知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【映画ニュース】スペイン映画業界研究、映画制作・ロケーションの拠点として

5(Sun). June. 2022

スペイン映画というとどういった映画を思い浮かべるだろうか?

オール・アバウト・マイ・マザー、ボルベール<望郷>、REC、オープン・ユア・アイズ、それでも恋するバルセロナ...etc.

ハリウッド映画は勿論フランス映画や韓国映画と比較してどうしても知名度が低い感のあるスペイン映画だが、近年映画制作の拠点として、そして撮影のロケーションとして注目されていることは余り知られていない。

映画制作のホットスポットとしてスペインに注目し、映画業界研究として欧州全体に起きている変化について解説したい。

尚本記事で触れる内容はプロダクションがメインになることと思うが、以前に述べた様にロケーション、セットの決定はプレプロダクション段階でなされており、未読の読者は先にそちらの記事を読むと理解が深まることと思う。

sailcinephile.hatenablog.com

Penélope Cruz in Open Your Eyes (1997)

政府主導の取り組み

世界中がコロナ禍で苦しむ2020年、映画業界も非常な打撃を被ったことはよく知られているだろう。対面での制作が難しくなったことから多くの企画で撮影が中断され、公開が延期される作品も多かった。加えて映画館へ足を向ける観客も減ったことで、特に映画館経営者たちは極めて苦しい状況に追い込まれた。

一方でNetflix等のオンライン配信サービスは好調で、映画を鑑賞する人口は寧ろ増えたのではないかとも考えられ、コンテンツに対する需要は高まっていた。

その2020年3月、スペイン政府は外国の映画制作に対する戻し税(実質の減税)と国内の制作に対する税額控除を従来の約360万ドルから1440万ドルまで拡大することを決めた。

更に同時にスペイン首相ペドロ・サンチェス氏は19億ドルの投資を実施し、スペインを欧州に於ける映像制作の拠点とする計画(Plan "Spain AVS Hub")を発表した。この計画では2021年から2025年にかけて公的な投資を集中して映像制作業界(映画、テレビ、ゲーム等を含む)に行い、スペイン国内で実施される映像制作を30%増加させることを目的としている。

スペイン政府の発表した計画によれば具体的には以下の4つの分野で発展を促していく。即ち①デジタル化と国際化を促進し投資を呼び込むこと、②金融的・会計的優遇措置の充実、③人材の確保と人的資源の育成、④規制の撤廃と監査手続の控除、を達成し、海外からの誘致も通じて映像制作業界を支援することを目指している。

これらに加えてスペインの映画協会はロビイングを続けており、税制面での優遇と投資の規模拡大を訴えているそうだ。

国主導で映画業界の盛り上げが図られている訳だが、その試みは事実成功していると言って良いだろう。既に海外からの企画の持ち込みはコロナ禍以前の水準を超えており、ハリウッドの大作映画(アンチャーテッド等)や特にNetflix企画のプロジェクトを誘致することに成功した。

Netflixはメキシコやパリ、ロンドンに制作部門の部署を立ち上げ強みとする自社制作コンテンツを海外(アメリカ以外の国)で制作しようとしているが、その際のロケーションにスペインを積極的に選んでいるのだ。元々歴史的な建築物が多く、気候的にも恵まれたスペインはロケ地に非常に適している。日照時間が長く制作が容易で、都市部から農村地区まで幅広い地域を持ち砂漠や山間部など自然的地形にも富む国土は正にロケーション撮影にうってつけなのである。

加えてウクライナ侵攻も関係している。リスク軽減の観点から各社はハンガリーなど東欧諸国をロケーション地にすることを避けており、その点優れた地形と財政優遇策を提供するスペインは選ばれやすくなっているのだ。

これは全くの余談になってしまうが、実際はウクライナ侵攻とは関係のないハンガリーの映画制作者たちが苦労することを考えると、その影響の大きさと範囲の広さは計り知れないものがある。

人的資源の必要性

しかし税制上の優遇措置や優れたロケーションを有しているだけでは環境として不十分だ。AVS Hub計画にも示されていたが、人的資源を確保し高い水準に保つことは必要不可欠なのである。

元来ヨーロッパではイギリスが映画のロケ地として選ばれてきた歴史があるが、それは単に英語圏であるからというだけの理由ではない。パインウッドスタジオやワーナーブラザーズの大規模スタジオを始めとする世界最大級のスタジオを複数有し、設備的にも極めて優れていること。そして何よりそれらの設備を利用するスタッフの質が非常に高いことが挙げられる。優秀な人材に支えられ、イギリス映画界はロケーション地としての地位を地位を確立した。

所で映画制作業界が実は人材不足に悩まされているという事情をご存じだろうか?多い映画では1400人を超えるスタッフがクレジットされることもある様に、映画制作とは常に共同作業で高度な知識を持った専門職員が協力することで1つの作品が完成している。

配給会社などでは事情が異なるかも知れないが、少なくとも映画制作の場ではそうした大勢のスタッフを確保することは難しくなってきており、高度な知識を備えた人材の育成と需要の増加が釣り合わなくなってきているのが現状である。これはイギリスでも同様だ。

スペインはこうした事情をよく理解しており、ただ単に設備的な投資をするだけでなく人材の育成にも力を入れている点が評価されている。Netflixの比較的予算が潤沢でかつ小規模な映画制作はクリエイターが比較的自由に仕事をすることが可能で、彼らを最初に呼び込んだスペインはそこからノウハウを吸収し、経験を積むことが出来た。かつその過程でNetflixのスタッフから高評価を引き出し、次の企画を獲得することにも成功している。

詰まりNetflixを最初に取り込み、彼らとの制作で技術力を高めると共に、保有する優れた設備的・人的資産を提示することで彼らからも高い評価を得る。必然的にNetflixは次の制作も依頼し、そこで経験を更に積みながら評価も高め、それが別のスタジオからの企画も呼び込み、経済的にもプラスになることから国からの援助も増える...という好循環を生み出しているということだ。

総括と考察

ポイントをまとめよう。

  • コロナ禍でスペイン政府は映画業界に対する投資を発表した。
  • 元々優れた地形を有していたスペインはロケーション地として魅力的で、そこに減税が実施され一躍業界の注目を集めた。
  • しかし設備投資だけでなく人への投資も惜しまなかったスペイン政府は、Netflixの企画を誘致することに成功する。
  • 結果Netflixとの仕事がスペイン内のスタジオとスタッフの評価を高め、更に沢山の規模の大きい仕事が舞い込む様になった。
  • 現状スペインではこの好循環を維持し、成長を続けるために更なる投資が検討されている。

他業界でも同様だとは思うが、映画業界でも国際化が進んでおり、今回調査を実施し記事を書く上でスペインは非常に上手く時流を捉えたなと思った。先に述べた通りコンテンツへの需要は高まっており、そこにマンパワーを含めた大量の投資を実施するという考えは理に適っている。需要が伸びている以上しっかりとした環境さえ整備すれば必ず仕事は増える筈だからだ。

映画業界の人材不足という問題は本当に深刻で、個人的にそれはNetflixの発展の弊害だと思っているのだが、特に筆者が学ぶイギリス映画界は事態を重く見ている。業界人からは懸念の声が聞かれるし、その為の対策として筆者の様留学生を受け入れているという側面もあるだろう。

別の記事で書いたと思うが、日本の大学は映画制作という点に関して言えば非常に遅れている。映画学部の看板を掲げる大学も少ないし、高校生(受験生)に対するアピールも少ない。折角渋谷などの世界で指折りのカルチャータウン、和服やサムライなどの分かりやすい歴史的文化、アニメという世界中で人気のコンテンツを持っているにも関わらず、世界的に売り出せていない要因の1つは人材育成がなされていないという点もある筈だ(それから日本人が英語が出来ないという問題も忘れてはならない)。

何も自国の文化を軽視している訳ではない。筆者は日本が持つ資源はスペインの地形と同様非常に魅力的で強力だと思っているし、事実定期的に日本を題にする映画は作られている。ラストサムライワイルドスピードSAYURIウルヴァリンインセプションなど数多の例がある。

スペインの取り組みから学ぶ点は非常に多いし、経済的にも合理的だ。今回の記事は映画を見る際に立つ様なものではないが、日本では紹介されないニュースとして是非知って頂きたいと思ったし、読まれた上で何らか考えを深めて頂ければこの記事も有意義なものになるだろう。