知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【時事】竜とそばかすの姫を擁護してみる/果たして酷評されるべき映画だったのか?

24(Sat). September. 2022

日本時間で昨日、金曜ロードショーで竜とそばかすの姫が放送された様。公開当初から酷評されていた本作だが、今回改めて地上波放送されたことで改めて批判の声が高まっている。

脚本が酷い、リアリティが無い、ルッキズムがキツすぎる云々。言わんとしていることは理解出来る(understandable)且つ議論の余地がある(arguable)と思うものの、そんなに叩く程なのか?と筆者は正直に思った。特にトップガン:マーヴェリックに甚く感動した筆者としては、竜とそばかすの姫も同様に(同程度ではないにせよ)高く評価したいのである。

ということで今回は竜とそばかすの姫に触れながら映画の見方について考えてみよう、という記事である。短めの記事で、軽い内容なので気軽に読んで頂ければ幸いだ。

中村佳穂 and 幾多りら in Belle (2021)

トップガン:マーヴェリックは素晴らしかった

トップガン:マーヴェリックは素晴らしかった。いきなり全く違う映画の話で恐縮なのだが、筆者の圧倒的今年ベスト、オールタイムベストも更新した本作は世間的にも非常に高く評価されていた様に思う。実際全世界的な興行収入でも第11位、日本映画界でも記録的なヒットを飛ばしており、TwitterなどのSNSや各種メディアでも好意的なリアクションが大半を占めていた様に思う。

そのトップガン:マーヴェリック、筆者は没落する帝国に夢を見せるエンターテイメント映画として受け取った。第一作が公開された当初はアメリカが偉大な帝国としての威厳をまだ有していた頃で、日本も当然アメリカに追いつけ追い越せの姿勢でいたし、実際それだけの力がかの国にはあった。トップガンも軍人のリクルート映画だとか揶揄されていたけれども、それだけ明るいエナジーに満ち溢れていたと思う。フットルースやダーティー・ダンシング、バック・トゥ・ザ・フューチャーなどの大衆映画と同等のエッセンスを持っており、それは軍隊モノという特性を考えると少し驚くべきことだ(スリー・ビルボードハート・ロッカーの様な映画が増えてきた現代では特に)。

では現代のアメリカはどうか?もはや帝国としての力を持ってはいない様に見える。誰もがアメリカに憧れていた時代はとうの昔に終わり、日本のアーティストもアメリカ=最先端として捉えることをやめてしまった。国内でも人種や貧困、その他諸々の問題を抱えマクドナルド・グローバル主義的なイデオロギーは信頼に値しないものになっている。

そんな時代にアメリカ人は自らのアイデンティティと権威を求めて苦しんでいる様に見える。嘗ての家庭・郊外の一軒家・日曜日のミサなどに代表されるイデオロギーが通用しなくなり、唯一の勝者としての立ち位置を失いつつある中で如何に自らの価値を見定めるのか。トップガン:マーヴェリック前半部では新たな時代に不必要となりつつあるドッグファイトを若手のパイロットに伝授する訳だが、第一作が持っていた特徴を踏まえると新たな時代に嘗てのアメリカを継承しようとしていると見ることも出来る。

女性のパイロットをサポートし、指導方法やグースとの向き合い方を通じてトム・クルーズが再び輝きを取り戻していく様子は困難な時代にどう立ち向かうか、80年代の輝いていたアメリカが新たな時代、新たな問題にどう向き合っていくのか、その表れである様に見えた。

キャストの人種や性別を変更したり、ヒップホップ音楽を取り入れたり、その程度の方法でしか価値観をアップデート出来ない昨今のアメリカ映画、特にディズニー映画に飽き飽きしている筆者としてはトム・クルーズジョセフ・コシンスキーの演出は正に時代が求めているものではないのかな、と感じた。

*余談、アリエルの実写版について。端的に言って筆者は反対である。リメイクを製作して新しいメッセージを発信するに当たって、人種を変える、という安直な方法に頼ってしまう所が時代遅れだなと感じてしまうからだ。これが2015年から精々2020年くらいであればまだ納得出来るのだが、2023年の作品にもなって今更これをやるのか、という印象。その程度の多様性ならここ数年さんざん議論されてきた訳で、そしてそれが上手くいっていないことが問題であるにも関わらずまた同じ様な手法で同じ様な映画を生産してしまうことにガッカリした。

さて、嘗ての帝国が価値観のアップデートを試みる映画、トップガン:マーヴェリックだが、上映時間の大半を費やして作り上げたリアリティをラスト数十分でこの映画は見事に破壊してしまう。ミッションの成否に関してはまだ理解出来る。問題はその後、トム・クルーズが地上に降り立ってからグースを連れて再び飛行する場面だ。

100%現実では起こり得ない奇跡が連発するのである。筆者はそれに寧ろ感動したのであるが、それは何故ならそれまで描いてきた上手くいかない現実を映画というエンターテイメントで奇跡を見せることで、観客に希望を与えて見せたからである。

要約すると、嘗ての栄光の象徴の様な映画だったトップガンを凡そ40年ぶりにリメイクしたマーヴェリックは現代の問題を極めて真剣に扱い、それらに回答を与えようと試みている。そしてリアルの世界では必ずしも上手くいっていないアメリカ(と世界)に希望を与えようと、ラストで奇跡を連発し、エンターテイメントとして昇華させてみせた本作は正しく今我々に必要な映画だったと思う。

竜とそばかすの姫との共通点

所で竜とそばかすの姫もトップガン:マーヴェリックと似た構造を持っているのではないだろうか。主人公すず、またはベルは仮想世界Uで出会った竜がある深刻な危機に瀕していることを知り、解決に向けて走り出す訳だが、主にその点に批判は集中している様だ。曰く

  • 本来警察や行政に然るべき対応を促す場面で、一人で夜行バスに乗るなど不適切
  • まして周囲に母親代わりの大人がいるのだから冷静に止めるべき
  • どうしてもと言うならせめて付き添うべき
  • 父親も父親で呑気に感傷的なメールを送ったりして信じられない
  • DV男があの様な行動を取るとはとても考えられない。深刻な危害を加えられていてもおかしくなかった
  • 結局すずが助けに向かった子供達は救済されていない。安易な台詞を喋らせて解決したかの様に見せかけている
  • これらの問題点を含んでいる作品が「感動作」とか「勇気を与える」とかの枕詞がついて宣伝されている危険性

その他にも娘を置いて川に飛び込む母親の無責任さを批判する様なコメントも見られた。ただ筆者としてはこれらは問題にもならないと考えている。トップガンと比較しながら見てみよう。

すずがベルとして歌うことを思い出し、そして竜と出会って世界の歪みに気づく場面はトップガン:マーヴェリックで言えば前半部の教練のシーンにあたるのではないだろうか。詰まりそばかすだとか思いを寄せる彼だとか、父親との関係などの問題に向き合い、竜と出会う中で自分を発見する物語。この部分には十分な説得力があったし、見ていて面白い場面であったとも思う。

そして竜とコンタクトし、彼を救い出そうとする場面。これはグースが救出に現れて以降、敵機を乗りこなす奇跡の描写と構造的に重なる。すずは高校生だ。高校生なら現実味のない夢やロマンを抱え、時には無鉄砲なことを、そして大抵は大人になって恥ずかしくなったり公開してしまう様なことを言ったりするものである。

現実世界では起こり得ないとしても、喩え冷静に考えれば社会的に間違っていることであっても、その夢やロマンは映画の中では「奇跡」として実現してしまう。それはエンターテイメントとして素晴らしいことではないだろうか。竜とそばかすの姫ではその奇跡に向けて丹念にすずの性格や生い立ちが描かれているし、しっかりと背景が作り込まれた上での奇跡であれば筆者は問題ないと感じた。高校生や中学生の頃にすずが実際にやってみせた様な奇跡を妄想したり考えてみたことも無いという方がいればそれは余程の天才か、或いは死ぬほど退屈な生活を送っていたかのどちらかだろう。残念ながらよくある学生と変わらなかった筆者としては、すずがみせた奇跡に心を動かされたし、トップガン:マーヴェリック同様このエンディングを受け入れたいと思った。

心の余裕

ある映画ブログで、万引き家族に寄せられた批判(日本を万引き大国の様に見せている、万引きを美化する描写は経営者として心が痛い)を紹介し、現在の日本は映画を楽しむ心の余裕がなくなってしまっているのではないか、と書かれていたが、筆者も本当にその通りだと思う。

恐らく多くの人が嘗ては持っていた筈の馬鹿げた夢やロマンを忘れ、杓子定規に社会で生きているばかりに竜とそばかすの姫が提示して見せた極上の奇跡を楽しめなくなってしまっているのである。彼らの目には本作は社会の誤解釈(misinterpretation)にしか写っていない様だ。それは筆者にして見れば大変残念なことだと思う。

映画を巡って議論することは結構だ。先ほどのアリエルで言えば表現の方法に関して議論することは必要だと思う。どんな映画でも多様な観点から議論することが出来るし、社会問題と絡めて竜とそばかすの姫を批判することは構わないと思う。それに実際彼らの批判は的を得ている。

ただ社会問題の描き方故に「竜とそばかすの姫は酷い映画、大嫌い」という感想になってしまうことは違うのではないだろうか。繰り返し述べている様にこの映画が示す奇跡は十分説得力があって万人に通用するロマンのあるものだったし、その感動が社会問題の為に受け取れないというのは映画を楽しむ心の余裕に欠けているとしか言えないのではないかなと思う。

トップガン:マーヴェリックを賞賛した皆さん、是非落ち着いた心で竜とそばかすの姫を見直してみては如何でしょうか?