知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【映画解説】カメラムーブメント、ドリー・ショットの意味/ボーイ・ミーツ・ガール(1984)

27 (Wed). July. 2022

ドリー・ショットという言葉は嘗ては存在しなかった。以前はドリーを使って撮る=トラッキングだと考えられていたからだ。だがドリー(dolly)という道具そのものが進化し、トラッキング・ショットの概念が拡大され、両者は最早同一のカメラムーブメントを意味しなくなった。

映画が奇術から芸術に進化し、演劇と袂を分つ様になった、その最大のきっかけはこのドリーという装置の発明だったと筆者は考えている。ではドリーとは何か?トラッキング・ショットとドリー・ショットとは如何に区別されるべきか?ドリー・ショットにはどの様な種類があり、何を表現することが出来るのか?こうした点を一つずつ確認していくこととしよう。

具体的にはレオス・カラックスの初長編、ボーイ・ミーツ・ガールを取り上げることとしたい。横移動にフォーカスするのであれば、ポンヌフの恋人中で日銭を稼ぐ為火吹き芸を見せるドゥニ・ラヴァンの方が有名であろうし、汚れた血に於いてデヴィッド・ボウイの Modern Love に併せて疾走するアレックスの姿の方が視覚的にも快感であろう。しかし本作に見られるドリー・ショット程ストレートに感情を表現した横移動は見当たらないし、筆者に言わせればカラックスの中でも最も優れた作品だと思う。以下で彼の技巧に触れながら詳しく解説したい。

Denis Lavant in Boy Meets Girl (1984)

ドリー(Dolly)とは何か

ドリーとは端的に言って機材の名前だ。

インターネットで各々検索して頂ければ視覚的にも分かり易いと思うのだが、丁度炭鉱などで使われるトロッコの様に車輪の上に台座が乗っており、その上にカメラが搭載出来る様になっている。基本的に小型のドリーであればその台座の上に撮影技師が乗り、カメラを操作しながら役者や風景を収めるということになるのだが、ドリーを転がすだけでは画面がぶれてしまい余り効果的ではない。

そこでドリーと一体となって使われるのがトラック(track)であり、これは文字通り軌道、線路を意味する(ここからドリー・ショットがトラッキング・ショットと呼ばれる様になった)。このトラックを必要な区間伸ばし、その上をドリーが下部の車輪で以て移動することで、カメラが滑らかに移動することが出来る。

スチール製やアルミ製などトラックにも様々な種類があるが、こちらは単体で使われることは少なく大抵木材などを下に敷いて高さを出して使うことが多い。より高い位置でカメラをスライドさせたい場合はレンガ程の木材を使うこともある様だ。鉄道線路も敷木の上に鉄製のレールを渡すと思うのだが、正しく線路同様トラックも敷木を必要とするのである。

トラックが線路と異なる点としては主にその形状だろう。詳しくは後述するが、360°ドリーという撮影方法も存在しこちらはカーブしたトラックを組み合わせ環状に敷いた上をドリーを走らせることによって撮影する。必ずしも360°でなくとも、カーブをドリーで収めたい場合もあり、そうしたケースを想定してトラックには緩やかな曲線を描いたものも存在している。

上部のドリー自体にも幾つか形状が存在しており、大型のものではクレーンを搭載したギアも販売されている。これは川辺にトラックを敷いてそこから水面上をクレーンで捉えたり(ハリー・ポッターで水面の上を箒で飛行するシーン)、アパートの玄関に入った主人公をカットなしに部屋までブーム・ショットで捉えるシーン(ウェス・アンダーソン映画によく見られる)などで用いられる。

その他登場人物がドリーに乗って演技出来るほど大型のドリーや、逆に部屋の中でドアをすり抜けられる位小さなドアウェイ・ドリー、撮影技師は移動せずカメラだけを動かすスライダーといった道具も用いられる。インディーズ映画では三脚の下に装着する車輪などもよく使われており、これはトラックを購入する費用を節約して三脚そのものを走らせようという発想に基づいて作られている。いずれにせよこれらの道具はスムーズな平行移動を実現する為に設計されており、如何に振動を少なくカメラを滑らかに動かすかが肝要である。

従って車の背後を開けてそこからカメラを回したり、車椅子に撮影技師が乗ってカメラを回す撮影方法も存在するが、それらではどうしても振動を抑えることが出来ず(ステディカムでない限り)ドリー・ショットというよりはトラッキング・ショットに分類される方が適当ではないだろうか。

ラッキング・ショット vs ドリー・ショット

既に述べた通り嘗てはトラッキング・ショット(tracking shot)と言えばドリー・ショットのことを指していた(従ってドリー・ショットという言葉の方が比較的新しい)。それは何故ならばドリーを転がす為にはトラック(track)を敷く必要があるからで、これが名前の由来ともなっている(但し trucking shot と呼んで区別することもある)。

もう一つの理由としてはシネマ・ヴェリテ、詰まりヌーヴェル・バーグ登場以前の映画に於いてブレの酷い画面は避けられる傾向にあったし、カメラが大きく移動することも少なかったことが挙げられる。フランスの映画人たちが外に出て小型手持ちカメラで人物を追いかけ、大きくパンやトラッキングを用いたのとは対照的に旧来のメジャー映画ではスタティック・ショットが多く人物を追いかける際にはドリーで滑らかに追いかけることが普通だった。従って手持ちでブレを気にせず追いかけるということは極めて稀だったのである。

しかし現在広く認識されている様に手持ちカメラでーステディカムの場合も多いがー人物を追いかけたり、ウルフ・オブ・ウォールストリートのロングテイクの様にオフィスをぐるりと回る撮影方法は一般的になっている。従って今ではトラッキング・ショットとドリー・ショットは同列に語ることは出来ず、前者は何かを追いかけるショット、後者はドリーを用いたショットとして区別されるべきだと言えるだろう。

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視覚的に両者の間に差異は殆どなく、特にステディカムを用いたランダム・カメラムーブメントとクレーンを活用したドリー・ショットは見分けるのが非常に難しい。ただ技術的な要件を踏まえると、リンクを添付したウルフ・オブ・ウォールストリートのシーンなどでトラックを敷き大型のドリーを走らせることは難しいと分かるだろう。製作者目線で考えて見ればオフィスの活気と喧騒を表現する為にはカットを割らず長回しで撮りたいが、一台のカメラでドリーする程の空間的な余裕はない。それならばステディカムでトラッキングすることにしよう、と決定される訳であり、両者を区別するのは純粋に技術的な理由からだと分かる。

映画を鑑賞する上でドリー・ショットとトラッキング・ショットを意識的に区別する必要は小さいが、若し貴方が制作に携わることを考えているのであれば両者をどの様な現場で使い分けるべきなのか、考える必要もあるのではないだろうか。

因みによく撮影に使われるドリーと言えばChapman/Leonard製のものなどが有名だが、具体的に示されていないものの非常に高価であるだろうと思われる。ステディカムが凡そ1万ドル、150万円を下回る位だが満足に映画一本撮影するだけのドリーとトラックを揃えようと思ったら150万円を上回ることは確実だろう。とは言え現代の映画でドリーを全く使わないことは難しいから、三脚を活用するなど工夫する必要があると思う。

ドリー・ショットの効果

一番大きな効果は矢張り滑らかに人物を追いかけることが出来る(tracking)というものだろう。左右にパンするだけでは人物が歩く方向を示唆するに留まるがドリーを用いることで、表情や歩き方、背後で変化する状況などを総括して示すことが可能となる。

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その他一般的なドリー・ショットの使われ方としては状況説明、英語で establishment と呼ぶところの効果を狙ったものがある。街の様子や村落の様子を示す為、通りの端から端までトラックそ敷き、その上をドリーが走ることでどんな店があり、どういった人々が暮らしているのか、こうした事実を端的に提示することが出来る。上で言及したハリー・ポッターで湖面を箒で滑走するシーン。これも establishment に近い働きをしており、ドリー・ショットで撮影することでホグワーツ城の周囲の建物や森、その位置関係をスペクタクルを交えて表現している。

更に既に以前の記事で詳しく書いた通り、push-in, pull-out の両ショットを撮影する際にもドリーは必要不可欠で、トラッキングとは違い短いトラックを敷いて人物に迫ることもある。こちらは軽微なカメラムーブメントで、緊張感のある場面を作ることから、よりカメラの動き方には滑らかさが要求されるだろう。

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マイナーな使用例としては超大型のドリーに役者を乗せ、その上で演技をさせるスパイク・リー・ドリー・ショットというものがある。彼が多用したことから付けられた名前で、彼の代名詞的な存在でもあるが、筆者の思う彼の最高傑作、マルコムX中でも印象的な使われ方をしている。Sam Cooke の A Change Is Gonna Come をバックにデンゼル・ワシントンが最後の演説会場に向かう場面、何かを悟った様な彼の表情が印象的だが、その様子を強調する為にスパイク・リーは彼をドリーの上に乗せた。

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この撮影方法では人物が浮遊している様に見えるが、正に彼の覚悟と決意、諦念を示すものであり、技法と感情が完璧にマッチした素晴らしいシーンである。

360°ドリーはサーキュラー・ショットの関連で、ズームとドリーを組み合わせたドリー・ズーム(dolly zoom, 通称zolly)は単独で解説した方が明快だろうから、続けてボーイ・ミーツ・ガールの解説に移ろう。

ボーイ・ミーツ・ガール

筆者に果たしてカラックスを語る資格があるかどうか、それは疑問である。演出にゴダール風を感じる部分などはあってもその引用の全てを筆者は把握していないし、恐らく出来ないだろう。故にこの映画の全てを理解していないのかも知れないし、それでは完全な解説は不可能かも知れない。

以上のことは筆者自身がよく承知している通りだが、それでも本作が印象深い傑作であることはよく分かる。好みで言えば筆者は Pola X を選ぶが、カラックスの最も優れた映画はこのボーイ・ミーツ・ガールに軍配が上がるのではないだろうか。

まだ顔も姿も知らぬミレーユ・ペリエを夢見てドゥニ・ラヴァンが橋の上を渡るシーン。デヴィッド・ボウイの When I Live My Dream をバックに彼は夜の街を放浪するが、その時彼はヘッドフォンを着けている。これは街中をはしゃぐ若者と遭遇した時に装着したものであり、彼が孤独で周囲から隔絶されていることが分かるだろう。アレックスは若く、寄る方なく、才気のない青年であり、後半彼はあらゆるものに恐怖していると告白している。外に出ることを恐れ、地下鉄に轢かれることを恐れ、爆破されることを恐れ、ガンになることを恐れ、社会に目を開きあらゆるものを恐れている。

そんな彼が必要としているものは他人との結びつきであり、社会と結び付くことで得られる自己である(極めてサルトル的なテーマだ)。従って彼の攻撃性は彼が攻撃的だから立ち現れるのではなく、彼が傷つきやすい人間だから故に現れる。彼は暴力的に、最も強い関係性、即ち女性との関係を求めるのだが、これは彼が弱い人間である為の発想だろう。フェミニスト的には女性の「モノ」化ということになるのだろうが、彼は二十歳にもならない青年であり、その感情の発露は至極純粋で納得のいくものに筆者には見えた。

横移動に戻ろう。When I LIve My Dream を聴きながら彼は橋の上を歩く。カメラはドリー・ショットで彼を捉えるのだが、この時編集でカラックスはタップダンスを踊るミレーユ・ペリエを挿入する。Dream が何を指しているのか、ドゥニ・ラヴァンが何を夢見ているのかは明らかだろう。そして橋の中ほど、彼は抱き合う恋人同士を発見する。1人佇む女性(ドストエフスキーの小説中人物の様に川に飛び降りそうにも見える)を見つけて男性が近づき、彼女を強引に抱きしめる。彼らはクルクルと回転し、それをドゥニ・ラヴァンはじっと見つめている。

批判的に見れば彼らが実在するかどうかは怪しいもので、彼の女性への欲求が生み出した幻影と捉えることも可能だろう。ともかくドリー・ショットでシンプルに歩く彼を捉えながらボウイの曲が進展するに合わせ彼の夢、恋人を登場させ、アレックスの抱える痛みを見せる手腕は絶賛されるべきだ。

ドリー・ショットは殆ど全ての映画に見られるが、これ程格好良く、美しいドリーは簡単には思い浮かばない。全編を通して何かを求め、1人の男として立つことを模索するドゥニ・ラヴァンを(アレックス三部作の共通の主題でもある)、横移動一つで表し、そこにタップダンスを挿入することで今後の展開全てを暗示して見せているのである。

自室の壁に日記を書き込む様子や、割れた公衆電話で電話をするシーン、電気が落ち2人だけの世界で会話するシーンなど美しく印象的なシーンが多い本作だが、この橋の上でのドリー・ショットは格別のものだ。海外の批評サイトでは本シーンを360°パンで撮っていると分析していたが、それは誤りだろう。少なくとも筆者にはドリーを使っている様に見える。

これ以上の映画の解説はしないが、本シーンを見れば全てが(汚れた血からポンヌフの恋人まで)分かる様な仕掛けとなっている。普段以上の褒め様だが、ありとあらゆるドリー・ショットのお手本でもあると思うし、ボーイ・ミーツ・ガールは強い言葉で、全てのシネフィルに是非鑑賞を進めたい。