知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【映画解説】カメラムーブメント、トラッキング・ショットの意味/マンハッタン(1979)

29 (Fri). July. 2022

一番手っ取り早い映画の作り方、それは「追いかけっこ」である。良い映画には必ず練り上げられたキャラクターが登場するし、カメラは彼らを明らかにする様に、彼らの物語を伝える様に撮影する。所で映画の物語形式の基本は行動(action)で表現する、ということだった。故に作り上げたキャラクターを行動させる一番簡単な方法は、彼らに「追いかけっこ」をさせるということになるだろう。

淀川長治北野武のその男凶暴につき、を鑑賞し、特に14分近くにわたる逃走劇のシーンに感銘を受けたという。「足、足、足とカメラが収める様子に、これぞ映画だと思った」とコメントしていたことが印象深い。

イージー・ライダー俺たちに明日はないテルマ&ルイーズといったロードムービーアポカリプトやハロウィンといった追跡もの。LIFE!/ライフの様な探求映画。多くの映画が「追いかけっこ」を原型として持っていることに思い当たるのではないだろうか。

そうした「追いかけっこ」を撮影する上で欠かせないテクニックがトラッキング・ショットであり、先日のドリー・ショットの記事でも触れた様にこの撮影技法無くして映画は映画となることは出来なかった。演劇の様な舞台に止まるのではなく、カメラが人物を追いかけることで初めて空間に三次元的な拡がりが生まれたのである。

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解説する映画はウディ・アレンのマンハッタン。美しい映像の数々で有名な本作は確かにそれ以上でもそれ以下でもないロマンスかも知れないが、時折ハッとさせる理知的なセリフが発せられる。

「人生は何故生きるに値するか。とても良い質問だね。実に世界は君を豊かにしてくれるもので溢れている。例えば、これは僕にとってということだけど、グルーチョ・マルクス、ウィリー・メイズ(野球選手)、モーツァルト木星第二楽章、ルイ・アームストロングのブルース、スウェーデン映画、フロベール感情教育マーロン・ブランドフランク・シナトラセザンヌの美しい林檎や梨、上手い蟹料理、それから....トレイシー(恋人)の顔....」

ラッキング・ショットの美しさを足掛かりに触れて見たいと思う。

Woody Allen and Diane Keaton in Manhattan (1979)

定義と撮影法

ドリー・ショットであればトラックを敷いてドリーを動かすショット、パンであれば固定したカメラの水平移動などと定義が出来る。だがトラッキング・ショットに関しては定義が出来ない。

それは何故かと言えばカメラの動きと視覚効果が常に一致しないからなのであるが、ひとまず「トラッキング・ショットとは移動する被写体を追う様にカメラを動かす撮影法」であるとしておこう。具体的にどの様な撮影方法があるかを確認することで、この定義が実用からはかけ離れていることが分かる。

例えばベイビー・ドライバーのクレジットシーン。ステディカムを用いたトラッキング・ショットで一般的に長回しと呼ばれたりもする手法で撮影されたものである。カメラが地面を向いたりするからワンテイクではなく、何度かカットしているのかも知れないが一応見た目上はワンシーンワンカットで撮影されている。

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街中に出てコーヒーを買うアンセル・エルゴートを追いかけて撮影した映像であるからこれはトラッキング・ショットと呼ぶに相応しいだろう。特に疑問もない筈だ。

それでは次の映像、スクリームの冒頭を見て欲しい。同じステディカムを用いた比較的長めの撮影で、ケイシー・ベッカーを追いかけるだけの映像である(アスペクト比が恐らく変更されて歪んでしまっているが余り気にしないで頂きたい)。

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これはトラッキング・ショットに分類されるだろうか。3分30秒ごろの鍵を掛けに走るカットは確かにトラッキングらしいが、1分ごろからのワンカットは何かを追いかけているという感じはしない。動く被写体(ケイシー・ベッカー)を追う様にカメラを動かしているが、彼女自身が歩いたり走ったりするというよりも只位置を変えているに過ぎない為、トラッキング・ショット特有の映像効果が生まれていないのである。この冒頭に見られるカットは後半の恐怖を煽る為の演出と考えることが出来、キャラクターの移動による空間表現を目的としたものではない。寧ろこのシーンはロングテイク(長回し)に分類されるべきだと分かる。

それでは奥行きの表現を伴ったキャラクターの追跡であればトラッキング・ショットと呼ぶことが出来るのだろうか。必ずしもイエスと答えることは出来ない。以下に示したキルビル: vol 1 より決戦直前のシーン。当初はクレーンを使ったトラッキング・ショットに見えるが、途中でユマ・サーマンからは離れ全然関係のないキャラクターを捉えるショットに変わる。その後も頻繁に被写体は変更され、最終的に敵役の女性が更衣室に入ってきた所で呆気なくカットが挟まれる。

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確かにこのシーンはトラッキング・ショットに見える。しかし途中で追いかけられる被写体はキャラクターとは呼べない様な瑣末な人物ばかりであり、キャラクターの性格を明らかにしたり空間の表現を強調したりする様な効果は見られない。

それではキャラクターの追跡を伴わない移動のショットもトラッキング・ショットと呼ぶことが出来るのだろうか?それは定義として殆ど意味をなさず、また受け入れ難いものでもあるだろう。

ドリーやステディカム、クレーンや手持ちカメラなど無数の方法で撮影することが出来るトラッキング・ショットは常に技術の変化と歩を共にしながら進歩を重ねてきた。映画の中心が人物を追いかけることにあるとすれば、映画の変化と共に人を追う技術であるトラッキング・ショットも変化してきたのであり、それは決まった定義により確立された技術ではない。従って実用の観点から人物の描写・空間の構成・継続するショットといった特徴を数えることは出来るものの、他のカメラムーブメントの様に定まった意味を与えることは難しいと思われる。

ミッドサマー中のワンシーン。下のクリップで10秒ごろのシーンだが、この車のトラッキング・ショットはドローンを用いて撮影されている。より安価で簡単に手に入れることが可能となったドローンは予算規模を問わず多くの現場で用いられつつあり、嘗ては広大なセットに巨大なクレーンを準備するかVFXで誤魔化していたショット(例えばタイタニックで水を切るシーンなど)もドローンを使うことで簡単に立体的で壮大な風景を表現出来る様になっている。

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マニアックな事例としてはステディカムを逆方向に向けて使うトラッキング・ショットもある。レクイエム・フォー・ドリームでエレベーターに乗るジェニファー・コネリーを収めたシーンや、バベルでブランコに乗る菊地凛子を撮影したシーンが有名だが、最も分かり易いシーンはチェインスモーカズのMVだろう。これは丁度メイキングも公開されているから確認して欲しいのだが、こちらではステディカムの代わりに安価なリグの一種を用いて撮影している。

映像効果としては殆ど同等で、歩くキャラクターを背後から俯瞰的に、そして親密さを持って捉えることが可能となっている。カメラを前面に装着した場合は逆POVショットなどとも表現される通り、キャラクターの表情を通じて行動を説明するショットとなる。映像の特性が極めて強く、取り入れることが難しい撮影方法ではあるが、正しい選択をすれば非常に強力なツールとなるだろう。

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マンハッタン

ラッキング・ショットが持つ映像効果について、詰まりどの様な感情を伝えることが出来るのか、という点についても触れたい。けれども結局は実用でしか語ることは出来ないというのが正直な所だ。大抵の場合こういった効果を持つ、という点に言及することは可能だが、その反面脚本やスタイル、機材に影響される部分も多い。

ラッキング・ショットに関しては本当にクリエイティヴな才能が試される、使い方の幅が広い技法であり、却って下手な説明をするよりも実用に任せ、読者の鑑賞時の個々の判断に委ねる方が得策だと判断した。よって概説は以上とし、マンハッタンという映画に注目することにしよう。

映画の大半は登場人物が取り止めもなく会話をするだけである。冒頭では男同士、女同士で夜の街を帰路に着く様子をトラッキングしているし、映画の序盤、展覧会の帰りにマイケル・マーフィー、ダイアン・キートンウディ・アレンマリエル・ヘミングウェイ(文豪アーネスト・ヘミングウェイの孫)の4人がをトラッキング・ショットで収めるシーンもある。いずれもただ真っ直ぐ通りを歩くだけで、なんと後退りしながらワンブロック以上もトラッキングするのである!

直後ディナーの帰りにはウディ・アレンダイアン・キートンの2人が同様に後ずさりながらのトラッキング・ショットで2ブロック程もーしかも今度は角を曲がってもカットを切らずにー歩いてしまうし、本作ではとにかく印象的なトラッキング・ショットが多い。

極め付けは科学博物館の様な場所に雨宿りするシーンで、このシーン至っては歩くことすらも止めてしまい、ひたすらスタティック・ショットでカメラを全く動かさない。同じウディ・アレン映画でもアニー・ホールでは適度に笑いを挿入することで間を繋いでいたし、ダラダラした会話劇を見せるタランティーノの脚本には実は緻密に計算された緊張感がある。何の仕掛けもなく、ただトラッキング・ショットだけで映画を成立させてしまう手腕はキャリアの絶頂にいた彼にしか出来ないものだった。

そしてこれらのトラッキング・ショット、例えば日中4人で歩く場面を見ると、空間的な工夫はされていないことが分かる。例えば遠近法を用いて立体感のある撮影をしている訳ではないし、背後や左右で展開されるサイド・ストーリーに意味がある訳でもない。4人の俳優は映画の中でそれぞれすれ違いを繰り返すが、それはアクションによるものでもなく、決定的なシーンが存在することもない。ただこのトラッキング・ショットに見られる様に会話をしているだけなのである。

ミディアム・ロングショット気味のフレーミングで後ずさるだけ。後にも先にもこれより美しいトラッキング・ショットは生まれないだろうし、これより簡素なトラッキング・ショットが生まれることもないだろう。それ位さりげない、美しいけれども説明の難しい、はっきり言って「書くことに困る」、そんなシーンである。

映画全体としてはメロドラマ調でウディ・アレン風のラブ・ストーリーだ。唯一決定的に他のウディ・アレン作品と異なるのはゴードン・ウィリスと組んで彼が愛するニューヨークを撮りきったこと。言わばマーティン・スコセッシにとってのミーン・ストリートだ。

本作以前も、そして以後もウディ・アレンは何度もニューヨークを舞台にしているし、街にフォーカスした作品も多数作っている。しかし例えばミッドナイト・イン・パリが単なる「お洒落」映画に留まっていることに対して、マンハッタンは街が主役といっても良いくらいに画面全体からニューヨークという舞台が感じられる様になっている。

自伝の中で彼は「よくマンハッタンのロケはどこでやったのか、本当にあんな場所はあるのか聞かれるんだけど、あれは僕の心の中にあるマンハッタンなんだ。子供の頃にはあったけど今は無くなった場所も多いし、そうしたイメージを集めて切り取った映画がマンハッタンだ」と述べている。恐らくそのイメージの蓄積という点で叙情の深さが違って見えるのだろう。

美しい街並み、ウィットに富んだ台詞、シンプルなトラッキング・ショット、そしてラストの理科室の場面。それだけでこの映画は名作として語られる価値がある。

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猿の模型を指して "We just gonna be like him!" と皮肉るウディ・アレンは正に、恋愛にかけては人間も猿も大差ない、といって笑っているのだろう。このシーンだけでも退屈なコメディ映画を十分に凌駕してしまう。

本国アメリカではおろか、日本でもあるゴシップ・ライター、自称LA在住映画ジャーナリストのことだが、のおかげですっかりイメージの悪くなったウディ・アレン。こうして映画をじっくり鑑賞すれば如何に彼が才能に溢れる人物であったかということが分かるだろう。その某ライターの様に流行りに乗って彼を叩いていれば自分は進歩派だなどと勘違いする人間も多いが、それは検討はずれ以外の何者でもない。

彼の私生活が(真偽はともかく)これまでに築き上げてきたキャリアを破壊することは許されても、彼の才能を否定することは許されないだろう。あれだけ美しいトラッキング・ショットを撮れる監督が一体何人いるだろう?

今回はトラッキング・ショットという一点に絞って解説したが、マンハッタンを取り上げたのは印象的だったからという理由が一番には来るものの、ウディ・アレンの映画をもっと見て欲しいという思いからでもある。本作は彼の最高傑作と言っても良い作品で、彼の悪評を理由に見ず嫌いしていた読者には鑑賞することを勧めたい。