知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【映画解説】カメラムーブメント、ズームの意味と機能/イレイザー・ヘッド(1977)

1 (Fri). July. 2022

脚本、編集、時事と記事を続けてきたが、本日は再びカメラムーブメント、中でもズームについての解説だ。一般の観客に最も広く知られている撮影方法がこのズームではないかと思うのだが、実は映画業界では最近あまり使われなくなってきている。

その理由は後述するが、ある技術的な問題点が大きく関係している。より自然でスムーズなカメラムーブメントが重視されている昨今(エマニュエル・ルベツキやロビー・ライアンを見よ)、人間の眼がなし得ないズームは嫌われる傾向にあるのである。

読者は、否と、多くの映画に今でもズームを見とめる事が出来るではないかと仰るかも知れない。しかし実際は観客がズームだと考えているカメラムーブメントの殆どは push-in, pull-out ショットなのである。両者の違いから始めて、ズームの機能、そして具体例の順に議論を展開したいと思う。

取り上げる映画はデイビッド・リンチ監督のイレイザー・ヘッド。この選出に疑問を持たれた方は、正しい感覚を持たれていると思う。筆者が選出した理由を考えながら読み進めて欲しい。若し特別の違和感を抱かなかったのであれば、是非記事を読んで、そしてもう一度映画を見て欲しい。必ず新たな発見がある筈だ。

Jack Nance in Eraserhead (1977)

ズームとプッシュ・ショットの違い

ズーム・ショットのイメージは十分了解されているだろう。スマートフォンのカメラなどでピンチアウトして撮影する映像の事だ。しかしスマートフォンや一眼カメラでも、ズームをすると必ずフォーカスがずれてしまうということは良く理解されていない。

映画撮影に於いては、この問題を解決する為に、専用のズーム・レンズを用いてズーム・ショットを撮影している(対してプライム・レンズでは焦点距離が予め固定されており、ズーム・ショットを撮影することは出来ない)。元々は空撮用に開発されたレンズで、フォーカスを調整することなしに被写体との焦点距離を変えられる様設計されており、主に1950年頃に映画業界に浸透した。このズーム・レンズにより、カメラの位置を変更することなしに遠くの被写体まで焦点を合わせることが可能になったのである。

しかし人間の眼は遠くの被写体を「拡大」することは出来ない。今貴方が座っている場所から、遠く離れたビルを拡大して見ることは出来ないだろう。より遠くのビルを鮮明に観察しようと思ったら、貴方はビルの方へ「接近」しなくてはならない。人間の眼では焦点距離を変えることは不可能で、その代わりに対象へ接近することで拡大して、対象を観察するのである。

この人間の眼と同様のカメラムーブメントが push-in shot, pull-out shot だ。そちらの意味と機能に関しては以下の記事で詳しく述べているが、より自然で親近感のある動きが確認されるだろう。

sailcinephile.hatenablog.com

よく両者は混同されるのだが、ズーム・ショットではカメラが全く動かない。従って背景と被写体の位置関係は変化しないままに対象が拡大されている。対してプッシュ・ショットではカメラが被写体に接近するから、背景と被写体の距離感は遠くなる。これが一般的な見分け方であるが、両者を覚える必要は小さいと言えるだろう。

確かに1950年代後半から60年代の映画ではズーム・ショットが多様されていた。例えばマイク・ニコルズの卒業などがその好例で、登場人物に遠くから構えたカメラが接近するショットが見られる。その他にはスタンリー・キューブリックは一般にこのテクニックの名手と考えられており、イングマール・ベルイマンも独特なズームの使い方を披露している。マーティン・スコセッシも幾つかの映画でズームを用いていた。

しかし徐々にズーム・ショットはプッシュ・ショットに取って変わられ、ここ10年程は殆ど確認されなくなっている。それは既に述べた通り、人間の眼が模倣出来ない不自然な動きであるということ、そして映画当たりのカット数が増えていることからじっくりズームして見せる必要がなくなっていること。この2つの技術的な問題が影響している。故に殆どのショットはプッシュ・ショットなのであり、ズームと見分ける必要は低下しているのだ。

ズーム・ショットの機能

現代でズーム・ショットは主に次の2つの意図で用いられる。観客の注意を誘導すること、緊張感を高めること、この2つである。

前者は例えばサスペンスなどで、重要な手掛かりを暗示する場面などに見られ、クロース・アップで事物を明らかにする。例えばハッキング事件を操作する刑事が現場に向かう為に席を離れる場面をミディアム・ショットで撮影し、徐々に机の上にズームしていく。彼は席を立ってしまったが、机の上のパソコンは電源が入ったままになっている。ゆっくりとパソコンにフォーカスすることで、観客に問題を理解され、犯人に利用されてしまうのではないか、という伏線を準備しているのである。

この様に大切な道具や情報をワンカットで観客に示し、謎を映画に残すこと。この意図を的確に表現する上でズーム・ショットは今でも有効だと言える。

次に緊張感を高める目的だが、これはホラー映画などによく用いられている。具体例だ。トラッキング・ショットで1人の女性が屋敷の中を歩く様子を収めている。恐る恐る扉を開けると、そこには長い廊下があり、曲がり角の先には何も見えない。ここでカメラを突き当たりの曲がり角に返し、主役の女性を正面から捉える格好にする。歩み寄る女性にカメラがゆっくりとズームし、緊張感溢れる表情をクロース・アップで捉える。観客はこのカメラが、待ち受ける怪物の視点ではないかと考え、曲がり角の先にどんな恐怖があるのか固唾を飲んで見守る。若しここでカットを挟み、POVショットで曲がり角に向かい、ジャンプスケアを用いるならば、非常に効果的なホラー映画のシーンが撮れるだろう。

この様にじっくりと被写体(主に人物)にズームをすることで、緊張感を高める演出がホラー映画などではよく用いられる。一方高速でズームインするクラッシュ・ズームと呼ばれるコミカルな演出も存在するが、こちらは限られた目的でタランティーノエドガー・ライトが活用している。

この2つに加えて嘗ては登場人物の感情を明らかにする為にズームが用いられていた。ちょっとした切り返しのショットでもズームを挿入することで、観客は顔に注目し、内面の感情を伺っていた。残念ながら現在の映画では切り返しは1秒から2秒でカットされ、時には0秒単位で視点が変わる為、ズームを挿入することは不可能だと言える。だからこの用法(卒業のラストシーンも似た効果を狙っている)でズームを用いる映画は最近は見られないし、これが先に述べた高速カットによるズーム・ショットの排除の実態である。

簡潔に述べると、現代のズーム・ショットの機能は注意の誘導と緊張感を高めること、この2つのみと言える。それ以外の場面でズーム・ショットが確認されることはまず無いし、寧ろプッシュ・ショットを研究する方が効果的だ。

イレイザー・ヘッド

筆者はもう今後ズーム・ショットが日の目を見ることは無いと思っている。TikTokの様な15秒程度の表現が一般に受け、2時間の映画に3000近いカット、時には4000ものカットが含まれている現代ではズーム・ショットを用いた感情演出など理解されないだろう。しかし監督の演出方法次第ではどうしても対象に接近して、テンションを高めたい場面も生じる筈だ。そんな時にどうすれば良いのか。その答えが1977年公開のイレイザー・ヘッドの中に求められると思う。

実は本作に目立ったズーム・ショットは見られない。だから表題を見て違和感を持たれた方は普段からカメラムーブメントを意識し、その効果についてよく考えているのだと思う。その意識は今後自身で撮影される際に、的確なショットを選択する能力として発揮されることと思う。

さて今回の記事のタイトル画像にもしているシーン、主人公がラジーエーターの中の舞台に落ち込んでしまったシーンだ。舞台袖から現れた奇妙な木の枝の様な装置を不安げに眺めていると、主人公の頭が床に落ちる。主人公の首と木の枝が交互に映し出され、木の枝からは血が流れ出すと共に主人公の首からは奇形の赤子が顔を出す。落ちた頭は血に染まり、そして舞台の中央で彼の頭は血の中に沈んでいく。家の外の工場を彼の頭は落ちて行き、地面に当たって砕け散る。

この時の場面で注目して欲しいのは、デイヴィッド・リンチによるジャック・ナンスの頭部の描き方である。最初は舞台全体を写すゆったりとしたショットから始まり、頭が落ちる瞬間にカットして、カメラがグッと近づく。そして床に落ちた頭を更に近い距離から収める。これらは全てスタティック・ショットで収められている。インダストリアルな音楽と呼応して独特の緊張感を生み出すことに成功していると思う。

映画の性質上血に染まる頭部を写すことは不可欠だ。しかしリンチは安易なプッシュ・ショットやズームインに頼らず(ベルイマンの様なズームインでもこの画は撮れた筈だ)、4つのスタティック・ショットを編集することで被写体に近づいているのである。この方法であればズーム・ショット特有の危うさを失うことなく全体のテンポを高く保つことが出来る。

特に批評家を目指す人、旧ソビエトの映画を専門に研究されている方々はズーム・ショットは必須の知識だろうし、製作者に知っておいて損は無い撮影技法である。けれども近年の映画でズーム・ショットを見ることは殆ど無くなり、活用も難しいのではないかと思う。具体例を知りたい方はマイク・ニコルズの卒業、セルジオ・コルブッチの殺しが静かにやってくるなどに当たられたい。後者は現在では殆ど見られない撮影方法で、ズームを多用した撮影をしている。

だがこれから映画制作を志すのであれば、寧ろデイヴィッド・リンチの様なスタティック・ショットを積み重ねる撮影方法がずっと効果的だろう。少なくとも筆者はそう考えている。殺しが静かにやってくる、では例えばジャン=ルイ・トランティニャンがヴォネッタ・マギーが寝床に入るのを眺める場面でズーム・インが使われている。二階のジャン=ルイ・トランティニャンとベッドのヴォネッタ・マギーが交互にカットされるのだが、彼女を見つめるジャン=ルイ・トランティニャンの顔が20秒程度写るのだ。そしてカットでヴォネッタ・マギーが写ると彼女は既に小部屋から移動してきている。現代の映画ではジャン=ルイ・トランティニャンの顔は3秒程度にカットされてしまうし、寧ろ平面でヴォネッタ・マギーの移動を追い、最後に俯瞰ショットで2人の位置を示すといった格好になるのではないだろうか。

ここでデイヴィッド・リンチ流の撮影をすると、階下を眺めるジャン=ルイ・トランティニャンを初めに写し、ヴォネッタ・マギーにカットする。ベッドに入るまでを引きの画で収め、布団を被った所でカット、枕の付近で顔を中心の画を見せる。そこから更にカットして目を中心にしたより近い画を写す。こうした撮影であれば原作が持っていた叙情を失わずに、カット数を増やすことが出来る。

結局ズーム・ショットはパンやティルトと違って使う必然性が小さいのである。トラッキングやプッシュ・ショット、手持ちやカットによってでさえ代用出来てしまうのだから、使われなくなるのも必然というものだ。読者に於いてはイレイザー・ヘッドと殺しが静かにやってくるを比較して、その機能を考えてみて頂きたい。一応基本のカメラムーブメントということで触れない訳にはいかないだろうと思ったのだが、結局使われなくなった技法だけあって考察するのも大変困難を極めた。

最後に少しだけイレイザー・ヘッドに触れると、この映画はよくカルト映画だとかシュールレアリズム映画だと語られる。カルト映画はまだ分かるとして、シュールレアリズム映画というのは全くのナンセンスだ(ジョークで言っているとすればそれこそシュールかも知れないが)。

シュールレアリズムというのは心的描写を自動人形の様に、心の赴くままに描くことであって、リンチの場合は極めて考え抜いて表現をしている。従って彼の映画は全くシュールではないし、観客が理解出来なかった、けれども周りが褒めているから何とか言わねばという所でシュールだなどと評しているのだと思う。

sailcinephile.hatenablog.com

キーワードは場所と、音、それからイメージである。どんな場所で、どんな音が聞こえるのか。そしてスクリーン上の画と、リンチ自身が抱いているイメージがどの様に重なり合うのか。その点を考えて見て欲しい。そうすればこの映画が全くシュールでは無いということが分かる筈だ。