にまるでそんなものは存在しなかったかの様に作られているのです。これらの全てを見て私は居ても立っても居られない気持ちになりました。
プロデューサーの役目というのは本当に色々ありますが、それらを一言でまとめるとするならば「クリエイター達が快適に仕事が出来る様に場を整える」というものです。少なくとも私が経験したことのある規模の製作ではこの様なものです。彼らが事務事項で頭を悩ませることがない様にスケジュールを立てたり、許可を取ったり、時には片付けをしてあげたり、ログを取ったりする訳ですね。
そして事実としてこのプログラムの製作環境は快適とは程遠いものになってしまった。勿論私に出来る範囲での努力はしたつもりですし、私が参加したプロジェクトには最大限の責任感で取り組んだと思っています。しかし私にはどう仕様も出来ない部分でストレス要因(X)があって、私たちはそれと闘いながら映画を作っている、私はその様に考えていました。ですから私はXに憤りを覚えていた訳ですし、彼を糾弾した訳です。しかしながら上映されている映画を見て彼らの苦労はそんな生半可なものではなかったと、彼女達の仕事はより一層険しいものだったと私は突きつけられた様な気がしたのです。何故なら観客は舞台裏のあれやこれやなど知る由もなく、スクリーンの上では彼女達は何事も起こっていないかの様に仕事をしなければならない。これがどれ程に辛く、苦しいことであるか、私は充分に理解していなかったのではないかと感じました。もし私がより彼ら、彼女たちの仕事に気を配っていれば、もう幾らかでも彼らのストレスを軽減出来たのではないか。皆がXなど存在しないかの様にして仕事をしている中、私だけは彼を批判して、それで善をなしたつもりになっていたのです。
こうした思考が真っ当なものであるかどうか私には判断が付きません。ただ事実として上映されている映画がトリガーとなって私はこの様に感じ、一連の出来事に対して非常な責任を感じました。
居た堪れない気持ちで私は再び会場を後にし、1人で気持ちを落ち着けようとします。30分ほど歩いた所でしょうか。道すがらのバーでビールを一瓶買って、それから私は喫煙者ですから煙草のパケットを片手に、人もおらず、灯りもない、落ち着いた場所に向かいました(公園とか、川の堤防沿いとかそういった場所を想像して下さい)。感傷に浸るというのでしょうか、そういったことがしたかったのです。その場所で私は半刻ほど1人で時間を過ごすのですが、けれどもいつまで経っても気持ちが収まらないのですね。罪悪感で自分を責める様なことばかりを考えていたと思います。気が付くと動悸が早くなっているのを感じ、それから呼吸が荒くなるのを感じました。呼吸の乱れを感じた頃には既に自分で自分をコントロールすることが不可能になっており、意識の上では普段通りに呼吸をしていたつもり、延いては深呼吸をして落ち着けようと試みているのですが、掠れた様な音が聞こえ、それから肺がいっぱいに収縮しているのがありありと感じられます。フルマラソンを走り切った後とか、バスケットボールでクウォーターをフル出場した後とか、それくらいの呼吸の乱れです。
こうした異常を感じて私は次第にパニックに陥った、のだと思います。それを感じられるほど冷静な思考を最早私は持ち合わせていませんでした。とにかく考えていたことは何かがおかしいということ、自分で呼吸をコントロール出来ていないこと、それから同時にやっぱり今回の出来事は自分に責任があるのではないかという声も自分の中で聞こえていました。手足、特にこの時点では顕著に手先が熱くなるのを感じ、それを触れようと自分の手を伸ばすのですが、上手く自分の体を感じることが出来ません。例えば右手を左手に伸ばすのですが、そのどちらもが異常なほどに震え、否、痙攣と言って良かったと思います。手足が痙攣し、そしてガチガチに固くなっていました。正確には分かりませんが、恐らく過呼吸のまま長い時間過ごしたことで体が緊張し、その緊張が末端に集中して痙攣になっていたのでしょう。手先を抑えたり、或いは胸元、首筋に手を伸ばして震えを抑えようとするのですが、一層ひどくなるばかりで、また併せて呼吸もどんどん荒くなっていきます。
この時点で携帯を確認したところ11時過ぎでした。ですから1人で過ごしていた時間は大体30分少しだったと思います。その30分の間に私は発作を起こし、そして悪化させてしまった訳ですね。この時の思考としては既に述べた通りの罪悪感、それから荷物一切を自主上映会の会場に残していましたのでそれらを回収しなければという考え、そしてその為には友達の皆の前を通らなければならないのですが、彼らの最終日を台無しにしてはいけない、1人で切り抜けなければならない、というそういった思いです。しかしながら呼吸はどれだけ待っても荒いままですし、手足の痙攣は酷くなるばかりです。足先は緊張した結果、所謂「攣った」時の様になっており、だんだんと感覚が無くなってきていました。自分の体に何が起こっているのかさっぱり分かりませんでしたが、正常ではないこと、苦しいこと、このまま過ごしていても良くならなそうだ、ということをぼんやりと感じ、従って私はなるべく静かに会場まで行って荷物を取り、自分のアパートまで戻ってベッドに横にならなければならない、と結論します。
そうして私は皆が集まっている自主上映会会場に戻るのですが、この時点で友人曰く「本当に死ぬんじゃないかと思う様な」見た目をしていたそうです。恐らく乱れた呼吸の音だったり、手足の震えだったりを見て何かがおかしいと気付いてくれた友人達が私を抱き締めて無理やり静止させてくれ(本当に感謝しています)、この時点で精神的にも肉体的にも限界だった私は道端に崩れ落ちた、のだと思います。正確なことは分かりません。意識はあった筈なのですが殆ど記憶はなく、次に気がついた時には道路に横たわっていて、大勢いた友人達は移動して静かな空間を作ってくれており、そして6人ほどの友人が私の手や肩をさすったり、一生懸命に声をかけて落ち着かせようとしてくれていました。きっと瞳孔が開いてしまっていた為でしょう、視界がぼやけて焦点が定まらず、引きつけの様に乱暴な呼吸を繰り返していた所為で口に力が入らず(または入りすぎて)声を出すことが出来ません。手足の痙攣も相変わらずで、この時点で気が付いた時にはすっかり感覚がありませんでした。そう言った状態で1時間超を過ごし、段々と意識がはっきりし、呼吸も落ち着いて感覚も戻ってきたところで、友人の1人が携帯していた睡眠薬/抗うつ剤を飲ませてくれます。これで大分落ち着いた私はようやく話せる様にもなり、一連の思考、罪悪感云々といった部分ですね、どうして発作に至ったのかを泣きじゃくりながら説明し、皆が慰めてくれ、すっかり電池が切れた私は、泣きながらアパートまで運ばれ、睡眠薬を飲んでその晩は眠りにつきました。これが大体深夜の2時半頃のことでしたから、結果として私は3時間以上発作で苦しんでいたことになります。
私は全く知識もなく名前を聞いたことすらもなかったのですが、介抱してくれた友人曰く私が経験したものはpanic-attack、或いはanxiety-attackというそうです。或いはその両方だったのかも知れません。彼女自身も以前に経験したことがあるそうで本当に親身になってくれ、助けになってくれたのですが、私が人生で経験した出来事の中でも最も恐ろしい、本当に死を感じる様な、そんな出来事でした(実際に死に至ることは稀だそうですが)。すっかり精神的に参ってしまった私はフライトや電車も全てキャンセル、というよりかは睡眠薬の効果で意識がはっきりとせずにやむなくキャンセル、たまたまその国に止まってヴァカンスをする予定だった友人の1人が同行することを勧めてくれます。言わば静養旅行の様なものですね。ホテルから何から探してくれ、付きっきりで弱った私の側に居てくれ、どうにか私も正気を取り戻すことが出来ました。
今回こうした一連の経験を通して、記事にしようと思い立った理由が2つあります。
1つはpanic-attackについて。これは本当に死を感じる様な、恐ろしい経験でした。どうやら欧米では一定程度周知されている現象な様ですが、私は自分で実際に発症するまで一切聞いたこともなく、またこれ程辛いものだと考えてみてもいませんでした。それは精神疾患の類を軽視していたということでは決してなく、逆に私が想定していた何十倍も辛く、死に近い出来事だったということです。私は2週間の濃密な経験、そして極めてストレスフルな環境の末に今回発症に至った訳ですが、きっとストレスに対するキャパシティというのは人によっても異なるでしょう。また要因というのも様々ある筈です。
もし今回私が恵まれた友人達に囲まれていなかったらどうなっていたか、というのは想像するだけでも恐ろしいものがありますし、本当に自分の身にどんな恐ろしいことが起こっていたのか分かりません。panick-attack、anxiety-attack、結局どちらだったのか今となっては分かりませんが、そういった事例があること、そして友人がそれを発症していたのであればその友人は確実に助けを求めているということ、この点はよく認知されて欲しいところだと思います。よく発作について理解している友人達に囲まれて、そしてその後のケアまでしっかりと行ってくれた友人の存在は私にとって非常に大きく、彼らの様な存在が発症者にとっては欠かせないものなのです。
そして2つ目は映画製作のリアルについて。今回セクシュアル・ハラスメントという問題に直面し、こうした醜悪な出来事は映画界に実際に存在する問題なのだ、ということ。この事実について伝えていきたいという思いも勿論あります。
しかしそれ以上に私が感じたのは製作のシステム上こういった問題を回避することが出来ないというやるせなさ、そしてそのやるせなさこそが映画界のリアルであるという厳しい現実、この2点となります。プロデューサーとしてどれだけ気を配っていても、集まったfilmmakerがどれほど才能のある人物であってもその上に立つ機関、今回で言えばプログラムの主催団体ですが、に問題があった時に我々に出来ることというのは非常に限られてしまっています。実際の映画製作の現場でも例えばどれだけスタッフが優れていても監督に問題があった場合、プロデューサーに問題があった場合、スタジオの役員に問題があった場合、スポンサーに問題があった場合、この様に上へ上へと辿っていくにつれて個人が出来ることというのは限られていくのですね。
そして問題が外部化するにつれ末端で働く才能のあるfilmmakerたちがどれだけ優れた人物で一生懸命に仕事をしていても、搾取、或いはハラスメントからは逃れられないというのが現実になります。私たちは今回出来る精一杯の対応を皆で団結して試みた訳ですが、それでも実際問題として製作の現場が快適なものになることはなかったのであり、これは殆どなす術がありませんでした。確かに今回の事件の責任はXにあります。しかしながら大きな問題として、映画を作ろうと思った時に私たちfilmmakerが団体の「下で」集められて働かなければならない、という構造が存在し、その構造が存在する限りこの様な問題を抹消することは殆ど不可能である様に思います。或いはハラスメントがなかったとしても予算であったり、人間関係であったり、filmmakerの側、例えばいちプロデューサーの努力では如何ともしがたい構造的なやるせなさというのが潜んでいるのです。
このことに対してどの様に対処していくべきか。このことについて今の私は答えを持っていません。究極的な解決には根本から産業構造を改革していくしかないでしょう。私個人としては今回の件を受けてプロデューサーになりたい、才能あるfilmmaker達が泣きながら作業する様なそんな現場を自分が生み出さない様にしたい、そういう思いを強く持ちました。将来のキャリアについても意思を1つ固めた様にも感じます。しかしながら私がプロデューサーであったところでやはり根本的な解決をもたらすことは不可能で、結局は常に上部組織、外部組織からの弾圧になす術がないという部分は変わっていません。このことに関して映画界が今後どの様な方向性を向いていくべきなのか、同じ映画というこの素晴らしい芸術を愛する仲間として考えを促すことが出来れば1つ私と私たちの辛い経験にも意味が生まれるのではないか、そういった気がしています。
【ランキング】2023年上半期ベスト&ワースト映画
29 (Thu). June. 2023
つむじ風の様な速さで吹き抜け、あっという間に2023年も折り返しです。此方に渡ってからというもの、筆者はめっきりニュースを見ることも無くなり映画を見て、たまに作り、本を読んで、書き物に励むという日々であり、社会から取り残された曖昧な時間にいる所為か、本当に一瞬で過ぎてしまった感があります。
充実した毎日ですが見る映画にも大変恵まれた6ヶ月だった様で、どの映画もそれぞれ新鮮な楽しみを与えてくれたと思います。その中でも特筆すべき9本、それから数少ないワースト映画を2本簡単な感想と共にまとめました。中途半端な本数ですが、無理に選出するよりも誠実で良いだろうと思います。
普段映画の紹介などはしませんが、今回はどれも実りのある映画体験が得られると自信を持ってお勧め出来る映画たちが並んでいることでしょう。

ベスト映画
1. 牯嶺街殺人事件(1991)
エドワード・ヤン監督が1991年に発表した、3時間57分にも及ぶ青年映画。緻密な人物描写と、堂々として力強い構築の美が魅力の作品で、「三島由紀夫の小説みたいだな」と考えながら見ていました。
映画というものは平たく言って映像(ショット)の連なりである訳ですから、小説などと違ってその材料のみに着目すれば、本質は「視覚的快楽」、「映像的詩性」とかいうものにある訳です。しかしそれらは例えば現代アートの様な作品にも備わっている訳で、やはり映画が映画として生まれ変わる為にはショットがまとまった「構造的美観」というものが、端的に言ってしまえば「話の面白さ」が必要になってくるだろうと思うのです。ですから最上の映画というのは美しい映像を毅然とした構築の上に展開する作品というものではないかと筆者は考える訳ですが、その点でこの作品の右に出る映画はまずないでしょう。
(詳しくは『文藝的な、餘りに文藝的な』、或いは『個人的な余りに個人的な饒舌』をご覧ください)
先の見えない社会、恋心、虚栄心、大人になれない子供の焦り、こうした題材が繊細に観察され、美しくまとめ上げられている。三島文学の様な力強さと儚さが同居しているのだと思います。
クライテリオンから美しい4Kリマスターも発売され、解像度の上がった映像で見られたことも幸いでした。
2. ガーゴイル(2001)
期待していた『ボーンズ・アンド・オール』がイマイチだった筆者の心の穴を埋めてくれたのが、クレール・ドゥニが2001年に発表した本作でした。DVDに何故か字幕設定が存在せず、フランス語パートが一切分からないという状況の中で視聴したにも関わらず、即座にオール・タイム・ベスト入り確定したという位、個人的には刺さった映画でしたね。
セックスの代わりに相手を食べずにはいられないという歪んだ性欲を持つ2人の男女が導かれ合う。物語としてはこれだけですが、単純な筋立てだからこそクレール・ドゥニの超絶技巧が光っており、情欲や抑圧を言葉を介さずに伝える繊細さに心を奪われました。
というのは建前で、否、事実ではあるのですが、何と言ってもキャラクターの美しさがこの映画の最大の魅力です。
今時ルッキズムだ何だと厳しく批判されそうですが、トリシア・ヴェッセイ、ベアトリス・ダル、フロランス・ロワレ=カイユ、アレックス・デスカス。皆非常に美しい。そしてヴィンセント・ギャロの御尊顔。ティモシー・シャラメの10倍は美しい(個人の感想です...)。
そんなキャラクターが目線や身振りでアンニュイに愛し合うというのだから、美しくない訳がない。最高に幸せな101分でした。
3. TÁR (2022)
今年公開の新作映画からはトッド・フィールド監督の『TÁR』を推したいと思います。今年は新作のクオリティが絶望的で(田舎町に住んでいる所為で見れる作品が限定的というのもありますが)、ピンと来る作品に出会えていないのですが、無条件に手放しで褒められる唯一の作品でした。
冒頭から学術用語が飛び交い、その後も終始大量の会話が、しかも多言語で飛び交う作品など脚本家目線でとても書けるものではないのですが(企画の段階で却下されるだろう為)、そこを妥協せずレディ・ターという人物を描ききった本作はそれだけでも賞賛されるべき映画です。
加えてメトロノームや赤ちゃんの泣き声を使ったテクニカルな演出と、役者陣の演技。ケイト・ブランシェットが注目されるのは分かりますが、ノエミ・メルランやソフィー・カウアーも素晴らしかった。ソフィー・カウアーなんて本物のチェリストで、映画は初出演ですよ!
講堂でのパワハラ問題や、オチの演出を巡って賛否両論あった様ですが、個人的にはターについての映画で、ターにとって正直な演出を選び続けたんだから映画としては文句なしの100点を上げたいです。
4. ミレニアム・マンボ(2001)
スー・チーを主演に迎えたホウ・シャオシェンの作品。彼と言えば単純な長回しを積み重ねた様な作風で知られていますが、今作ではその長回しと役者、具体的にはスー・チーとの間に生まれる関係がより有機的で、力強いものになっている様に感じられました。
筋書きとしては少女の視点から語られる『牯嶺街殺人事件』といった形で、だらしないが嫉妬深い彼氏と、立場のしっかりとしたヤクザの2人の男の間を揺れ動く若い女性の物語となっています。決定的に違うのは歴史的背景で、前者は戦後の不安定な情勢の中に於ける不安というものが見え隠れしていましたが、こちらではより一般的な、若さ故の不安というものに重きが置かれている様に見えます。
例えば序盤に次の様な場面があります。彼女がシャワーを浴びている間に、携帯の発信履歴を調べた彼氏が、「何故ウチに居る時にかけなかったんだ、浮気相手だろう」と言って彼女に詰め寄り、繰り返されるそうしたやり取りに飽き飽きした彼女が、家出を試みる、という場面です。3部屋程度の小さな壁の薄いアパートで、ビーズ・カーテンや量産品の衣類に囲まれて、そうした会話が行われるのですが、その場面を凡そ10分近い長回しで収めるのです。
そこら中に染み込んだ貧乏に対する嫌悪や、失われる若さへの焦り、彼女の感じるそうした苛立ちが淡々とした長回しから炙り出される表現は極めて的確だと思いましたし、役者と近過ぎず、遠過ぎず適切な距離感の作品でもあったと思います。
『蛇にピアス』などの作品が好きな人には取り分け刺さるのではないでしょうか。
5. ガール・アンド・スパイダー(2021)
ベルリン映画祭エンカウンター部門に出品されたスイス映画(なんだけどオリジナル・タイトルはドイツ語)。方法論的に圧倒された一本で、筆者の鑑賞本数が足りないだけかも知れませんが、他にこんな映画は見たことがないという独創的な作品。
引越しの手伝いに訪れる友人や遊びにやってきた隣人、その子供などが入り乱れる小さなアパート。画面の前にはある人物が居て、作業をしたり会話を楽しんでいます。カット。カメラは180度切り替わり、先ほどまでのカメラはそこにいた別の人物の視点であったことが知らされます。そして彼/彼女の隣にキャラクターが侵入し、役者が交代。しかし続くショットによって彼らの物語もまた誰かに見られていたものとなるでしょう。
この様な手法で巧みに視点を移動しながら紡ぎ上げる群像劇は、淡々と進むにも関わらず不思議な緊張感に満ちています。これだけでも十分に面白いのですが、更に興味深いのが記憶の取扱い方。
例えばある場面で主人公の女性が、元フラットメイトで引っ越してしまう女性の写真を割ってしまう場面があるのですが、一日の終わり、カメラは誰もいなくなった部屋、床の上に落ちた写真を捉えるのです。他にも物語の中で登場した小道具がダイジェスト的にモンタージュされます。
これは入り乱れる人間関係と感情が、物体に並行移動することで、オブジェクティヴ(object的≒客観的)な物語へと移動しているということでしょうか。そもそも物語の舞台自体が「引越し」であり、設定自体がモノ・空間的です。そして場を移動することで浮かび上がる人間模様を誰かの視点=カメラの視点と擬似的に同化させて伝える、という試み自体がオブジェクティヴだと言えるかも知れません。
モノの陰に潜むヒトを捉えるという試み、筆者はこの映画をその様に受け止めましたが、如何でしょうか。作家というのは往々にして人を描こうとするものですが、そこから一旦離れカメラの客観性という了解を切り崩しつつ、最終的に人に帰ってくるという手腕は素晴らしかったと感じました。
こう書いてみるとロブ=グリエの『嫉妬』なんかと似ていなくもない、様な気がしなくもない様な.....
説明が非常に難しいですが、新鮮な驚きにあふれた一本でした。
6. リバー・オブ・グラス(1991)
ケリー・ライカート(ケリー・ライヒャルト?)が1991年に発表した処女長編。アメリカのインディペンデント系作品ということでジム・ジャームッシュとの比較がなされることもある様ですが、個人的にはハル・ハートリーにより近しい監督かと思います。
フロリダの片田舎、2児の母、その父でやる気のない警察官、半端者。3人の運命が絡み合います。ある日父が落とした拳銃を事の成り行きで手にした男は、バーで知り合った女(主人公の母親)に声をかけ、侵入した邸宅で酔いの中発砲します。その弾丸が住人に命中したと気づいた2人はそのまま投げやりな逃避行に繰り出し、また責任を問われた父親は実の娘を捜索することに、というのが筋書きです。
ロードムービーが体現する倦怠を主婦の毎日と結びつけ、更にアメリカの労働者階級が持つ停滞感と繋げてみせる手腕は圧巻で、その点センスが全面に出るジャームッシュではなく、生粋のGodardian(ゴダール支持者)であるハル・ハートリーの方が近しいでしょう。物語の組み立ては十分に意識的です。
その上で筆者が強調したいのは「外さないオフ・ビート」ですね。哺乳瓶にコカ・コーラを詰めて飲ませたり、拳銃の管理を怠ったり、強盗に入ったコンビニで別の強盗に襲われたり、という場面は緩い空気と笑いに満ちていますが、その一方で嫌らしい笑いでもあります。シンボリズムという程あからさまではないが、コメディとして外し過ぎている訳でもない。
皮肉と能天気さの間での絶妙な綱渡りに筆者は監督のセンスを最も強く感じました。スパイダーマンやガーディアンズ・オブ・ギャラクシーといった映画で特に顕著ですが、わざとらしく一拍置いたオフ・ビートな笑い。こうした笑いが最近の作品にはあり触れている様に感じています。そして気取ったオフ・ビートな「クール」は下品なわざとらしさと紙一重でもあります。
近年のコメディ作品とは一線を画した繊細な語りに筆者は心を奪われてしまいました。"Showing Up"が発表された中で、"First Cow"は劇場公開されるんでしょうか...
7. 胸騒ぎのシチリア(2015)
筆者のお気に入りの監督トップ3に名を連ねるルカ・グァダニーノ。ティルダ・スウィントンにダコタ・ジョンソンと後に『サスペリア』で共演する2人と先立って撮影した映画が本作です。
グァダニーノ作品に関しては賛否がはっきり分かれることも多く、彼を肯定する場合にはその技術力の高さとエモーショナルな美しさを、批判する場合には演出の底の浅さとセンチメンタルなわざとらしさを指摘することになるのでしょう。そのどちらも的を射ているとは思うのですが、グァダニーノ映画の本質は恐らく全く別の所に、具体的には「彼の幸運さ」を楽しむ所にあるのだろうと筆者は考えます。
真っ先に思い浮かぶシーンとしては矢張り『君の名前で僕を呼んで』から、最後にティモシー・シャラメが暖炉の前で涙するシーン。確かに彼の演技力を賞賛することも出来るのでしょうが、どちらかと言えば環境的な力の作用を、その場一回限りのマジックの様な力を筆者は強く感じました。他にも『サスペリア』ではダコタ・ジョンソンの身体に全ての怪奇を委ねることで、ただただ主人公が恐怖し翻弄される原作から差別化して彼女の物語へ昇華することに成功しています。彼女がベット側に佇むだけのショットで母なる力を感じさせる場面には絶対的な面白さがありました。
そして本作はその「ラッキー」が最も強烈に強烈に作用している映画と言えるでしょう。展望台でタバコを勧めるダコタ・ジョンソン、目線だけで「真実」を伝える終盤のディナー・シーン、カラオケに興じるレイフ・ファインズ。どれも素晴らしかったです。筋立てから考えると125分という上映時間は長過ぎるし、自ら「欲望3部作」を自称している割には欲望の捉え方もイマイチで恋模様にスリルの欠片も無い。
ですが、それら全ての欠点を差し置いて役者の演技で全てを解決してしまうという力技。ある意味最も映画らしい映画ではありませんか。彼の監督としての才能に屈服し、ベストに入れないという訳にはいきませんでした。
8. ダムネーション - 天罰 - (1987)
ハンガリーを代表する監督、タル・ベーラが手掛けた一応のノワールもの?
タイタニックと名付けられたバーで"It's all over"と歌う女歌手に惚れ込んだ男の物語。『サタンタンゴ』のお陰かすっかり彼の代名詞となった長回しが冒頭から輝いています。
レールに乗ってゴンドラ(石炭を運ぶトロッコだと後に判明)が流れる風景、単なる場面設定かと思いきやカメラが徐々に交代し、窓枠越しのショットであったこと、そしてその退屈な部屋に住む男が髭を剃る様子に繋がっていく。一度彼が外に出れば、うら寂しい打ちっ放しのコンクリート・ビルに雨が降り注ぎ、その泥水の中を野良犬が駆けて行きます。
そんな世界は(スロバキア監督ですが)イヴァン・オストゥロホヴスキーの『神に仕える者たち』(2020)といった近年の映画にまで共通し、或いは(チェコ出身ではありますが)ミラン・クンデラといった作家の作品にも共通する東欧社会そのままである様に見えます。殆ど一緒に見えるのは、筆者に東欧理解が足りないからかも知れません。
ともかくそんな共産主義圏で、世界に絶望し協力者=労働者となることを拒んだ男の前には、自己本位な愛を注ぐ女性だけが写っています(そしてこの女性もまた同様に破滅した存在でもある)。そんな彼が女性の「ある行為」を目撃してしまった時、それは完璧な喪失であり社会に対する屈服ともなるでしょう。
映画を代表する最後の衝撃的なカットには、体制の「犬」となってしまったことのやるせなさ、そして東欧社会の閉塞感が等身大で映し出されている様にも見えました。中弛みを感じる場面もありましたし、そうした場面では長回しが裏目に出てしまった感もありました。とは言え全体のクオリティとして見れば圧倒的、文句なしのベスト映画です。
9. ザ・ホエール(2022)
今年公開の新作からもう一本、ダーレン・アロノフスキー監督の映画です。本作に関しては(先に挙げた『TÁR』を除いて)伝えようとする感情にしっかり重みがあったという点を高く評価しており、しっかりと身体を用いて映画の先へ、先へ踏み込もうとしてくれたという事実が素晴らしいと思えてのランクインとなっています。
筆者の住むイギリスを始め、日本でも今年最も高く評価された映画といえば『aftersun/アフターサン』だろうと思うのですが、筆者にはどうしても認められない、認めたくないと思う部分がありました。幼い娘が見つめる父の姿、そこには(恐らく無理に頑張って)よき父親であろうとする優しさと、壊れそうな胸の痛みがありました。なぜ彼が夜の海に消えていったのか、娘のベッドで寝る彼と本当に同一の存在なのか、時系列はどうなっているのか、ダンス・フロアで共に踊る人物は誰か、それは決して明確にはなりません。その必要もないでしょう。そして娘の目線に込められた思いや、父の苦悩が偽物だったというつもりは毛頭ありません。
しかし『aftersun/アフターサン』が『aftersun/アフターサン』としてでしか語れないのは何故なのでしょうか?詰まり劇中で描かれている感情が映画の枠内に留まり、フワフワとした軽さを以て観客自身に働きかけないのは何故なのでしょうか?結論から言ってしまえば「取り扱う感情に重さを与えず、観客に対して流動的であろうとしているから」だと思う。それは好意的に受け取れば観客に委ね、押し付け型の表現をしないということですが、ネガティヴに捉えれば主体が欠けており、作品の持つ本質的な力を弱めているということでもあります。
「そもそも何かを伝えたいと思うから作品を作るんだろ?等身大のエゴイスティックな表現だって良いじゃないか。人に気を遣う位なら、どうして公開するんだ?」
筆者としては感情自身に重さを与えて、作品に対してより観客の内側へ踏み込んで欲しいと思っています。長くなりました。公開される新作がそうした「気を遣った」作品が多い中で、『ザ・ホエール』は数少ない重みのある映画であったと思っています。恐らくは主演を務めたブレンダン・フレイジャーの肉体のお陰でしょう。娘の方を向こうにも首がまわらない苦しみ、突然息の出来なくなる恐怖。
正しく映画が語りかける通り、カギカッコ付きの、映画の中だけの「真実」ではない、真実が見えた映画だったと思います。フィルモグラフィーの中では目立たない作品だとしても、今年を代表する映画として褒めるべきなのかなと思いました。
ワースト映画
1. 桜桃の味(1997)
今村昌平監督の『うなぎ』と並んでカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した、実績的には文句なしの名作。しかしながら個人的には構造的にも、作品の質としても大きな問題がある様に感じました。
まず構造的な欠陥として、本作は2つの矛盾するアプローチを並行して選択しているという点が指摘されるでしょう。
自殺を決意した主人公が翌朝自分に土を掛けてくれる協力者を探す、というプロットなのですが、クライマックスの場面。主人公は報酬の入った自分の車の代わりにタクシーで現場まで出向き、それ以前にも協力者に「石をぶつけてくれよ、生きてるかも知れないから」などと語りかけます。ここで見られるのは死を前にした人間味であり、生の香りです。甘ったるいロマンティシズムです。対して人というのはもっと簡単に死んでいくのです。
それでは、ロマンティシズムとして例えば『人間失格』の様に彼の人生が展開されるのかと言えばそういうことはなく、上映時間の殆どは主人公が如何にして自分には死ぬ権利があるか滔々と語り、協力を仰ぐのみです。我々が聞くのは一種の存在論、神義論であり、自殺が如何に正当化されるのか、この問題が議論される。撮影的に見ても、脚本的な最後の落とし所を見ても此方が作品の意図である様なのですが、だとすれば最後に見える甘ったるさは余計だろうと。
そして作品の質としても問題があり、展開される神義論が薄い。油取り紙と同じ位に薄い。真剣に描き切る覚悟がないなら自殺なんて思いテーマを扱うんじゃないという話ですね。
名作だとの評を聞いて鑑賞した初キアロスタミでしたが、苦手意識を持ってしまう結果となりました。
*こちらの作品もCriterion Collectionから4Kレストア版が発売されています。添付の動画と比べて数倍の画質でご覧頂けます。
2. 正しい日 間違えた日(2015)
同じく初めて挑戦した監督の映画で失敗したのが此方、ホン・サンスの作品ですね。上にも述べた通り、映画にはある程度の「構造的美観」というのが必要である様に思います。それは主題の統一かもしれないし、様式の統一かも知れず、或いはそのどちらでもあるかも知れませんが、とにかく何らかの構築への意識が存在するべきではないでしょうか。
そして本作は、「女性と上手くいかなかった一日」を「上手くいった一日」に比較させることで全体の構造を打ち立てようとしているのですが、そもそも関係性というのは「上手くいく/いかない」という描き方をするものではありません。関係性というのは飽くまで間にある記号であって、そこに友情やら愛やらが乗って初めて意味を持つのです。
だから「上手くいく/いかない」という構図を作った以上、「何が」という疑問に答えなければありませんが、それがない。よって構築に美しさがない。
下心丸出しの映画監督が女優にsexをせがむ、という内容であればまだ気持ち悪いと断じて終わりに出来ましたが、ふんわりと対照的な2つの事例を並べて人を描けたと思っているのは自分に自信がない証拠でしょう。不倫までして何度も映画撮ってるんだったら、それに見合う中身を詰め込んで欲しいものです。
【ランキング】2022年ベスト/ワースト映画
31 (Sat). December. 2022
2022年も間もなく終わり。歳を重ねるにつれ一年が早く過ぎて行く様な気がしてならない。
ついこの間までは高校生で、息切らせる様に生きていたけれど、学校に部活に、課題にと全身で楽しんで疲れることはもう無くなった様に思う。その代わりと言っては何だが、進んで無茶を重ね、今年は単身で留学、住む場所も環境も大きく変わってと記憶に残る一年だったと思う。
正直に言ってどれだけ英語が上達しようが彼らの事を全く理解できる訳ではない。時には話に入れなかったり、上手く相手に言葉を届けられなかったりするが、それでも映画の話をしている時は彼らと全く同じ立場で話せていると感じる数少ない瞬間。一層映画を好きになった一年でもあった。
来年は本格的に現場に出たり、短編を撮ったり、コンペに出てみたりしたいな、と思いつつ浴びるように映画を見ることも少なくなるのかなとも考えると、やっぱり今年は凄く意味のある一年だったのだろう。ということで今年のベスト&ワースト映画だ。ありがたい事に先日の記事が好評だったが、彼らと比べて私の映画評にも是非お付き合い頂きたい。

以下は全て筆者が今年見た映画。新旧混同。数字に特に意味はない。
ベスト映画トップ10
1. トップガン:マーヴェリック
先ずは今年の主役、トップガン:マーヴェリックから。これは間違いなくベスト映画の一本である。というよりこれをベストに入れなければ映画について物を書く資格は無いだろうと思う。
「今の時代に映画を撮る上で最も難しい事は何ですか?」
昔のインタビューでクエンティン・タランティーノは、観客を2時間映画館に拘束することを如何に正当化するかだ、と答えていた。彼曰く家に居ながらにして好きに映画を見ることが出来る様になった。映画のチケット代も高くなった。今では他のコンテンツもある。そんな時代に観客に映画館に足を運んで貰い、2時間をそこで過ごすことに納得してもらうことが一番難しいと語っていた。
トップガン:マーヴェリックは近年、というより配信時代で一番上手に観客を説得した映画だと思う。この数年、暗い時代に一番映画の力を見せつけた映画だと思う。だからこの映画が大好きだし、間違いなく今年最も評価するべき映画だと思う。
2. Crimes of the Future
同じく今年公開された映画の中で、最も優れていた映画は何か、と聞かれたら筆者はCrimes of the Futureだと答える。日本では未だに公開日すら決まっていない様だから、若しかしたら公開されることも無いのかも知れない。だとしたら本当に残念なことだ。この映画が傑作であるからこそ、尚更に。
デヴィッド・クローネンバーグは本作に於いて西洋哲学の根本命題の一つに全く新しい解答を与えてみせた。その命題とはつまり人間の肉体と精神は二つながらにあるか、それとも一体として存在するか、というものだ。
映画の中でもこれまで性の解放を以て肉体と精神を対置してみせたり、或いはその逆を唱えたりする試みが見られた。しかしクローネンバーグは今の時代に両者どちらも意味はないと喝破してみせた。少なくとも私にはそう見えた。
肉体の全てが医療技術によって再生、移植可能になり、そして精神も高度なレベルで電子的に再現できる様になった。将来的には精神移植も可能になるかも知れない。そんな時代に肉体だの精神にこだわってみせたって何の意味があるというのか。セックスすることは他人と関係を持つことを意味しないし、セックスしないことが精神的な紐帯を意味する訳でもない。そんな時代に人間性とはどこに顕現するのか。こうした問題を具に考えた映画が、Crimes of the Futureではないかと思う。
「手術は新たなるセックスだ」というキャッチフレーズが空回りしているが、その本質は臓器移植手術が侵入する/されるという関係性を持っている所にあって、単なるボディホラーを超えた難解な、けれども興味深い、今年最も印象に残る作品だった。
3. わたしたちのハァハァ
Crimes of the Futureが最も印象に残った映画だとしたら、こちらは最も好きな映画、個人的に気に入った映画かも知れない。優れた映画でもない、皆にとって特別な映画でもない、それは分かっているけれども個人的に大好きな映画。
この手の映画には本当に弱くて、毎年必ずこうした青春映画に出会い、何度も見返している。松居大悟監督が手がけた本作はクリープハイプが大好きな女子高生が家出して福岡から九州まで彼らのライブを目指して旅する模様を描いた映画。
クリープの音楽も本当に格好良いし、何より登場人物全員がとてもよく描けていたと思う。例えば池松壮亮演じるドライバーが「世間は危ないんだぞ」と教える場面。相手は彼氏持ちの「八方美人」タイプの女の子なのだが、その子がサラッとキスしてみせたりする。そしてこの場面は二度と直接的に触れられない。
サラッと見てしまいがちだが、下手な映画だと一番ビッチな女の子、可愛い女の子にキスをさせたりする。そうして後々あの時キスしてたでしょ、みたいな火種を作りがちなのだが、世の中そんな風には回ってないし、そんな人間ばかりではない。演じた女優たちのことを松居大悟監督は本当によく見ていたんだろうなと思う。
そしてエンディング。LOVE&POPの明らかなオマージュなのだが、これが決定的に良かった。LOVE&POPと言えば村上龍原作の援交JKの物語だけれど、綺麗な指輪でも、彼氏でも、おしゃれなカフェでも、SNSでもなく、クリープで輝く女子高生がいるんだ、という意気込みが感じられた気がして、何だか嬉しくなった。概念を弄ってセックスさせたり手を繋がせるのは良いけど、実際の青春映画はこうあるべきだろうという意味でベスト映画に選出。恋空とかと比べて欲しい。あちらも嫌いではないけれど。
4. クリスチーネ・F
わたしたちのハァハァと同じ様な理由で好きなのが、こちらの西ドイツ映画。センセーショナルなドラッグ描写が注目されがちだが、その本質は若さ、クリスチーネという女性にあると思っている。考えてみれば当然のことだが、ドラッグ映画であっても主役はドラッグではなく飽くまでそれを摂取する人間にある。ドラッグというテーマでありながらもクリスチーネという女性を丁寧に見つめているんだろうな、と感ぜられる部分が良かったポイント。
クリスチーネに対して印象的なミッド・クロースアップが多く、しかもそこそこの長回しで彼女をカメラが見つめる。ドラッグに溺れる惨めな女の子でもなく、若気の至りで過ちを犯す女の子でもない、自然で近くに寄り添った撮り方に個人的には心動かされる部分があった。青春映画として十分に通用するものがあると思う。
5. Dolls
こちらは年の瀬ギリギリに見た一本。北野武監督、西島秀俊や菅野美穂、深田恭子らを迎えた豪華な映画である。どうやら余り評判は良くない様だが、個人的には非常に優れていると感じた。
何と言っても撮り方、繋ぎ方が良い。ヤクザの親分が歩いて来て、後ろから殺し屋が。銃を構えて撃たれた、と思えば川を流れる一枚の紅葉の葉につながり、と言う様なショットの繋がりは口で言うほど簡単なものではない。斬新で今見ても新しい、というよりは真似するのが難しいユニークな映画だと思うし、何よりそれだけ乱暴なカットでありながら、登場人物にしっかり寄り添っている点が素晴らしいのだ。
どうやら狂った愛だ、現実離れしている、等の感想があるみたいだけれども本当に狂った愛であればカメラが、音楽が、演出がここまで寄り添える筈がない。たとえ現実世界ではあり得ない愛の形であったとしても映画内ではこんなに丁寧に描かれているのであって、その手腕を誉めるべきではないだろうか。映画でいう狂った愛というのは撮っている側も理解していない様な、訳がわからないものである。そして大なり小なり映画内の恋愛は現実離れしている。仮にリアルに体感できない恋愛を受け入れられないというならば街へ出て自分で恋愛してはどうか、と言いたい。
6. 胸騒ぎの恋人
ドランの監督作、こちらも恋愛映画だがDollsとは随分毛並みが違う様に見える。見える、が実際そうは違わないのではなかろうか。
胸騒ぎの恋人で描かれる恋もハナから成功の見込みはない。何かが成就する見込みはなくて、そしてどちらの登場人物もその事を理解していながら分からないふりをしている。ドラン自身が演じるキャラクターが思い人の部屋でアレをする時も、モニア・ショクリ演じる女性がタバコを吸う時も何処か痛々しいのはお互い自分が何をしているか分かっているからだろうな、と感じた。
相変わらずドランの感受性は凄まじいし、表現できない微妙な感情を写す能力はただただ脱帽するばかりだ。たかが世界の終わり、の中でその才は最も発揮されていたと思う。その後どうにもパッとしない作品が続いているのは天才ゆえの悩み、名付け様のない感情にな目を付けたいという葛藤なのかなとも考えてみたり。
7. 鏡
教科書的な名作からも一本。アンドレイ・タルコフスキーの鏡だ。これは夏頃、新文芸坐のオールナイト上映で見た一本で満杯の観客に不思議と嬉しくなった思い出がある。特に筆者の6列くらい前に座っていた三人組で、同い年ぐらいの若い女性2人と男性1人で物凄く熱心に見ていた彼ら。二十歳かそこらでタルコフスキーのオールナイトニ付き合ってくれる友達が2人も居るというのが羨ましいし、その後あれだけ熱心に語り合える情熱があるというのも素敵な事だと思う。
それは別としてこの映画、カットが革新的である。AからA'、BからB’、B'からCという風に少しずつ位相をずらしながら物語を紡いでいくのだが、それら全てがごくパーソナルな領域に留まっている。留まっているのだけれど、そこにはロシアがあり、歴史がある(敢えてソ連とは書いていない)。この思いだし装置の様な、カラクリ箱の様な、何かが圧縮された装置があって物語がそこを通ることで縦横無尽に歴史が広がりつつ主軸はパーソナルな物語に留めるという語りに感心した。
能だったか狂言だったかにも似たような語り口があると聞いたことがあるが、果たしてどちらだったか。勉強不足である。ともかくその凄みを存分に感じられるという意味で鏡は今年見た中でもベストの映像体験に入るだろう。
8. アンダー・ザ・スキン 種の捕食
映画の冒頭、恐らくはスカーレット・ヨハンソン演じるエイリアンの誕生だろうと思われる映像詩が流れる。言葉を学び、服を着ることを学び、そしてデパートの中を彷徨う人間を観察する。初めての捕食のシーン、彼女は犠牲者の女性の涙を見る。しかし、彼女の関心はその横、犠牲者に付着していた虫にある。
この映画もまた広義では愛についての物語なのだと思う。「ルッキズムが〜」、「資本主義社会が〜」と語ることも出来るようだけれど、筆者はそんなディテールよりもスカーレット・ヨハンソンが人を愛することを、人間とは何かを学ぶ過程に心動かされた。
だから締めくくりのシーン、彼女は自分の頭部を大事そうに抱え込んでいる。そしてその涙を共有している様に思える。正しく成長だ。シン・エヴァンゲリオンの綾波レイ(そっくりさん)の物語に似ているかもしれない。
何故、どの様にしてスカーレット・ヨハンソンが自分の頭を抱えるのか、自分の涙をどの様にして見るのか、ここでは説明は出来ないが気になった方には是非鑑賞して貰いたい。綾波ファンにもオススメ出来る映画だと思う。
9. 失楽園
この映画には大好きなシークエンスが幾つかあって、その1つは例えば映画序盤、左遷された役所広司が同僚と茶を飲みながら如何に暇を潰すか語り合う場面。キャスト1人1人にしっかりとカメラを当て、下手に切り返しなどをしない。画面の全体から冗長さが伝わってくる。
他には葬式終わりの黒木瞳が役所広司の待つホテルに向かう場面。街並みを駆ける黒木瞳とホテルで忙しなく待つ役所広司が交互に移されるのだが、そのテンポ感が良い。そして最も大切なのは情事の後、役所広司が心ここにあらずといった表情でタバコを吸うショットがあることだ。このワンショットで話が一つ落ち着いて、グッと物語に親近感を持たせている。こうした些細なショットを挿入できるかどうか、傑作と凡作の違いであるのではないだろうか。
2人の新しい住処で手料理を食べる場面、クレソンと鴨の鍋を食べる所も良い。同じ役所広司でもCUREでは、日本映画然としながらも西洋映画のエッセンスを感じる部分があって、長回しにも何処か緊張感が漂っている。言ってみれば間(ま)がないのである。しかし失楽園では間を楽しむかの様な暇があって、それと同時に細かくカットされた濡れ場もある。最後の場面のモンタージュは非常に複雑に作られていると思ったし、その緩急が非常に自分に合っていたのだろう。昔に流行った映画、というだけの評価をされている様に思うが紛れもなく素晴らしい映画で、今では過小評価されてしまっている映画だと感じた。
10. ポーラX
最後、レオス・カラックス監督の第4作目のポーラXを挙げたい。筆者にとって今年最も出会えて良かったと感じる映画である。そういう意味でこの10本の中では一番高く評価しているかも知れない。
ハーマン・メルヴィルの小説に緩く基づいた映画で、遺産で何不自由なく暮らしていた青年が1人の女性と出会い、それまでの全てを投げ出して彼女との暮らしを初める、そんな物語だ。そして物語の肝は全編を通して漂う死の香り、特にカテリーナ・ゴルベワが纏うそれであると言って良いだろう。この死の香りというのは何も筆者が考え出した厨二病じみた概念というのではなくて、ジャン・コクトーの名作、『恐るべき子供たち』で表明されているものだ。
小説の中で主人公たる少年たちの部屋には常に死の香りが漂っている。その香りは避け難い呪縛の様なもので、母親を殺し彼らは孤児となってしまう。奔放な暮らしが極まるにつれ、その香りは濃くなっていき、エリザベート(主人公の姉)の結婚相手、ミカエルもまた死の香りに捉えられてしまう。そして最後にはその香りが彼ら自身をも滅ぼしてしまうのだ。
ポーラXでも『恐るべき子供たち』同等の避けられない運命、悲劇の予感が全体を支配している。それは確かにポンヌフや汚れた血にも共通してた要素かも知れないが、ポーラXでは死の香りが単なる雰囲気ではなく物語として、映画の肝として作用している。この点に感動したし、筆者には刺さるものがあった。
*これは余談だが、筆者は太宰治が大好きだ。彼ほど人間臭い作家もいないと思うし、その一語一語から書く苦しみが滲み出ている。一挙手一投足の全てが嘘でありながら、それが嘘である故に真実が見える。何故彼が嫌われているかも分かるし、一流の作家とみなされないのかも理解できる。しかしそれでも筆者は太宰が好きだ。
同じくポーラXは一般的に駄作と考えられている。そしてその理由もよく分かる。ただ非常にパーソナルな映画で、太宰を好きになるのと同様の理由で筆者はこの映画が大好きだ。両者に全くの関係は無いが、太宰を愛せる読者はこの映画も愛せるのではあるまいか。
(特別枠)呪詛
トップ10に入れる程ではないが好きな映画が、呪詛、日本の夏を席巻した映画である。所々脚本に不備もあるし、ノイズも多いが、それでもPOVホラーを超えて観客に直接繋がる構造は面白いと思ったし、広く大衆にアピールする力は評価するべきだろう。
例えばラース・フォン・トリアーのドッグヴィルやリューベン・オストルンドの逆転のトライアングル。観客と映画の地平を揃え直接語りかける手法は見られるが、こうした映画はどうしても理屈っぽくなりがちだ。その問題点を乗り越えてシンプルに「怖がらせる」ことだけに特化した映画はこれまで余り無かった形の表現ではなかろうか。
ワースト映画5
1. ハウス・ジャック・ビルト
ワースト一位はぶっちぎりでこの映画、ラース・フォン・トリアーのハウス・ジャック・ビルトである。これは考える間もなく真っ先に思い浮かんだワースト映画だ。
この映画何は酷いかといって、マット・ディロン演じるキャラクターの理屈然り監督の演出然り全てがダサいのだ。冒頭からウェルギリウスの神曲を反転構造にしていることは見え見えだし、歪な建築論や街灯と影の話にしても逆説の面白さがない。人類の遺産の稚拙な引用、見えすいた逆説になっていて子供の言い訳を見ている様な気分にしかならないのだ。
これが普通の監督の映画ならまだ許容できる。しかしラース・フォン・トリアーといえばニンフォマニアックで同等の手法を用いてバッハとセックスを繋げて見せた過去がある。あの時は引用される対象と赤裸々な性生活との間に確かなアイロニーがあった。しかし今作ではその全てが明らかで、考える楽しみというものがない。
おまけに残虐性の自然さを強調する為か画の作りも簡素で、余計に見るべきものがない。だから最初の瞬間から結末が分かっていて、その全てがこちらの想定通りに進んでしまうのである。そんな映画でヴィジュアルにも力がないとなれば何を見ろというのか。脳内ニューロンの発火何万分の一秒を3時間に拡大しただけの、見るべき所が何もない映像体験だった。
2. エルヴィス
カットが多過ぎる。折角魅力的なテーマで、資金も潤沢にあって、役者も皆魅力的なのに編集で全てを台無しにしてしまった。バズ・ラーマンがマキシマリストであるのは理解しているつもりだが、それにしても演出に芸がなく彼の過去作と比べても度を越してカットが多く、一辺倒だ。
これはどう考えても売れたいという欲が、つまり若者って集中力がないんだろ?だったら細かくカットしてしまえ、という横槍が編集段階で入ったのだとしか思えない。或いはバズ・ラーマン自身がそう考えたのか。真相は分からないが、カットが多過ぎるのは明らかで、そしてそれは間違った選択だった様に思われる。
例えばハリー・スタイルズが着るグッチはゴージャスで素敵だが、同じグッチでもそこらの成金やホストが着れば途端に品の無い服に変わってしまう。それと同じでロミオ+ジュリエットではゴージャスだった演出も、エルヴィスでは下品な代物に堕してしまった様だ。
3. ミッドサマー
フローレンス・ピューに寄り添っている様で全く彼女のことを見ていない。そして異端の捉え方がステレオタイプ過ぎて嫌悪感を覚える。どう考えても終盤、ジャック・レイナーがセックスする必要はなかった。
序盤でレイナー諸々男友達が、フローレンス・ピューに対して「あのウザい女も来るの?」というリアクションをして煙たがる描写がある。精神が疲れ切ってしまった彼女はそれでも何処か彼氏に依存していたのだ。ただそんな彼女も儀式に参加し、新しい、回復した女性に生まれ変わる。それは良い。問題はジャック・レイナーとの関係性だ。
彼が内心彼女をウザい女だと思っていて、彼女はそれに気づいていないとしたらその時点で関係は冷え切っていたのだと分かる。肉体関係が続いていたかどうかは分からないが、重要事項では無くなっていたのだろうと想像は出来る。
だとしたらフローレンス・ピューにとっての最後のショック、号泣のきっかけは彼氏が他の女とセックスすることではないだろう。彼女にとって辛いことであるには違いない。だが明らかに映画のテーマと合っていない。彼女にとって最悪の事態は、ジャック・レイナーが彼女を道具にしてしまうこと、トラウマを負った彼女にとって唯一の支え、人間たる繋がりだった彼に人間よりも道具として使われていたのだと理解すること。それによって自分が何も回復していないと知ることではないのだろうか。もしセックスが浮気程度の意味合いならば、寧ろ彼女は人間として見られていたと考えることも出来るし、それは冒頭のシーンとマッチしない。
異端の宗教、不気味なものなんだから性の儀式がある筈だ、というステレオタイプに基づいてシーンを作った様にしか思えず、彼女の最後の笑顔も嘘くさく感じられてしまったし、何よりフローレンス・ピュー演じる女性に不誠実だろうと思った。この部分に感じた嫌悪感は見逃すことは出来なかったし、その意味でワースト映画である。
4. ANNA/アナ
リュック・ベッソンのアクション映画。これはとっても面白かった。主演の女優さんも格好良く、魅力的だったと思う。ただ脚本の作りは問題ありで、その語り方は禁じ手だろうと感じた。
この映画サスペンス調になっているのだが、一つのシークエンスで語れる所まで語り、主人公が追い詰められた段階で時間を戻す。そして「実はこういう仕掛けがありました」と明らかにして救済し、次の展開へ持ち込むという構造になっている。種をバラさずに終盤まで引き継いでこそのサスペンスだろうし、この「実はね」という語りは後出しジャンケンの様な反則の手法だと思う。
何より監督はリュック・ベッソンである。彼ならシンプルなサスペンスとしても描けただろうに、という点も相まって残念だった。
5. CASSHERN
こちらも面白い映画ではあった。が、脚本に問題ありだと思う。よくヒーロー映画は必ずハッピーエンドで終わるから面白くない、という意見を聞くがヒーロー映画の本質は寧ろその決まったオチにあると言える。如何に終幕を幸福そうに見せることが出来るか、問題が解決した様に見せるか、このベールの役割を果たすのがスーパーヒーローなのである。
従ってこの映画のオチは至極正論なのだが、その正論をどう捻じ曲げて幸福感を演出するか、その点にこそスーパーヒーローの存在意義があるとすれば、何の為にキャッシャーんが生きているのか分からなくなってしまった。辛いことを覆い隠して見ないフリをさせてくれるからこそスーパーヒーローはありがたいのである。
それから宇多田ヒカルの主題歌にも疑問を感じた。歌のメッセージが映画と全く同じなのである。だったら歪なハッピーエンドに持ち込んで、最後に流れる主題歌がそれを皮肉る、みたいなオチの方が面白かったのではないだろうか。
撮影もセットも素敵だったが、結局脚本が考えることを放棄している様に思え、だとしたら何の為にこの映画を見ているのだろう、という疑問に答えが見つからない部分が問題だと感じた。
【ランキング】イギリスの映画学部生に聞いた2022年ベスト/ワースト映画
28 (Wed). December. 2022
年末企画第二弾、大学の友達にお願いしてアンケートを取ってみました。質問はたった4つ。
今年一番良かった映画は?その理由は何?今年一番ヒドイと思った映画は?その理由も教えてくれる?
選ぶ作品は貴方が今年見た作品なら何でも良し。新作映画、旧作映画、TVドラマ、短編、長編、実写にアニメ、どんな映像コンテンツでも構わない。今年見た作品の中からシンプルにベスト/ワーストを選んで答えてもらう。
質問内容も回答形式も緩いアンケート企画。実施した目的は大きく分けて2つで、先ず第一には学生はこういう映画を見ているんだということを知って貰いたかったから。特に筆者がイギリスにいるということもあって、彼の地の学生(若者)はどんな映画を見ているのかを知って欲しかったというのが一つ。そして第二に今の学生のトレンドを知りたかったから。概ねの学生が製作者・批評家になることを希望している、即ち彼らの嗜好が例えば10年後の映画界に大きな影響を与えている可能性もある。今の彼らの好みを知ることは将来の映画を考える上で有益な筈。
という目的でアンケートを取ってみましたが、何といっても筆者が1人で運営する小さなブログな訳で、本来なら学部全員の声を聞くのが望ましくも、それだと収集がつかなくなってしまう。やむなく10人程に絞って声を掛け、回答して貰いました。
下では先に全員の回答を見た上で、雑感という形で軽いコメントを付けようかなと思う。日本の学生に聞いた答えがどうなるかは分からないけれど、中々バリエーションに富んだ面白い内容になったと思うし、TwitterやFilmarksのコメントを見ている限りの評価とは異なっていたりもするので比較としても十分興味深いものになったのではないでしょうか。

Aさんの場合
ベスト映画は何だった?
- ドント・ウォーリー・ダーリン(2022)
- Bodies Bodies Bodies(2022)
- X(2022)
良かった理由は?
- 全く新しい考え方で、それを完璧に表現してた。演技も素晴らしくて、どんでん返し諸々込みで完全に引き付けられた。ただただ愛してる!
- スラッシャー映画でありながら、時代に合わせてすっかりアップデートされていることが凄いと思ったし、最後まで楽しめた。これも演技が良くて、ホラーとコメディのバランス感覚がブレなかったのも良い。
- これも完璧。変わった映画なんだけど、ホラー映画ファンとしてどこか引き付けられるものがあった。A24の映画だったら何でも見ちゃうよね。
ワースト映画の方はどう?
- Smile(2022)
- Prey for the Devil (2022)
それはどうして?
- タイプじゃなかったかな。良い所もあったし、サントラも悪くなかったけど、繰り替えされる物語に集中しきれなかった
- シリーズとしてもう飽きた。つまらない。
Bさんの場合
ベスト映画は何だった?
- グランド・ブダペスト・ホテル(2014)
- ロード・オブ・ザ・リング(2001)
- ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔(2002)
- ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還(2003)
- ザ・スーサイド・スクワッド”極”悪党、集結(2021)
- ナイブズ・アウト(2019)
- THE BATMANーザ・バットマンー(2022)
- グリーンマイル(1999)
- ロード・オブ・ウォー(2005)
- クイック&デッド(1995)
- ギャング・オブ・ニューヨーク(2002)
良かった理由は?
- 講義で見た映画だけど、ウェス・アンダーソンのスタイルが好みだった
- まとめてロード・オブ・ザ・リングは最高の三部作だと思うし、その後のシリーズや新作など全ての基盤となって魅力を与え続けているから
- 単純に面白かったし、シドニーが...(シドニーって誰だ?ってなってよく分からなかったので割愛。タイプミスかな?)
- これも講義で見た映画だけど、キャラクターと物語が連動してオチまで繋がる作りが面白かった
- 画が格好良かったと思ってて、ヴィジュアルを暗くして雰囲気を出しつつホラー映画みたいな緊張感もあったのが良かった
- 昔のトム・ハンクス映画の1つで、キャスト・アウェイとかフォレスト・ガンプみたいに見なきゃいけないと思って見たら凄く良かった。若しかしたら人生でもベストな映画の一つかも。
- ニコラス・ケイジ演じるキャラクターが段々残酷で冷酷に変化していく様子に魅せられた。部分的にでも実話に由来してるってのも信じられないポイント。
- 単純明快。カウボーイは好きだし、決闘とかリベンジ譚っていうのも良いよね。
- セット、小道具・大道具、衣装。全部大好き。
ワースト映画の方はどう?
- Bait(2019)
それはどうして?
- 単純に人生で見た映画の中で一番面白くない映画だったから。この映画を見てた毎秒が私の人生に於いて無駄な一秒だったと思う、マジで。映画が高尚なアートぶってる事に満足しちゃってたし、これは私の意見だけど、モノクロ撮影ってホントに上手にやらないと失敗すると思ってて、それでこの映画は正に失敗したって感じ。誰かこの醜い映画を作った罰を受けるべきだよね。ハチミツの中を歩いてるみたいな遅い展開にもイライラしたし、テンポ良く撮った映画だったらこの映画の全てをオープニングで終わらせてたんじゃないかな。
- それで以て、やっぱりこの映画を見てた時間は無駄だったと思うのね。もし映画館で見てたとしたら、速攻で退席してたと思う。だってこれはアートハウスのゴミ屑で、メッセージのある深い映画だと思って作ったのかも知れないけど結局何も言えてないし、深さなんて便器に溜まった小便くらいのモンだよ。この映画が全部の時間を費やして語った事なんかよりも、youtubeとかの30秒広告の方が語るべき事に溢れてる。これが講義で見た映画で、そんで隣に座ってるヤツがいなかったならオープニングより先を見ることも無かったね。
Cさんの場合
ベスト映画は何だった?
- 聖なる鹿殺し(2017)
- レクイエム・フォー・ア・ドリーム(2000)
- 成功の甘き香り(1957)
- 秘密の森の、その向こう(2021)
- 大地のうた(1955)
- CLIMAX クライマックス(2018)
- Went the Day Well? (1942)
- グリフターズ/詐欺師たち(1990)
- トリコロール/白の愛(1994)
- サウルの息子(2015)
良かった理由は?
- (回答無し)
ワースト映画の方はどう?
- ワイルド・スピード/ジェット・ブレイク(2021)
- ジュラシック・ワールド/新たなる支配者(2022)
- マローダーズ 襲撃者(2016)
- ミックス・ナッツ/イヴに逢えたら(1994)
- ダブル・ダイナマイト(1951)
それはどうして?
- (回答無し)
Dさんの場合
ベスト映画は何だった?
- ブレット・トレイン(2022)
- ブレードランナー2049(2017)
- DUNE /砂の惑星(2021)
- マネー・ショート 華麗なる大逆転(2015)
- ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー(2022)
- THE BATMANーザ・バットマンー(2022)
良かった理由は?
ワースト映画の方はどう?
- ソー:ラブ&サンダー(2022)
それはどうして?
- ゴミ箱の中で火事が起きたみたいな、屑のカオスだったから。
Eさんの場合
ベスト映画は何だった?
- 新感染 ファイナル・エクスプレス(2016)
- ブラック・フォン(2021)
- ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語(2019)
良かった理由は?
- どれも脚本がよく書かれていて、楽しめる。キャラクターが成長し、彼らの中に深みがある。
ワースト映画の方はどう?
- ワールド・ウォーZ(2013)
それはどうして?
- 酷い映像効果。キャラクターに見るべき所も無い。虚無。
Fさんの場合
ベスト映画は何だった?
- X(2022)
- Pearl (2022)
- Bodies Bodies Bodies (2022)
- ナイブズ・アウト(2019)
- エターナル・サンシャイン(2004)
- ジャンゴ 繋がれざる者(2013)
- プレデター:ザ・プレイ(2022)
- パラサイト 半地下の家族(2019)
- フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊(2020)
良かった理由は?
- ウェス・アンダーソンの映画スタイルが大好き(皆も好きだよね?)
- プレデター:ザ・プレイなんだけど、これはプレデターっていう既存の素晴らしいものを上手に再創造したと思う。原始的な過去の話を扱って、全然違うイメージを与えてくれた。
- XとPearlはミア・ゴスが出演してるホラー映画の傑作コンボだね。彼女は今年僕が見た中でも特に素晴らしくて、お気に入りだったよ。
ワースト映画の方はどう?
- 今年見た映画はどれも良かったんじゃないかな。
それはどうして?
- 元々時間が無限にある訳じゃないから、取捨選択をしながら見る作品を決めるんだけど、今年の作品はどれも良かったんだ。ワーストって言う程悪い作品は思いつかなかったってだけ。
Gさんの場合
ベスト映画は何だった?
- Crimes of the Future (2022)
良かった理由は?
- ボディ・ホラー最高
ワースト映画の方はどう?
- Burning Guilt(これは多分彼が主演した自主制作映画のことだと思います、誰が回答したか分からないけど下の理由を見る感じで何となく)
それはどうして?
- 俺の名前がクレジットされなかったから
Hさんの場合
ベスト映画は何だった?
- サムライ(1967)
- 美しき仕事(1999)
- ザ・ロイヤル・テネンバウムズ(2001)
- ジョーズ(1975)
- エターナル・サンシャイン(2004)
- THE BATMANーザ・バットマンー(2022)
- ブレードランナー(1982)
- 卒業(1962)
良かった理由は?
- ここに選んだ映画はどれも興味深いなと思った作品で、バラエティに富んだものになってると思うんだけど、それはジャンルという枠組みで見て際立ってる作品が素晴らしいよねっていう基準で選んだから。後は文化的に重要な映画も選んだつもり
ワースト映画の方はどう?
それはどうして?
- エル・ドラドはアメリカの西部劇が退屈になって、でもスタジオが大規模で製作してる、その歪みを見せてる映画(つまらないのに金が掛かってる矛盾)で、似たような現象がワイルド・スピード/ジェット・ブレイクにも見られると思う。死に体のフランチャイズなのに誰もトドメを刺さずに存続させてるという意味で。
Iさんの場合
ベスト映画は何だった?
- シャッターアイランド(2010)
- ジュディーを探して(2017)
- オー!マイ・ゴースト(2008)
- カオス・ウォーキング(2021)
- ブレックファスト・クラブ(1985)
- レッド・ノーティス(2021)
- セッション(2014)
- ホビット三部作
- Barbie: A Fairy Secret (2011)
- ズートピア(2016)
良かった理由は?
- 他の人が凄く高く評価してる映画で見てみようかなと思ったら良かった、とか好きな俳優が出てるから見てみようと思ってみたら面白かった、っていうケースが多かった
ワースト映画の方はどう?
それはどうして?
- 私はホラー映画のファンじゃないんだけど、何故ならそれは単純に気持ち悪すぎたり、怖がらせようと思い過ぎてプロットが馬鹿馬鹿しくなっちゃってたりするから。ホラー映画以外で挙げた映画は取り敢えずつまらなかった。
雑感
ちょっとサンプル少ないかなと思ったんですが、この人数にしておいて正解ですね。十分長い記事になってしまった。簡単に全体の傾向を考えて、コメントしてみましょう。
①ワースト映画は傾向が偏っている
選出される作品、その理由ともにワースト映画はある程度一様だと思いましたね。ワールド・ウォーZにPrey for the Devil、ワイルド・スピード/ジェット・ブレイク。どれもジャンル映画というか、その道の人が好きな映画っていうイメージがあります。
ゾンビ映画が大好きで、ゾンビの描き方の微妙な違いを楽しんだり、アクション映画の動線を楽しんだり。そういうジャンルにどっぷり浸かった人にとってはこうした作品って堪らないんだと思うんですが、普通に見る分には余り面白くない。
だからコテコテのジャンル映画というか、既存の領域に留まっている様な作品は嫌われているのかなという印象を持ちましたし、今後そうした作品は減っていくのかなとも思いますね。
②型に嵌まった作品は嫌い。でもジャンルの安心感は欲しい。
ワースト映画をその様に見ると、ベストに来ている映画は風変わりなジャンル映画が多いのかな、という印象を受けます。
ストレートなロマンスでありながら、奇妙な演出のエターナル・サンシャイン。ミステリー映画でありながら早々に種明かしをしてしまうナイブズ・アウト。格好良くないヒーロー映画、バットマン。
Hさんのコメント、ジャンルとして際立っているというのも秀逸だなと思いましたよ。ジャンルの枠組みで映画は見たいけど、プラスαで変わった何かが欲しい。今年の映画で言えばXなんかが正にそうした映画で、ジャンルの脱構築とまでは行かないけれど、ホラー映画の教科書からは外れている。
そうしたジャンルの枠組みに留まった上で、一捻り加えた映画。そうした作品が好まれるのではないかと思いますね。ハイクラスな映画でもサウルの息子は伝統的な二項対立からは外れた戦争映画だし、サムライだって殺し屋映画にしてはアクションが鈍重ですよね。
あくまで緩い繋がりというだけですが、そうしたまとめ方も出来るのではないでしょうか。
③Netflix最強
そして最後に、Netflixの力は凄いですね。先日の記事でも同じ事を書きましたが。
旧作からランクインした映画たち、
グリーンマイル(1999)、ロード・オブ・ウォー(2005)、クイック&デッド(1995)、ギャング・オブ・ニューヨーク(2002)、CLIMAX クライマックス(2018)、ブレードランナー2049(2017)、ナイブズ・アウト(2019)、エターナル・サンシャイン(2004)、ジャンゴ 繋がれざる者(2013)、シャッターアイランド(2010)、ジュディーを探して(2017)、オー!マイ・ゴースト(2008)、カオス・ウォーキング(2021)、ブレックファスト・クラブ(1985)、レッド・ノーティス(2021)、セッション(2014)、Barbie: A Fairy Secret (2011)
これら全部イギリスのNetflixで見られる作品です。他の媒体でも勿論見れるとは思うんですが、例えばブレックファスト・クラブって一般の映画ファンはNetflixでプッシュされてなかったら見ないのかも知れないですよね(現在Netflixのトップページで大きく取り扱われてます)。
映画の勉強してる人だったら、ジョン・ヒューズが80年代のコメディの中心人物だったことは習うと思うので、そういう路線で見る機会があると思います。でも古い作品って若い人には特に届きにくくなってる訳で、Netflixで見れるか見れないかは今後作品が生き残るか否かを決める大きなファクターになるのかも知れません。
例えば同じ80年代でも、卒業白書みたいな映画。こうした昔のよくあるジャンル映画って再評価も中々されにくく、研究対象になることも多くはない。そういう意味でアートハウス作品(ズラウスキーのポゼッションとか)の方が将来的には安泰で、ジャンル映画の方が生き残れない可能性もあるのかなと思いますね。
ジャンルの周縁にあたる映画が作られて、その中心にいるべき作品は忘れられる。こうした現象が起こることも十分考えられます。