知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【映画解説】カメラムーブメント、push-inとpull-out/20センチュリー・ウーマン(2016)

8 (Wed). June. 2022

先日の記事に引き続いてカメラムーブメント、特にpush-in shot と pull-out shot について解説する。pull-out shot の代わりに push-out shot という呼称も耳にしたことがあるが、恐らくは誤りだと思われる。少なくとも pull-out shot の方が広く使われている名前だ。

また日本語でこれらのムーブメントを何と呼ぶのか、筆者は把握していないのだが、そのままプッシュインショット、プルアウトショットでも通用するのではないかと推測している。

カメラムーブメントには沢山の種類があるのだが、基本となるものは既に紹介したスタティック、パン、ティルトに加えてこのpush-in shot と pull-out shot の合わせて4種類だろうと思う。他にもズームやトラッキングなどの種類があるのだが、ギア(設備)との兼ね合いで解説した方が分かり易く、且つ用途がシーンと密接に関係している場合が多い。対してこれらのショットは比較的汎用性が高くどの映画でも見られるものである。

紹介する映画はA24配給、マイク・ミルズ監督兼脚本の20センチュリー・ウーマンだ。ちなみに原題は20th Century Women であり、序数となっていることに注意しよう。些細な違いの様に感じるが、言語構造の違いが明確に見られる部分であり、英語の(及びその他の言語でも)上達にはこうしたディテールへの意識が非常に大切だ。

Elle Fanning in 20th Century Women (2016)

Push-in shot and Pull-out shot

この2つのショットは基本的にはドリーを用いて撮影される。ステディカムを用いた撮影も見られるが、こちらは別に章を当てて後ろで述べる。理由も後述する。

ドリーとは映画撮影でよく用いられる装置のことで、カメラを滑らかに動かす為に使用される。具体的にはトロッコの様な装置をイメージしてもらいたい。トロッコと聞いてピンとこられない方はジェットコースターをイメージして欲しい。どちらもレールが敷いてあってその上に台車が設置してあるだろう。その台車の上に貨物なり人なりを載せ、トロッコであれば輸送のために進んでいくし、ジェットコースターでは高速で走っていく。

ドリーも似た様な構造で、予め撮影したい経路に線路の様にレールを引いておく。そしてその上にカメラを乗せ、経路に従ってカメラが滑らかにスライドしていく。この装置を用いることによって、手持ちの場合と比べ安定した撮影が可能となり、またステディカムでは得られない横方向への動きが生まれる。映画の撮影では主に手持ち、ステディカム、ドリー、そしてクレーンショットによって画に方向性を持たせているのだ。

さてこのドリーなのだが、長さを一杯に引けばトラッキングとなるのだが、室内など限られた範囲で微細な動きに留め、俳優にじっくりと接近するショットを push-in shot と呼ぶ。勿論徐々に引いていくショットが反対に pull-out shot と呼ばれる。

ズームイン、ズームアウトと非常に混同されやすいのだが、両者とは異なってカメラそのものが動いている為、周囲の事物の距離感も変化していくことに注意しよう。ズームインでは対象にピントがあっているとすればその人物だけが拡大されるが、push-in shot ではカメラそのものが動き、テーブルの前に座っているならばテーブルにも近づいていき、逆に背景にある柱などからは遠ざかっていく。

撮影上の効果としては注意の引きつけ、孤立、集中及び哀愁などを表現することが出来る。以下それぞれ具体例を用いて見ていこう。読者の方々は情景をイメージしながら読み進めて欲しい。

初めに注意の引きつけである。会議室に入り口にカメラが設置され、テーブルを囲んで6人の男が座っている。push-in shot でカメラが段々に中央の男に近づいていき、彼は徐に喋り始める。この時観客は彼こそが主役であると了解するであろう。この様にして舞台設定を示しながら1人の人物なり、物体なりに注意を向けさせることが可能だ。

次に孤立である。友人皆と丸くなって食事をしている。それぞれ談笑に耽り楽しそうに会話を弾ませる中、1人の少女だけが下を向いてしまっている。カメラがじわじわと彼女に寄って行き、それに従って周囲の人物はフレームアウトしてしまう。遂には彼女1人が画面一杯に写り、不機嫌な顔がアップで写る。この場合女優の演技と相まって彼女の周囲からの孤立を効果的に表現することが出来るだろう。

続けて集中だ。刑事が寄り集まって何やら話し込んでいる。どうやら殺人事件の捜査中らしい。ここでも push-in shot でカメラが1人の男に近づく。その時同僚の刑事が何やら発言し、その言葉が彼の意識を掴まえる。カメラは更に近づいていき、その男が必死に何やら考え込んでいる様を写す。そして一杯に近づいた所で彼はガバッと顔を上げる。何かが閃いたらしい。この時の push-in shot はキーワードを耳にして集中し、考え込む刑事の様子を写す為に用いられている。

最後は哀愁である。1組の男女がソファに腰掛け、言葉を交わしている。2人は交際している様だが、その調子からは熱烈なエネルギーは感じられない。どうやら彼らの関係は終わりに近づいている様だ。pull-out shot でカメラが徐々に引いていき、その間も彼らは途切れ途切れに会話をしている。カメラは今や部屋の外に出てしまい、柱と扉の間から光と女の声だけが聞こえてくる。このシーンで pull-out shot は男女の関係性の破綻を描くと共に、過ぎた時間への哀愁を伝える役割も果たしている。

ステディカムの活用

以上4つの場面を例に挙げて解説したが、これらが大まかな push-in shot, pull-out shot の使われ方だ。そしてこれらは基本的にドリーを用いて使用される。

対してステディカムを用いるとはどういった映像表現となり、効果をもたらすのか。これに関しては実際に映像を見て頂きたい。

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映像の1分頃から非常に有名なシーンである。周囲の音が消え、ボクサー2人が睨み合う。そしてカメラがロバート・デ・ニーロの方を向くのだが、カメラが若干彼の方へ近づいていることに気づいただろうか。このシーンはステディカムを用いて撮影されているのだが、この時のカメラの接近も push-in shot と呼ぶ様である。

しかし筆者個人の意見としてはステディカムを用いた push-in shot は本質的にドリーを用いたそれとは別物ではないかと考えている。そもそものステディカム長回しの場面で使われる、または長回しの様に見せる撮影で使われることが多く、その一部分を切り取って push-in shot, pull-out shot と呼ぶことには抵抗がある。そして上記のレイジングブルに於いても、性質上通常の push-in shot、例えばこれから述べる20センチュリー・ウーマンで多用されている、とは異なったものだと気づくだろう。

ただ確かに定義上は一致するものだし、一般的に述べられている内容として紹介することとする。

20センチュリー・ウーマン

筆者も購入した某雑誌の映画特集、コンビニでも売られている大変有名な雑誌だが、ではこの映画をオシャレ映画として紹介していた。確かに洒落た空気の漂う映画ではあるのだが、内容的には極めて重い映画である為軽い気持ちで見ると思わぬダメージを被ることになろう。

そして折々で登場するシンボルはヘヴィなものが多く、これだけ強烈なモチーフを織り込みながらも全体として軽やかにまとめ上げるマイク・ミルズ監督の手腕はさすがの一言である。とは言え今回の本筋は push-in shot と pull-out shot であるから、ここでは主にカメラムーブメントに注目して解説したい。

登場する主要なキャラクターは5人である。ルーカス・ジェイド・ズマン演じる15歳の少年は母親との隔たりを感じ、何かと突っぱねた行動をする思春期真っ只中の人物。その母親をアネット・ベニングが演じ、時代に取り残される自分を感じつつ息子に寄り添いたいと尽力する。エル・ファニングは幼馴染の少女で、セラピストの両親に嫌気がさし家を抜け出して男と遊んでは主人公の少年の隣に毎晩寝にやって来る。グレタ・ガーウィグは子宮頸癌を患う写真家で、先進的なインテリである。そして最後にビリー・クラダップは彼らの同居人でヒッピー上がりの男性でありながら、これといったアイデンティティーもなくフラフラと暮らしている。

早い話が登場人物全員が「繋がり」に欠け、時代(抽象的な意味で)と個人の狭間で揺れる孤独なキャラクターなのだ。そして今作はそれらの人物を音楽や本、写真などで繋ぎつつ、会話の様子をじっくりと見つめることで彼らの人生と選択を描いている。

そしてその様子を表現するに当たって、push-in shot 及び pull-out shot が多用されている。勿論それは先に述べた通り、孤独と哀愁を演出する為であろう。

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他のクリエイターの動画で申し訳ないが、上記の映像を見て欲しい。実に多くのpush-in shot 及び pull-out shot が見られると分かるだろう。事実この映画では際立ってこの2つのカメラムーブメントが多用されており、筆者は他にこれ程 push-in shot と pull-out shot を多用する映画は思いつかない。

余談となるがこちらのYouTuberは映画の中の印象的なショットをまとめて短い動画にされており、筆者もよく見させて頂くチャンネルの一つである。映画だけでなく写真を撮られる方にも大変お勧め出来ると思う。それから余談ついでに述べると、一箇所ステディカムを用いた push-in shot が動画の中に含まれていた。ロウアングルからの撮影だったが、その映像を見ると、ドリーショットと違和感なくステディカムが用いられる例も多いのかも知れない。上述の内容に関しては参考程度に覚えて頂く方が却って宜しいかと思った。

さて最初に書いた通り、この20センチュリー・ウーマン、非常に重い映画だ。例えばグレタ・ガーウィグがキッチンで「私いま生理中なの」と述べるシーン。彼女は生粋のラディカル・フェミニストで、ルーカス演じる幼い少年にもスーザン・ライドンの論文なんかを読ませている。そんな彼女にすれば(原理的にも、恐らく感覚的にも)何ということはない台詞だろうが、大恐慌世代のアネット・ベニングは嫌悪感を覚える。正直に告白して筆者も"Menstruation" という単語に良い思いはしないし、続けてエル・ファニングがロスト・ヴァージンについて語り始める場面も堪えるものがあった。

パンク・ミュージックと男性性の関係であったり、時代との孤立感であったり、繰り返しになるが重いテーマを扱っており、どの個人が見ても共感出来るテーマや人物がいるのではないかと思う。関連して昨年のカンヌに出品されたパリ、18区、夜はセックスを媒介にしてコミュニケーションを描いているのに対し、本作はアンチ=セックス、純粋性の様なものを媒介にしている。英語で言うmalehood and femalehood である。この点もまた興味深かった。

デビッド・ボウイトーキング・ヘッズ、A Crisis of Confidence、スーザン・ソンタグの『写真論』、コヤニスカッツィ.....

興味深いトピックは他にも数知れないが、本稿ではここまでとしたいと思う。先ずは映画として楽しめる作品であるし、その上で今回の主眼であるカメラについて関心を持って頂ければ嬉しい。更に興味を持った方は各々独自の切り口から調べると、更に理解が深まるだろう。筆者としてもいつかまた別の記事で更に詳しく解説したいと思う。