知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【映画ニュース】アートハウス系映画の立ち位置と将来/カンヌ国際映画祭より解説

29 (Sun). May. 2022

カンヌ国際映画祭は昨日閉幕し、パルムドールリューベン・オストルンドが獲得した。

ラインナップが公表された時点で、アリ・アッバシ予想の管理人だったが、蓋を開けてみると安定の選出の感もあり、却って良かったのではないかと思う。

そして日本のメディアによる表層的な報道の仕方にも一切変わりがなく、こちらも安定していたと言える。是枝監督や早川監督以外の作品にも注目して欲しいし、映画だけでなくその周辺の出来事も是非とも知って貰いたい。

ということで本日の記事はカンヌ国際映画祭に連動して開かれた、映画業界人によるCNC主催のディスカッションについて紹介する。

Claes Bang in The Square (2017)

概要

CNCとは Centre National du Cinéma et de l'image animée の略で、フランス文化省の下に位置する公的機関である。フランスの映画制作システムは官民一体となった独特のもので、曰くこのシステムにより芸術性の高く、拝金主義的にならない映画制作が出来てきたという。

その賛否はともかくとして、カンヌ国際映画祭期間中CNCは映画関係者を集めてディスカッションを主催した。その模様はcineuropaという団体が詳しく伝えてくれている。

cineuropaは映画のニュースから批評、インタビューそしてオンライン販売までを手掛ける団体であり、先のCNCやEUをはじめとする欧州各国の関係機関と提携した総合映画メディアである。このcineuropaはより専門性の高い業界内情報についてもまとめており、本記事はそこからの内容が基となる。

www.cineuropa.org

CNC発表のプログラムを見ると、「輸出と海外市場の魅力」、「韓国とフランス:2つのロールモデル」、「表現の自由への貢献」、「低炭素排出プロダクションに向けて」といったタイトルが並んでおり、実際に映画業界で働く人々同士が種々の課題に対して意見交換をする場であることが分かる。

www.cnc.fr

その中でも管理人が特に注目したのは「世界の独立系映画:制作の多様性を促し、配給を保証するために何をすべきか?」」というディスカッションである。

意見交換の中では初めに韓国映画協会やUnifrance(CNC付きの映画配給団体)、Playtime(パリを拠点とする映画配給会社)のCEOといった面々が未だに映画業界が苦戦していることを確認しあっていた。

特にフランスに於いては家族向け映画やコメディは海外でも好調なものの、映画祭に出品する様な映画やアートハウス系の映画は苦戦が続いていることが示された形である。詰まりはコロナ禍で数々の作品が公開延期になったことは記憶にあると思うが、映画関係者が再び制作に取り掛かったとしても、観客は最早映画館に足を運ばなくなっているということだろう。結果幅広い世代に訴える作品は堅調でも、コアな観客をターゲットとするアートハウス系映画他は収益が得られていないのだ。

その様な状況下で必要性が叫ばれているのが、「作品の多様性」である。世界的に人種や性別の多様性が意識される中、それと同様映画の種類も多様であるべきだとの主張だ。ブロックバスター映画や、家族向けのドラマばかりではなく、かつては深夜に映画館で公開されていた作品、イレイザー・ヘッドの様な作品も同様に制作され続けるべきだという考えの下、利益の上がらない後者の様な作品を如何にして守っていくべきか?

主要な取り組みとして挙げられたのは矢張りインターネットを活用したものである。アートハウス系作品に限った配信サービスがイギリスやイタリアでは展開されており、MyMoviesというサービスを展開するGianluca Guzzoはそうしたプラットフォームに集う観客の内の1%でも映画館に行く様になればそれは1つの成果であると述べている。

YouTuberと提携しサービスの普及に努めてきたMUBIも1つの仲間だとは思うのだが、そうしたシネフィル向けの映画配信を通じて、アートハウス系映画の観客を増やし、彼らを映画館へと呼び戻そうというのがそのコンセプトだ。

コロナ禍でオンライン上でのやり取りが増えたことを契機とし、映画業界でも積極的な活用を進めることで映画の質の多様性を担保していきたいとする旨でディスカッションは一致し、閉幕した。

ここまでが記事のまとめとなるのだが、ここには大きく2つの問題点があると思っている。

アートハウス系映画とは何か?

問題点の1つとはそもそもアートハウス系映画とは何なのか、という問題である。

元来映画業界においてジャンルとは2通りの使われ方をしてきた。

1つは社会学的観点からによるジャンル分けで、これはレヴィ・ストロースによる人類学理論に依っている。平たく言えばジャンルごとに映画を分けて分析することで、機能的・構造的な分析が可能になるだろうという発想だ。

そしてもう1つはマーケティング上の分類である。観客がどの映画を見るか決める際に、SFやスリラーといったジャンルを示すことで彼らの関心を集めようという意図で区別されるものだ。ここで言われているアートハウス系映画とはこのマーケティング上の分類だと思われる。

例えばアンドレイ・タルコフスキーフェデリコ・フェリーニの映画をアートハウス系と区別することで、特に芸術的関心の高い上流階級の関心を集めることが出来る。また映画ファンに対しても「アート」というジャンル(レッテル)を付加することで、興味を惹くことにも成功してきた。

しかしそれではウェス・アンダーソンはアートハウス系映画だろうか?そうかも知れない。それではソフィア・コッポラは?彼女もアートハウス系映画の作り手と呼べるだろう。ではガス・ヴァンサントやスパイク・ジョーンズポール・トーマス・アンダーソンは?スティーヴン・ソダバーグはどうだろう?

実は彼らは皆90年代にインディー映画の作り手として台頭してきた監督だ。後ろに近づく程アートハウス系とは呼びがたくなることが分かるだろう。インディー映画の神様ジム・ジャームッシュはアートハウス系ではないのだろうか?

要はジャンル分けなど曖昧なものなのである。特にそれが売る側(配給会社やメディア)によって分類されたものである場合、そのレッテルは殆ど意味を持たない。CNCで議論されていたアートハウス系映画の将来というのは、売れない映画をまとめて呼称している様にしか聞こえなかったし、もっと言えば売れない映画監督がアートハウス系だと言い張っている様にしか聞こえなかった。

この問題の確信は、アートハウス系映画というジャンルを作り立てて、彼ら自身がメインストリームから遠ざかるが故に観客が減っているというだけの話だと思う。ワインスタインの率いたミラマックスで、恋に落ちたシェイクスピアプライベート・ライアンを倒してアカデミーを取ったことを思い出せば、それが神話でしかないことは明らかだ。マイナー映画でもしっかりとした質があれば売れるのである。

売れない映画が寄り集まってネット上で売り出した所で問題の解決になるのだろうか?

オンライン化は救済策となり得るか?

大前提として映画館に行く観客が減り、アートハウス系映画に興味を持つ観客が少なくなっている訳である。

そうしたカジュアルな映画ファンはNetflixを始めとした配信サービスで大作映画を見るのであって、この点に関して映画館から足が遠のくことは極めて自然だ。

しかし熱心な映画ファンの場合はどうだろうか?彼らの中には映画館を愛する人も多いだろうから、映画館に全く通わなくなることは無いに違いない。

しかし彼らの好む様な「アートハウス系映画」をオンライン化して売り出せばどうなるだろうか?一定数の観客は配信された映画を見て満足してしまうだろう。全ての映画に対して映画館に行く訳ではないし、最終的にオンライン化は潜在的な映画館の観客を食い潰しているだけの様に思われる。

そしてオンライン化による新規「アートハウス系映画」の獲得であるが、これは非常に難しいと思う。先に述べた通り現代の「アートハウス系映画」は広く大衆に訴えかける魅力がない場合が多いし、そうした映画を見たいと思うのは結局熱心なファンに限られる。

従ってオンライン化を進めれば進める程、映画館から観客が減り、それに連れて映画ファンも減って行くのではないだろうか。

Gianluca Guzzoの発言はその点で楽天的過ぎると思う。恐らく配信サービスを利用し、そこから映画館に行く1%と、映画館から配信サービスに切り替える観客では後者の方が多い筈だ。彼個人は結果として儲かるのかも知れないが、映画業界に関して述べるならばマイナスが大きいだろうと思う。

総括

今回はカンヌ映画祭に連動して開かれたディスカッションについて紹介した。

東京国際映画祭でも似た様なイベントが開かれていたが、実際に参加して聞いた方はどれだけいらっしゃるだろうか?本記事の後半で紹介した通り、興味深いトピックが沢山あり、問題点が浮き彫りになる場合も多い。

補足として、

アートハウス系映画の将来というのは、売れない映画をまとめて呼称している様にしか聞こ   えなかったし、もっと言えば売れない映画監督がアートハウス系だと言い張っている様にしか聞こえなかった。

と述べたが、これは飽くまでマーケティング上での意味である。売れない映画でも面白い映画は沢山あるし、管理人自身も積極的に鑑賞している。しかし、だからこそ、そうした映画にマーケティング上の魅力がないことも分かるのであり、業界の構造として問題ではないかと感じた訳だ。

ノマドランドで成功したクロエ・ジャオがすぐさまMCUと契約したことを見てもアートハウス系映画が売れない映画だというのは分かって頂けるのではないだろうか。

人としては大いに問題があっても、ハーヴェイ・ワインスタインは売る才能だけはあったということなのだろう。それも超天才的な才能だったのだ。

それからもう一点。90年代のインディー映画は全く業界の多様性がなかった。白人のオタクが作った様な映画ばかりだった。タランティーノチャーリー・カウフマンコーエン兄弟など、映画は面白かったがバリー・ジェンキンスグレタ・ガーウィグが体現する社会問題に関する意識は低かったと思う。

どちらか一方が大切なのではなく、両者共に映画業界には必要だと思うのだが、「売れる」という観点にだけ絞って言えばタランティーノの方がバリー・ジェンキンスの何倍も優れていることは分かるだろう。

読者の方々にはこうした点も含めて考えてみて頂きたい。