知らない、映画。

在英映画学部生のアウトプット

【映画解説】pre-pro, プレプロダクションとは/博士の異常な愛情(1964)

23 (Mon). May. 2022

映画は主に3つの工程を経て完成する。初めに準備をし、次に撮影をする。そして最後に撮影した映像を組み立てる。

今日は実際に映画を準備する段階、この段階はpre-production(プレプロダクション)と呼ばれるが、について解説する。

スタンリー・キューブリック博士の異常な愛情、または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったかは映画史における1つの揺るぎない傑作だ。

他のキューブリック作品も勿論だが、名作リストを作るにあたって本作を外す勇気のある人は稀だろう。従ってこの映画については既に語り尽くされていると言えるし、世間に玉石混交溢れる批評を読むよりも直接ご自身で鑑賞して感じて頂きたい。

ただ今日はプレプロダクションの過程を解説するにあたって耳馴染みのない読者にとっても分かりやすいだろうと察するので、ここで取り上げることとした。

どんな映画にもプレプロダクションは必要だし、ジュラシック・パークアバターマトリックスなど大規模な作品ではそれだけ入念に準備されている。多くのこうした映画ではDVDを購入・レンタルすると、プレプロダクション過程のドキュメンタリーを見ることが出来る。本記事を読んで興味を持たれた方は是非探してみることをお勧めする。

またWarner Bros.YouTube上でプレプロダクションを追ったドキュメンタリーを公開している。現在ダークナイト三部作や死霊館ユニバース、ジョーカー、TENET、アクアマン、ハリー・ポッターなどの作品がラインナップされていることが確認できた。こちらも映画好きであれば楽しめるものだし、かつ映画制作を志す方々にとっても学びが多いだろう。

George C. Scott in Dr. Strangelove (1964)

プレプロダクションの基本は次の2つだ。即ち、

  • 金銭的・組織的な準備=主にプロデューサーの仕事
  • 物語の準備=主に脚本家の仕事

これに加えてSF映画など特殊な表現を要する映画では美術スタッフも仕事を開始していることがある。美術監督がセットと美術をコントロールし、撮影が行われる場所を作り上げる。またグラフィック・アーティスト(監督自らが行う場合もある)がストーリーボード(絵コンテ)を制作する。

マトリックス:リローデッドではセット部がカーチェイスシーンの為に高速道路を実際に作り、事前に監督自らが関わって何千枚もの絵コンテを準備したことがよく知られている。

プロデューサーによる準備

プロデューサーは映画制作の芸術面以外の業務を担当する人物だと言える。映画の方向性や芸術性に責任を負うのが監督だとすれば、きちんと映画が制作されるかどうかそのものに携わっているのがプロデューサーだ。

脚本を発掘し映画化権を買い、予算を決定する。予算が決定されれば必要なだけの融資を受け、資金を確保する。制作に必要な人物を選定し、雇うことでチームを立ち上げる。制作期間を設定し、その中で予算以内で完成するかどうかスケジュールの管理をする。撮影が終了したならば編集をし、監督と共に完成を確認する。配給会社と交渉をし、映画の宣伝をする。制作費回収できているかどうか見通す役目も負っている。

以上が基本的なプロデューサーの仕事である。スポーツチームの監督が映画監督だとすれば、プロデューサーはGMの様なものかも知れない。

そしてプロデューサーと一口に言っても実際には幾つかの階級の様なものが存在する。

全てのトップに立ち映画制作を管轄する立場にあるのがエグゼクティヴ・プロデューサーだ。彼は作品の企画を立案し、映画化権の獲得を担当する。必要な制作資金を融資して貰う役目も負っている。しかしエグゼクティヴ・プロデューサーとしてクレジットされる人物の中には実質殆ど制作に関わらない名前だけの人物も多いと言われている。

単にプロデューサーと表記される場合は、実際の撮影が予定通りに進んでいるかどうかを管理する実務担当である場合が多い。Co-producer(補助プロデューサー)の助けを借りながら制作が滞りなく進む様1つ1つの仕事を担当する。

これと紛らわしいのがライン・プロデューサーで、彼はより全体的な立ち位置で監督、俳優、諸所のスタッフの仕事を調整する。例えばセット部の仕事を予算やスケジュールの面で予定通りか管理するプロデューサーAと、ヴィジュアル・エフェクトで同様に管理するプロデューサーBがいる場合に彼らの仕事が全体の予定通りか統括して確認するのが、ライン・プロデューサーの仕事である。

アソシエイト・プロデューサーの役割は現場によって異なる様だ。製作陣の友人がアソシエイト・プロデューサーとしてクレジットされ実際には何もしない場合もあるという。一般にはこれらエグゼクティヴ・プロデューサー、プロデューサー、ライン・プロデューサーの業務で足りない部分を補う役目を果たすと考えられている。

プロデューサーは基本的に実務面を担当する人物であるから、彼がプレプロダクション段階で仕事をし、資金やスケジュールを決めなければ撮影が始まらない。裏を返せばプレプロダクションが最大の段階だということだ。従って撮影が動き出してしまうと、主導権は監督に移り、彼が正しく現場をコントロールするかどうかが大切となり、プロデューサーは実務面で監督のクリエイティビティを支える立場になる。

しかし監督がわがままな場合、具体的には予算をオーバーしたり期間を超過してしまうと、プロデューサーの仕事は増え、かつ責任を取らなければならなくなる。ポンヌフの恋人では予算が莫大に膨れ上がると共にスケジュールも先延ばしになり、プロデューサーも途中で交代している。

脚本家による準備

脚本家の主な仕事は概ね想像される通りだ。ズバリ脚本を用意することである。

脚本に基づいて作品のイメージが決定され、役者にもセリフが割り当てられる。脚本が決まらなければどの様なセットや特殊効果が必要になるかも分からない。

ただ詳しい話をすると、脚本家は最も報われない仕事であるとも言われている。著名な売れっ子脚本家になれば話は別だが、実際には持つ力が極めて小さいからだ。

無数に配給会社に送り込まれる脚本の中から映画化の機会に恵まれるだけでも幸運だが、その上で小説などとは違い脚本は監督らの意向で大きく変えられてしまうこともある。映画そのもののメッセージやテーマが変更されたり、時代が変更されたりしてしまう。エンディングが変わることも多い。

俳優が演じる際には台詞が変更されたり、カットされることもあるし、編集段階で削除されてしまうこともある。その都度割を食うのは常に脚本家なのだ。

とはいえその脚本家がいなければ映画は動き出さない。プレプロダクションの段階では、監督と意見の擦り合わせをしながら脚本が作られていく。

博士の異常な愛情

スタンリー・キューブリックは知識欲が強く、徹底的に事前調査をしていたことで有名である。何かと変わり者であると噂されることの多い彼だが、脚本を完成させる前には本棚1つ分にもなる本の山を読みこなしていたという。

博士の異常な愛情でも彼は入念に勉強した上で制作に掛かった。元々は直線的なドラマとして考えられていた物語は、ブラック・コメディにすることでより興味深くなると彼は考え、勘違いで作動する核兵器という発想をシニカルに展開させていく。

大国間の地政学的な隠喩が注目されがちだが、彼はそうした政治面だけではなく実際の軍事技術の研究も熱心に行なった。核兵器の構造から、飛行機が飛ぶ仕組みまでを勉強した彼は想像から実際に核兵器のボタンが設置される場所はここだろうとあたりをつけセットを作らせる。飛行機の構造上ここしかないだろうと推測したということだ。

これに関して機密情報であるためそうとは明かせなかったものの、実際に映画を見たアメリカ軍将校があまりの正確さに驚愕したというエピソードが伝えられている。

脚本が完成した後はセットの建設に入った。彼はロケーション撮影よりもコントロールが効くセット撮影を好んだと言われている。本映画でも巨大なセットをロンドン近郊のスタジオに制作し、撮影に臨んだ。

セットを担当したのはケネス・アダムである。彼はサーの称号を受けた映画人であり、007ドクター・ノオやゴールド・フィンガーなどの制作に関わったことで高名だ。二層構造でコンクリート製の会議室は、真ん中に設置されたテーブルが白黒でも綺麗に映る様、緑色のテーブルクロスが選ばれたが、おかげで部屋はポーカールームの様に見えてしまったそうだ。

後ろに見える戦略板も実際に作られたものであり、かつ電灯が搭載され撮影中は適宜操作されていた。その為に莫大な数の電線と電球が準備され、白黒でも画面越しにそれと分かる様照らされた。

飛行機のコックピットもセットで再現された。B-52戦闘機とB-17戦闘機がモデルとなっているそうである。

映画の内容については先に述べた通り他の解説者様に委ねるが、こうしたプレプロダクションでどれだけの労力が費やされたのかを知っておくことは有意義だと思う。

管理人はパイ投げのシーンが大好きなのだが、そのパイ投げも美しいセットとキューブリックの勉強によって描写された核戦争の深刻さが無ければあそこまで不気味で、そして笑えるものにはならなかっただろう。

小説や漫画を原作にすることが多い日本の映画や、日常系のラブコメ映画でプレプロダクション段階のリサーチはこれ程必要ないかも知れないが、核兵器や盗聴技術、報道業界などあるターゲットを絞って重厚なドラマを作る場合、リサーチが欠かせないということが分かって頂けたらと思う。

詳しくは分からないが、日本の映画業界はその点どうなのだろうか?管理人が新聞記者を鑑賞した際には、核兵器のボタンまで当てたキューブリックと比べて、リサーチが甘いと感じたのだが、皆さんはどう感じたのだろう?肝心のネタが生物化学兵器というのは何とも分かりやす過ぎるし、優秀な官僚諸君があの程度の情報操作に躍起になるものだろうか?個人的に政府がTwitterのお気持ち表明的コメントに、自殺者を出してまで対応するとは思えないが...

それはともかくプレプロダクションとは何か、知って頂けたのなら嬉しい。